現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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「希望は戦争」という言葉について        
『派兵チェック』174号(2007年3月15日発行)掲載
太田昌国


 赤木智弘という人が書いた『「丸山眞男」をひっぱたきたい」という文章が反響を呼んでいる(朝日新聞社刊『論座』07年1月号)。

「31歳、フリーター。希望は戦争」と名乗る人物である。論旨はこうだ。

「平和な社会」に生きる自分の人生はろくなものではない。深夜のバイト暮らしで、月給10万円強。

北関東の実家に居候しているから、辛うじて暮らせるが、生活保障の展望は皆無だ。経済成長が著しい時代に生きた世代は、バブル崩壊の後始末を自分たち、後進の世代に押しつけて、ヌクヌクと生き続けていくのだろう。

そんな平和の中の不平等よりも、戦争が起きて、たくさんの人が死んで、社会が流動化すれば、それは若者にとってのチャンスだ。

「国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和」。弱者にとって、どっちが好ましいかは、自明のことだ、と。


  丸山眞男は陸軍で、おそらく中学も出ていない一等兵にいじめ抜かれた経験をもつ。

赤木は自らをその無学で無一物の一等兵になぞらえ、丸山は既得権を有するエリートの、進歩的・左派的知識人の象徴として扱って、現状をひっくり返し、丸山の横っ面をひっぱたけるなら、それが希望の光だといって、文章を終えるのである。


  論理的な文章ではない。むやみな断定と飛躍もありすぎる。

それでも前半部分は、不安定な職に就かざるを得ない一青年(それにしても、31歳か)の、鬱屈した情念の爆発として、私にとっても理解の範囲内にはあった。この言動には既視感があるのである。

もう止めたが、かつて小林よしのりの漫画的作品をよく眺めたことがあった。この非歴史的かつ非論理的な漫画が、時代の若者たちのこころを捉えている根拠が、私にも理解できたが、その延長上での思いである。

私が小林の漫画的作品をよく眺めていたのは1990年代前半から半ばにかけてのころだが、その時代の若者たちはソ連体制の瓦解を目撃し、左翼的理念の崩壊を実感したので、戦後史の過程で確かに一定の影響力を持ち続けていた進歩的・左派的な理念の信奉者をこけにする小林の表現に、溜飲の下がる思いをしていたのである。

彼らにあってはその感情が裏返されて、当の左翼・進歩派が批判し続けてきた日本の植民地支配と侵略戦争の問題をめぐっての、日本近代史の全面的な肯定へと行き着いた結果も、私たちはよく知っている。


  それは、わずか十数年もさかのぼれば戻ってしまう、「ついきのうの」ことだが、今回の赤木の表現が生まれた時代状況は、その間にずいぶんと変わった。

現首相が決して認めようとしない「格差社会」化の進行である。

赤木は、収入上の格差だけを問題としているのではない。

たとえば夜間の不安定労働に従事している者が、「平日の昼間に外をうろついている不審者」として見なされ、「努力が足りないから、マトモな仕事に就けない」と嘲笑されて、人権上も差別の対象とされていることへの怒りが、その文章には横溢している。

一定のリアリティを赤木の言動から読み取ることができるのは、現実の社会・経済状況を背景にして、その文章が書かれているからである。


  赤木が立論の背景としている労働と経済のあり方に孕まれる問題性は、新自由主義的「改革」を経験しつつある私たちに、この間はっきりと見えてきた事柄である。

私個人のことで言えば、いまでいう「フリーター」で暮らしていた20代後半の日々も、ここ20数年間関わってきた小さな出版社での仕事も、いわば自らの選択によるものだから、経済的な事情を含めてそこで生じる問題の多くには、自らの責任で処するしかないとの思いを定めることはできた。

赤木が問題提起しているのは、もとより、そのような個人的な選択に委ねうることではなく、社会に構造化している労働と経済のあり方に関わるのだから、私たちがひとしく関心を持ち、発言もし得る問題である。


  私は、最近では、「あなたは無縁だといえますか――貧困の罠」を特集した『週刊東洋経済』2月24日号と、「労働破壊――再生への道を求めて」を特集した『世界』3月号から、ふだん私がいる場所からは見えない多くの事実を学んだ。自分の生活実感に照らして、そうだと頷くことができる、事柄の分析にも出会った。

  赤木の文章に、惜しむらくは欠けているのは、そのような分析的な思考である。

自分が強いられている現状に対する不平・不満を、この文章のような形で、いわば鬱憤晴らしのような水準で語っている限り、「逆に、自分の待遇が良くなったらそれで終わりになって、人のことなどどうでもよくなる」という吉本隆明の感想(『論座』4月号)に、私は同感する。

赤木が提起している不安定雇用の問題は、偽装雇用や偽装請負を率先して行ない、外国人研修生に対しても劣悪な処遇をして恥じない日本の先端的なグローバル企業のあり方や、1986年に施行された労働者派遣法に基づく労働者「供給事業」の合法化政策などに結びついていくのだから、それに即した問題の立て方をしない限り、難問解決の取っ掛かりを得ることすらできない。

 「不幸を平等に分かち合うための戦争」という赤木の提言も、絶対的窮乏化に基づく革命論や、「戦争の危機を内乱に転化して、革命へ」という左翼党派的アジテーションを聞いてきた世代からすれば、思考方法としてそれほど奇異なことではない。

だが、戦争の「悲惨さ」を言葉では表現しながら、本質的にそれへの想像力を欠いていることは致命的な欠陥である。

労働形態に関する規制緩和の旗振りをしてきた経団連は、04年に憲法9条改定を提言しているが、その先に、日本企業の軍事産業への参画と日米共同戦争を見越していることは想像に難くない。

社会・経済・政治の全体構造を批判的に捉えるための努力を放棄した地点で語られる一個人の鬱憤晴らし的な言葉は、やはり、それに見合った役割をしか果すことができない。

 
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