東京に住む人のなかには、神田神保町の近くにある「書肆アクセス」の恩恵に浴してきた人が少なからずいると思う。
東京以外の地に住む人のなかにも、機会に恵まれたときには、この書店に寄ることを習慣とする人がいることを私は知っている。
地方小出版流通センターが経営するその書店には、日本各地に点在する出版社が刊行している、それぞれの地元に関連する出版物や、大きな取次ぎ店を通していない小出版社の刊行物が取り揃えてある。
各都道府県ごとにきれいに分類されて書物が棚に収まっているから、旅に出かける前に必要な本を探すために、またアイヌや沖縄に関わる文献などを求めて、私もよく利用してきた。
この書店が今年年末までに閉店するという。一般的にいって書物の売れ行き不振は、いまに始まったことではないが、それに加えて、インターネットで購入する顧客が増えて、販売高が激減しつつあるのが理由だという。
自分を省みても、インターネットでの書物購入の割合は増えているが、現物を手に取ったうえで買うか否かを決めたい基本的な性向の持ち主としては、残念なことである。
この種の書店が消えると、私たちの目に入らなくなるであろう近刊書3冊に触れながら、問題の射程を考えてみたい。
ここでの私の関心は、たとえば拉致問題をめぐって、日朝首脳会談以降のこの5年間日本社会に流布してきた情報の質をいかに高めることができるか、ということに関わっている。
拉致問題こそは、この5年間の日本社会の政治的・社会的方向を決定づけてきた要素(アクター)の最たるものであった。
自ら(自国)の近代史を省みることもなく、排外主義的な立場から相手国の政治指導者をなじるという水準に停滞した大量の情報に、この社会は呑み込まれたのである。
安倍晋三なる人物が一年足らず前に、自民党総裁と首相に選出されるに至った経緯は、拉致問題における極右的な安倍の位置取りに焦点を当てることなく、考えることもできない。
その安倍が、拉致問題に関して何らの進展をはかることもできないまま、6カ国協議の場でも「孤立化」しつつあるのは、その無内容な政治路線が導いた必然的な結果であるが、ここで私たちに課せられるのは、「安倍的」なるものを浮上させた日本社会の歪みを批判的に指摘すると共に、これを乗り越えるだけの「情報」「認識」を自分たちがどこまで作り出し得たか、という問題である。
その種のものは、存在しているとしても、マスメディアからは系統的に排除されているから、それらを選択的に取り扱う「書肆アクセス」のような書店の重要性が浮かび上がる。
竹内康人編著『戦時朝鮮人強制労働調査資料集――連行先一覧・全国地図・死亡者名簿』(神戸学生・青年センター出版部、2007年8月)を見ると、全国各地で強制連行・強制労働の調査活動が何十年もかけて続けられてきていることがわかる。
自らが住まう静岡県での強制連行調査から着手した編著者も、20年近い時間をかけて、各地の人びとが担ってきた調査を総合する作業を続けてきた。
その結果、本書では、2000箇所以上の強制労働現場が特定され、連行期に日本各地や周辺洋上で死亡した朝鮮人7750人の名前が明らかにされている。
「強制労働現場」の項では、所在地、事業所名、職種が、典拠した資料と共に明らかにされており、日本のどこに住んでいる人びとであっても、自分の身近にそのような「現場」があったことを理解できる仕組みになっている。
拉致問題をひたすら政治的に利用してきた政治家と「救う会」、不幸にもそれに操られ、解決の目途も立たないままに翻弄されてきた家族会などが主導してきたこの5年間の世論操作の一面性・不当性が、客観的に浮かび上がってくる。
「散在する朝鮮人遺骨の調査」「企業・政府による和解に向けての賠償基金の設立」など、末尾に編著者が記している「今後の課題」は8項目に及ぶが、ここにこそ、排外主義的な「拉致キャンペーン」によっては切り開くことのできない、東アジアにおいて「謝罪・赦し・和解」へと向かう道が明かされていると思える。
紀州鉱山の真実を明らかにする会制作『写真集 日本の海南島侵略と抗日反日闘争』(写真の会パトローネ、2007年2月)も、20年近い活動の持続がどんな場所まで到達するものであるかを具体的に示す。
和歌山県の鉱山で強制労働を強いられた朝鮮人労働者についての調査を始めた人びとが、同じ企業が戦時中に、日本軍が侵略した海南島での鉱山開発に従事していた事実を知る。
そこで、日本による侵略の実態と海南島民衆の抵抗闘争のあり方を具体的に調査し、それを映像的に記録したのが本書である。
写真記録もさることながら、『証言(ことば)・「場」・「物」・記録』と題して、真相究明にかける自分たちの立場性を明かしている制作者たちの文章は、竹内の編著書と同じく、私たちが進むべき道を提示していて、示唆的だと思う。
金恩正ほか著『東学農民革命100年――革命の野火、その黄土の道の歴史を尋ねて』(つぶて書房、信長正義訳、2007年7月)という、A5判・600頁に及ぶ大著も最近刊行された。
これは、東学農民革命から100年を迎えた1994年に、韓国の新聞「全北日報」が取材チームをつくって、専門研究者との協働作業を行なった取材・調査記録である。
封建的な身分制を否定し、「人乃天」(すべての人は天である)という平等スローガンに依拠して戦われたこの農民戦争に、当時の日本国は清国と共に、朝鮮支配を目指して武力介入し、その結果、朝鮮半島を戦場とした日清戦争に突入する。
東アジア総体の歴史の中に日本近代を位置づけるためには避けることのできない史実である。現在の出版状況の中で、この過程を明かした大著の翻訳・刊行を実現した人びとの仕事は意義深い。
猛暑の夏――「拉致」を売り物にした安倍が進退窮まっていく様子を見ながら、それとは対極的な道を指し示した、容易には入手できない3冊の書物を読んで、私はあらためてその著者・編者・訳者・刊行者の人びとと確信を共にし、気分は爽快だった、と言っておこう。
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