一
一九七二年一一月三〇日付けの朝日新聞に、それから三五年近い歳月が流れているにもかかわらず、忘れることのできない記事が出ていた。手元に残っているので、煩を厭わず、全文を引用してみる。
《南米パラグアイで虐待されている少数民族、アチェ族を救おうという動きが、このほど日本バングラ連帯委員会のメンバーでもある鶴嶋雪嶺関西大学教授らの間に出、支援委員会組織化などが検討されている。
アチェ族は狩猟民で現在推定千四百人。パラグアイ人は彼らを「グァヤキ」(凶暴なネズミという意味)と軽べつした呼び方をし、政府軍が「アチェ狩り」に当たっているという。
捕らわれたアチェ族は、囲いつきで、七十五平方メートルの粗末な小屋に二百人もスシ詰めにされ、食事もろくに与えられないため、わずか二、三ヵ月で数十人が死んだという。
京都府に住む西独のマックス・プランク国際司法研究所研究員、フランク・ミュンツェル博士(35)に弟のフランクフルト民族博物館研究員マーク・ミュンツェル博士(29)から訴えの手紙が舞い込んで明らかになったもので、アメリカの学者の間にも救援運動が広がっている。
デンデリオ・エンシソ駐日パラグアイ特命全権大使の話では「グァヤキ政策」は、アチェ族を文明社会に同化させるためで、死んだのは生活様式の変化に順応できないのが原因、という。》
これに、南米におけるパラグアイの位置を示す地図が付され、さらに「アチェ族収容所ではたくましい男たちが、みるみるうちにやせ衰えていくという=マーク・ミュンツェル博士提供)というキャプションが付されて、子どもを膝に抱いたアチェ人の男の写真が掲載されている。
この記事が私に深い印象を残した理由はふたつある。ひとつには、当時私は、パキスタンからの分離独立を求めたバングラディッシュの人びとの闘いに関心があり、独立支援の活動を行なっていた鶴嶋氏らの動きに注目していたので、その延長上で、鶴嶋氏の名が出ていたこの記事が深く印象づけられたのであろう。
ふたつ目には、私がラテンアメリカにおけるキューバ革命以降の政治的・社会的激動への注目と関心を深めてから七、八年が経っていたが、その間に、かの地での重要な問題のひとつが、「先住民族」と植民者の末裔たちの間に存在する、いわゆる民族問題であると考え始めており、それまでほとんど無知であったパラグアイについてのこの報道に強くひかれたのであろう。
また、これはかなりの時間が経過してからのことだが、ピエール・クラストルという名の文化人類学者の存在を聞き、彼の思想のあり方を聞きかじり、彼がフィールド調査したのがパラグアイのグアヤキ人の集落においてだったことを知ってからは、手元に残っていたこの小さな新聞記事の切り抜きが、いっそう大事な意味をもつものと思われたのだった。
これが、時間の経過とともに生まれた、三つめの理由と言えるかもしれない。
二
さて、ここでは、上に挙げたふたつ目の理由である、ラテンアメリカにおける民族問題に関わっての記述として続けよう。
アチェ人に対する虐待の報道がなされた一九七二年当時、私たちが、乏しいながらも持ち得ていたこのテーマに即したラテンアメリカ情報を整理すると、非先住民族社会との関係のあり方から見た、当時の先住民族の状況は、大きくふたつに分かれるように思えた。当時記したノートに基づきながら、ふり返ってみよう。
(一)高揚しつつあった民族解放闘争を背景に、先住民族自身が、そこで重要な位置を占めている例が見られた。
たとえば、ペルー・クスコ周辺の農民による土地占拠闘争においてはケチュア人の主体的な参加が見られた。その様子は、ウーゴ・ブランコ『土地か死か――ペルー土地占拠闘争と南米革命』(柘植書房、山崎カヲル訳、一九七四年)に詳しい。
また、グアテマラの場合のように、主要にはメスティーソ(混血)から成るグアテマラ労働党(共産党)の指導部が、「土着のインディオはその後進性のゆえに、権力獲得の革命的な過程において積極的な役割を果たすことができず、勝利した民主主義革命が生産諸関係を変革し彼らに土地を与える限りにおいて彼らをこの革命へ統合することができる」と位置づけ、結論的には「インディオ大衆は、変化に対して速やかに同化する能力と気力を欠いているため、反動の予備軍を形成している」と解釈していた。
他方、当時のグアテマラにおける農村ゲリラ闘争の指導者、ルイス・トゥルシオス・リマのように、彼が権力に対する反抗者であることを知って隠れ家を提供してくれたのが貧しいインディオであったことから、インディオに対する抑圧の現実に目を開かされ、以後自分が指揮するゲリラ隊に先住民族の独自部隊を編成する人物もいた。
「カクチクェル人のゲリラ部隊は、最良の部隊であっただけではない。彼らは自らの革命的可能性(反抗心、決断力、忍耐力、階級的憎悪)を示すことによって、インディオに対する古くからの概念を克服し、グアテマラの人民闘争の真に全国的な革命的展望を確固として切り拓いていく現実的根拠を創りだした」(Turcios Lima, Orlando Fernandez, Tricontinental, 1970)。
これは、時代的にはもっと後になって触れたことだが、ボリビア・ウカマウ集団の映画『コンドルの血』(一九六九年製作)において描かれた先住民像が、グアテマラのこの現実に呼応しているといえよう。この作品についての情報は、次のサイトで見ることができる。
http://www.jca.apc.org/gendai/ukamau/sakuhin/itiran.html
エルサルバドルの詩人・文学評論家で、解放闘争内部の抗争で粛清されたロケ・ダルトンが、この時期のラテンアメリカにおける先住民族問題のありかについてすぐれた論考「ひとつの映画以上のもの――『コンドルの血』論」を残している(『第一の敵』上映委員会編、ウカマウ集団シナリオ集『ただひとつの拳のごとく』所収、インパクト出版会、一九八五年)。当時の息吹はロケのこの文章から感じとることができよう。
(二)ペルーやグアテマラのように、全体人口に占める先住民族の比率が高い国にあっては、右に見たような気運が生まれていた。一方、ブラジルのように、先住民族の人口が総人口の一・七九%しかいないような国においては、次のような恐るべき事態が起こっていることを当時の新聞は伝えていた。
「一九六〇年の人口調査によれば、ブラジルには一二〇万人のインディオ(全人口の一・七九%がおり、その大多数は広大で住民もまばらなアマゾン河流域に居住している。
しかし現在までにその数は減少した。他ならぬインディオ保護局の官吏たちが、ここ数年の間に数千人のインディオを虐殺し彼らの土地を奪っているからだ。
この事実を確認するためには革新的な報道源に頼るまでもなく、米国の利益の強力な代弁人たる一九六八年三月二〇日付け『ニューヨーク・タイムズ』の数行を基にすればよい。
同紙リオデジャネイロ特派員は伝えている――インディオの全種族が、ダイナマイト、機関銃、砒素入り砂糖などによって虐殺されている。
マット・グロッソ州のシンタ・ブランカ人は飛行機からダイナマイトを落とされ、生存者は機関銃で撃たれて全滅した。同州のタパイヌ人は砒素入り砂糖を与えられて一掃された。
バファ州のパトホ人は注射によって発疹チフスをうつされた。空軍大佐、ふたりの将軍、ふたりの陸軍大佐、ブラジリア州前知事を含むインディオ保護局の官吏一三四人がこれらの罪によって告発されている。
これらの者は殺人を行なっただけではく、若いのインディオの少女たちを売春婦や奴隷として売りとばしたうえ、インディオが所有し働いてきた土地を売って六千万ドル以上の甘い利益をむさぼっていた――と。
これですべてではない。四月八日、リオデジャネイロ発のEP電は伝えている――ブラジル内務省筋の発表によると、アマゾン地方のアラビア、アラマカ両島においてハンセン病に罹った数千人ノティクナ人が瀕死の状態にある――と。
いったい彼らはハンセン病に罹るほど不衛生にしていたとでもいうのだろうか? 驚くには当たらないことなのだ。われわれはすでに、ブラジルの大土地所有者、植民者たちなら、この程度のこと、否それ以上のこともあえて仕組む事実を見てきたではないか。 (英語版 Granma, 7 April,1968)
さらに、こんなニュースもある。
「リオデジャネイロ 一二月二〇日(プレンサ・ラティーナ)全国インディオ財団は先ごろ、六〇名のアトロアリス人インディオが彼らの土地を狙う大土地所有者によって追い詰められたあげく斬首されたと非難した。
その報告によると、同財団はアトロアリス人インディオの居住地域に調査団を派遣していたが、カリェリ神父を団長とするその調査団がアマゾンの密林を離れる前に、同地の大土地所有者たちは多数のインディオを虐殺し、強制労働を強いている。
報告を起草したインディオ問題専門家のジョア・アメリコ・ペレットはこの虐殺を行なった大土地所有者の名前を列挙している。全国インディオ財団は、アマゾンの密林に避難を余儀なくされ、そこで白人の間ではありふれた病気で死んでいくインディオ共同体を防衛するキャンペーンを行なっている。
この問題に利害関係をもつ者がスポンサーになって最近展開している新聞キャンペーンは、インディオの『残虐な』性格を描き出そうとしているが、それはインディオの果敢な抵抗によって一時的に危機に瀕した彼らの食糧供給を確保するための口実でしかないのだ」。 (英語版 Granma, 29 December, 1968)
冒頭に引いた新聞記事がいうパラグアイにおける先住民族アチェ人に対する虐待は、当時のラテンアメリカにおいて孤立した事象ではないことがわかる。
三
私がこのような情報に接してから数年後の一九七三年、ブラジルのインディオ保護官、オルランド・ヴィラス・ボアス氏が来日した。氏は弟のクラウジオ氏ともども、いわばインディ保護局内部の「良心派」として紹介されている文献を私はいくつか読んでいた。
その当時、ノーベル平和賞候補にも挙げられているという報道もあった。[その後、この群書シリーズには、シェルトン・デーヴィス『奇跡の犠牲者たち――ブラジルの開発とインディオ』(関西ラテンアメリカ研究会訳、一九八五年)という大事な書物を収めたが、その中には「ヴィラス・ボアス兄弟とブラジルのインディオ政策」と題された一章がある。]
私は、来日したオルランド氏を訪ね、私自身が得ていた情報を基に、ブラジル・アマゾン地域およびラテンアメリカ全域における先住民の状況についての質問を浴びせた。
若かった私の質問の仕方は性急だったのだろうか、氏は口ごもった返事しかしてくれなかった。
その名称に反して、先住民に対する虐待・虐殺を行なっているという「噂」が強まるばかりのインディオ保護局で仕事をしている氏は、遠い国の若僧に向かって、自分だけを「正義」の高見において、保護局を批判する言葉を口にしたくはなかったのだろう。私は、そう思った。
その後も、ラテンアメリカ各地から、先住民族をめぐっては、権利獲得を求めての着実な活動ぶりを伝えるニュースも、虐待と差別に関わる恐ろしい報道も、きれぎれに届いた。
さらに私自身が、一九七三年から七六年にかけて、ラテンアメリカ大陸部の各地に生活し、旅を重ねる日々を送ったので、いわば実地にさまざまなことを体験し、目撃することになった。ついにパラグアイに足を踏み入れることはなかったが、アチェに関しては、七五年から七八年にかけて重要な文献に出会った。
ひとつめは、" Por la Liberacion del Indigena", Adolfo Colombres,Ediciones del Sol, Buenos Aires, 1975. である。世の中に先住民族について書かれた書物は多いが、先住民族が白人世界についてどう思っているかを語る本は少ないという立場に立って、カナダからアルゼンチンまでの大陸全体の先住民族の声をまとめたものである。
その中に、パラグアイの章もあって、一九七四年一〇月にパラグアイの首都、アスンシオンで採択された「マランドゥ計画」なるものの説明がなされていた。
「インディオ問題」とか「インディオ教育の必要性」とかの言葉はよく聞くが、国家社会がインディオの伝統的な土地を侵すことによって作り出した問題とか、植民地社会の継承者である者たちが生まれたときから身につけている人種差別意識を取り払うために、これらの者たちを教育するなどという物言いはまったく耳にしない――という叙述から始まるこの文書は、植民地主義的思考が右翼も左翼も呪縛しているパラグアイの状況を批判的に分析する。
一九七二年に行なわれたアンケート調査の結果も衝撃的で、「インディオは洗礼を受けていないから動物同様のもの」と応えた者は七七%、「自分たちと違うのは文化のあり方の違い」と述べた者はわずか0・六%、「劣った存在」と答えた者は八六%にも及んでいたという。
この状況を変えるために生まれたのがマランドゥ計画であり、そこで重視されるのは、先住民自身の自主性、多民族社会であることの客観的な諸条件を、抑圧されてきた民族集団も参加するなかで、作り出すこと――であった。
したがって、先住民の中にリーダー(と言っては、支配の道具となる響きがあろうが、あくまでも集団内部の自然な関係を調整する機能をもつ人物という意味での、という補注がある)を創出するためのコースを多様に設けるとしている。
グアラニー語である「マランドゥ」という言葉自体が「情報」「ニュース」を意味するものであり、さまざまな物事を判断するうえでの情報を身につけることが目的であることがうかがえる。
マランドゥ計画は国内的視野に留まることなく、エトノセントリシズム(自民族中心主義)を克服しながら、世界的な視野をもつことを強調し、とりわけ一九七四年にはパラグアイで「南端地域アメリカ・インディオ議会」を開催した。
国境を超えて集まったアメリカ大陸南端部地域の先住民たちは、土地、労働、教育、先住民的教育、母語の使用、健康、組織化などをめぐって、ひとつの統一的なイメージを打ち出した。
アチェ人虐待が報道されたのと同じ時期に、パラグアイでこのような意識化の活動が行なわれていたことは、事態が悲劇的にのみ展開するわけではないことを、後日示すことになる。
ふたつ目の本は、 "Genocide in Paraguay", edited by Richard Arens, Temple University Press, Philadelphia, 1976. である。この文章の冒頭で紹介した新聞記事が述べていたアチェ人虐待の現実を詳細に明かした、人権活動家、文化人類学者、歴史家などの手になる論文集である。
記事に名前の出ているマーク・ミュンツェルも「人狩り」と題する論文を寄せている。中身は重苦しい本だが、「告発」こそが事態打開のきっかけになる時期というものはあり、その役割を国際的に果たしえた書物だといえる。
三つ目の本は、" Las Culturas Condenadas", compilacion de Augusto Roa Bastos, Siglo Veintiuno Editores, Mexico, 1978. である。
『呪われたる文化』でも訳されるべき本書の編者、ロア=バストスは、『汝、人の子よ』(集英社、吉田秀太郎訳、一九八四年)などの作品のあるパラグアイの現代作家である。
先住民をめぐる故国の状況に憤怒を抱き、先住民がいかなる状況に生きているかを地域ごとに明かすと共に、その神話・詩・口承文学の世界も紹介するために、内外の研究者の論文を編纂した本だ。ピエール・クラストルの「弓と籠」と題する論文も収録されている。
一九七〇年代後半にパラグアイの内外で刊行されたこれら三冊の書物は、読者が問題の核心を掴み、意識化作業を行なううえで、確実な源となったであろうことを、現在の目をもっても確認することができる。
四
二〇〇七年の現在、パラグアイにおける先住民族の復権運動の現状を知ろうと思うなら、インターネット上のLINAJE(自律・正義・倫理による先住民同盟)のホームページwww.linaje.org を訪ねるのがよい。
これは、二〇〇〇年六月、北部のアチェ民族によって結成された。慢性的な貧困、アチェの主権に対する日常化した暴力、文化的な消滅を防ぐための必死の闘争などが、組織結成の理由だ。きれいにデザインされたホームページの題字の下には「パラグアイにおいて先住民が主人公である諸条件を作り出そう」という呼びかけの言葉がある。
教育、農業、養鶏――取り組んでいるさまざまな活動分野の現況報告もある。
思えば、一九七二年に日本の新聞で目にしたアチェについての小さな記事から三五年――持続的な関心をはらってきたわけではなかったが、気にかけていた人びとではあった。
それが、きれぎれにではあるが繋がった。虐殺・虐待の報道で始まったアチェとの出会いは、三五年後のいま、権利獲得運動がどんな状況にあるかを知りうる地点にまできた。
感慨は深い。いまアチェについて思うことは、九年前に書いたピエール・クラストル『大いなる誇り』の書評に書き尽くしてあるように思えるので、それを再掲して、この文章を終えることにしたい。
――南米パラグアイの森の奥深く〈悪なき大地〉と〈大いなる魂〉を求めて暮らす人びとがいる。グアラニ―と呼ばれる先住民族集団は、一六世紀初頭、すなわち征服者=スペイン人たちが押し寄せる頃には、数十万の人口を擁していたと推定されている。
いまは小さな集団にばらばらになって、パラグアイ以外にアルゼンチン、ブラジルなど国境地帯にも住む。
数は二万人、あるいは書によっては五、六千人に減っているだろうというものもある。ラテンアメリカ史を読んだことのある人には、その民族名はイエズス会の名と共に記憶に残っているかもしれぬ。
いわゆる僻地や辺境での宣教に力を入れたイエズス会は、征服まもない頃から一八世紀にかけて、グアラニ―の地でレドゥクシオン(先住民教化集落)の建設という特異な試みを行なった。
グアラニ―人は既存の村を離れてイエズス会士と共に不毛な地に移り、共同生活を営みながら神の教えに接する日々をおくった。
これをもってユートピア建設を思わせる壮大な社会実験と呼ぶ者は多く、しかも一七六七年にはスペイン国王の指令によってスペイン領アメリカからイエズス会が全面的に追放されるから、イエズス会士の「善意」と「自己犠牲」ぶりは悲劇性を帯びて物語られることになる。疑う者は、映画『ミッション』を思い起こせばよい。
だが、もうひとつの当事者であるグアラニ―人たちの思いは? そう発問する時に、ヨーロッパ中心主義的な従来の発想は、出口を失って立往生する。
本書は、そのことを、時代に先駆けて十二分に自覚していたフランスの一人類学者が一九七四年にフランス語で刊行した『グアラニ―の神話と聖歌』の翻訳である(日本語タイトルは『大いなる誇り』、毬藻充訳、松籟社、一九九七年)。その人類学者とはピエール・クラストル。今から二〇年前、四三歳の若さで自動車事故で亡くなった。
南アメリカ民族学を学んだクラストルが遺した著作は四冊、そのうちの一冊『国家に抗する社会――政治人類学研究』は、すでに翻訳・紹介されている(渡辺公三訳、水声社刊、一九八七年。以下追記――その後、私たちも、『暴力の考古学――未開社会における戦争』、毬藻充訳、現代企画室、二〇〇三年、を刊行している)。
グアラニー、グアヤキ等の南米インディオ諸民族においては、集団それ自体が権威を根底から拒否し、権力の絶対的否定を表明しており、〈権威なき首長制〉として成立していること、グアラニーの思想が語る〈一なるもの〉への拒否は、ヨーロッパの知を貫く〈同一性原理〉に対する能動的な抵抗を意味していること――などを、神話・言語・婚姻制度の分析を通して明らかにしたこの本は、深い思想的衝撃を私にもたらした。
グアラニーの神話と聖歌の世界を、先達による採録と自ら行なった採録に基づいて編纂したうえで翻訳・解説を施した今回の書の作業においても、クラストルはグアラニーの世界を暴力的に侵すことのないよう細心の注意をはらう。
それは、神マナンドゥの出現を描く神話のスペイン語テクストに「進化」を意味する語が用いられていることを知って、それは典型的な西欧的な観念であるから、グアラニー語とその文化的背景に照らしてどのような訳が適切かを考えぬく箇所などに、はっきりと表れている。
また、グアラニーの宗教的宇宙を「あなたたちは、あなたたちの神を持ち続けたまえ。
われわれには、われわれの神がいる!」という言葉で表現した箇所などを、イエズス会士やその讃美者たちはどう聞くだろうか?
それにしても、グアラニーの神話的世界を読むと、メキシコ先住民族の組織であるサパティスタ民族解放軍が、先住民地下革命委員会の名で公表する文書のうち長老たちの言葉が語られる箇所と共通感覚で繋がっていることを感じる。
権力の否定、同一性原理への抵抗など、その重要な性格においてこれらふたつの集団には共通な志向性が見られるが、それが何を私たちに物語るものなのかを考えることも、本書が遺した課題だと思える。
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