年末年始の2週間を、PARC(アジア太平洋資料センター)が企画したスタディ・ツアーに同行して、南米ボリビアで過ごした。
左派の先住民大統領エボ・モラーレス政権が成立して一年、何事かを判断するにしても、まだまだ早計であることを免れ得ない時期ではある。それでも、この時期ゆえにわかることもあろうかと期待するところもあった。
最初に訪れたのは、中部高原都市、海抜2500メートル地点に位置するコチャバンバである。
2000年には水の私企業化を阻止する闘争の舞台となり、2003年から04年にかけては天然ガスを多国籍企業に売り渡そうとする政府の目論見を阻止する闘いの中心地ともなった。
現在は、エボ政権に批判的な東部サンタ・クルス州などの富裕層が展開している自治権要求運動を支持しているコチャバンバ州知事の辞任を求める運動が活発に繰り広げられている。
街の中央にある公園は、何かにつけて民衆が集まり、集会やデモの起点となる場所のようだが、ボードに壁新聞が張り巡らされていて、政治的・社会的なメッセージが書かれてある。
カンパ袋にいくばくかの金額を入れると、壁新聞の作り手らしい人びとが声をかけてきて、たちまち群集が寄り集まってきて、数十人に取り囲まれてのにわか討論会が始まった。
どこからでも火を吹くような、民衆運動の実在性を実感できるエピソードではあった。
自分たちの闘争の現況に関してひと通りの説明を終えると、群集のひとりが私たちへの質問をぶつけてきた。あなたたちの社会は経済も発展を遂げていて、みんな幸せに暮らしているというが、いったいどんな政体でそれが可能になっているのか、説明してくれないか、というものだった。
貧困問題を最大の課題として抱える外部社会からは「繁栄している」と客観的に見られる高度産業社会が、それ自体として抱える固有の問題を説明する論理には、若干の抽象度を必要とする。まず日本社会を席巻している新自由主義の問題点を説明すると、それは広くラテンアメリカ民衆が世界に先駆けて手痛い経験を積んだことだから、理解は早い。
次に、日本国軍=自衛隊の動きについては詳しく知らないだろうが、アフガニスタンとイラクに向けての米国の無謀な戦闘・殺戮行為はあまねく知られているから、それに一体化している日米同盟のあり方を説明すると、世界のナンバーワンとナンバーツーの経済力を有する二国間の軍事同盟体制が、世界民衆にとっての悪夢であるという説明も理解が得られやすい。
最後に、高度消費社会における「疎外状況」を説明する苦心の言葉も、「ロボット化か」という反応がすぐに返ってきたから、ある程度の理解は得られただろう。
公園の一角で、「ラテンアメリカ最初の先住民大統領」と題して、エボ・モラーレスの各種スナップ写真をあしらったカレンダーを売る青年がいた。「早分かりエボの半生」的な資料がついているので、買い求めた。
掲載されているインタビューが面白い。「尊敬する一番の政治家は誰か?」という質問がある。「政治家というより著述家だが、ファイスト・レイナガだ」とエボは答える。『インディオ革命』『インディオ・テーゼ』などの著書があるレイナガとは、私が30年前にボリビアに滞在していたときに知り合った。
核開発に行き着いた白人文明を徹底的に批判し、白人による侵略以前のインカなどのインディオ文明を称揚するその論理は、従来の支配的な歴史観に対する単なる裏返し史観の趣きが強く、乞われて私はその批判点を強調する文章を書いて本人に渡したものだった。
ただし、ケチュアやアイマラなどの先住民性に徹底してこだわるレイナガの論理はきわめて明快であり、エボにはそれが魅力的だったのかもしれない。
「権力の、いわゆる《誘惑》の陥穽に陥らない保証は?」と問われて、エボは答える。「私の特徴は、正直であるということだ。
国会議員としての歳費の80〜90%は、病気やそのほか物入りの同志のために使ってきた。今日までに6千ドルの貯蓄があって、これをもってクレチン病対策の部屋を借りた」。
ウカマウ映画集団の監督、ホルヘ・サンヒネスは、この間増えている先住民出身の議員が、歳費の一定額をプールし公共のことに使っているとして、金と汚職まみれの従来の議員像を改めさせる模範を示していることをここ数年強調していた。
エボのこの答えは、それに見合ったものなのだろう。一年前の大統領就任直後に、エボが実行したことのひとつは、大統領給与の半額カットだった。日本円で22万円程度になったと記憶している。
わずか二週間の滞在中にも、エボ政権の新しい施策は次々と打ち出されていた。低地に住む富裕層が、高地に住む先住民の貧困問題の面倒をみるのは嫌だとばかりに自治権を要求する動きは断固として拒否しつつ、先住民が企図する共同体自治に関してはこれを認めると共に、共同体内裁判の決定に近代的司法権力は介入できないとすることも法制化されるようだ。
これは、ウカマウ集団が『地下の民』(1989年)で描いていたことでもあり、この土地の最初からの住民である先住民の権利回復の動きが、着実に広がり深まりつつあることを物語っていると言えよう。ラジオやテレビ番組、さらには映画などに、先住民が登場する機会を意識的に作り出している青年たちもいる。
天然資源の国有化、コカ栽培の産業化、農地改革、、キューバ・ベネズエラとの3国間貿易協定――エボ政権が打ち出している内外政策はいずれも注目に値し、その行く末を見守りたいが、その基底には、先住民の復権を通して「近代」が作り出した諸価値を転倒させようとする思想が脈打っていることを忘れるわけにはいかないようだ。
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