正月の新聞休刊日が終わって通常の発行体制に戻った直後に朝日・毎日両紙の一面トップを大きく占めた記事に目を奪われた。「学用品や給食費 就学援助4年で4割増 東京・大阪4人に1人」(1月4日付け朝日新聞)。「全医療費を自己負担 無保険30万世帯超」(1月4日付け毎日新聞)。
前者の記事によれば、就学援助受給者は04年度に全国で134万人、2000年度より37%増で、全国平均受給率は12.8%となった。(因みに、134万人という数字は2006年度に「成人」する人数143万人にほぼ等しいことを知ると、数字的な実感が湧く)。
給付基準は地方自治体によって異なるが、04年度に給付率が42.5%に達した東京・足立区の場合、前年度所得が生活保護水準の1.1倍以内の家庭で、支給額は年平均7万円(小学生)と12万円(中学生)である。
足立区内には受給率が7割に達した小学校もあるといい、教師は学用品を持って来られない生徒のために、鉛筆の束と消しゴム、白紙の紙を持参して授業を始める場合もあるという。
私が小学生であった1950年代前半から中盤にかけての、つまり敗戦から5年や10年しか経っていない時代であれば、それはありふれた光景ではあった。
その後も、エネルギー資源が石炭から石油に転換する1960年前後には各地の炭鉱が閉山になり多数の炭鉱労働者が職を追われて、土門拳が写真集『筑豊の子どもたち』で描いたように、家庭の貧しさが子どもたちの上に集中的に現われる時代が、あることはあった。
だが、経済企画庁が「もはや戦後ではない」と豪語したのは1956年で、その後の日本は「奇跡の経済成長」の道をひた走り、その流れが「主流」となった。
目に見える「貧困」は、私たちの視野から急速に消えていった。朝日新聞の今回の当該記事は、その背景にあるのが、親のリストラと給与水準の低下だとしている。
後者の記事は、国民健康保険料の長期滞納を理由に、医療費の全額自己負担を求められる資格証明書を交付される人(つまり、保険証を使えない「無保険者」)が、04年度には2000年度の3倍に増えたことを伝えるものである。
他紙を含めてメディアには「縦並び社会」という用語が目立つようになった。経済格差が覆い隠せぬほどに顕わになって、従来、日本社会のあり方を(他の社会と比較して相対的に言えば)象徴する言葉であった「横並び社会」を用いるわけにはいかなくなった現実を客観的に示すものであろう。
若者の二人に一人が従事しているという派遣・請負・パートなどの「非正規雇用」の実態も少しは取り上げられるようになってきた。
1960年代後半に20代であった私は「フリーター」ではあったが、それは個人の自主的選択に基づくものであって、「構造改革」という時代の趨勢によって多くの若者たちに運命づけられたものではなかった。
これらの記事が掲載された日々と重なる1月4日に行なわれた日本国首相の年頭記者会見で、首相は次のような言葉を吐いた。「『改革なくして成長なし』と私は言い続けてきたが、それが決着をみた4年間だった」。
首相は「改革に痛みはつきもの」と語り続けてきた。首相が、経済財政担当相として重用してきた竹中平蔵(現総務相)もまた、かつてから「『構造改革』とは、一言で言えば、競争社会をつくること。弱い者は去り、強い者が残るということ」と語ってはばかることはなかった。
構造改革の最優先課題として位置づけられた「不良債権処理」の標的は中小企業に絞られ、その倒産が相次いでいる。
それに加えて、大企業も人減らしとリストラに励んだ結果、完全失業率が5%を上回る現実がつくりだされている。
労働者派遣法が1985年に制定された時に、「一時的、例外的」なものとする政府の説明に対して、経営者側に都合よく利用される本質を見抜いての反対論は根強くあった。
派遣労働は1999年には「原則自由」となり、「構造改革」政策真っ只中の2003年に、それまでは禁止されていた製造業にも解禁されたうえ、派遣期間の長期化も認められて、現在の事態に立ち至っている。
年間の自殺者が3万人を超え始めたという驚くべき事態も、この「改革」の歳月をきっかけに続いているが、失業や倒産で前途を悲観した中高年層が多くを占めることもよく知られている。
もちろん、他方に、これらの現実とは対照的な事柄も、この社会には並存している。毎月何万円もの塾費用を支払う形で「子育て」に励む家庭も、決して少なくはない。さらに大きく見れば、トヨタを筆頭に大企業は異常なまでの増益を続け、金融を除いた企業の余剰資金は83兆円にまで積み上がったとされている。
首相にとっても竹中にとっても、これらの事態は折り込み済みであろう。
先に引いた首相や竹中の言葉が明らかにしているように、人間社会のあり方として「弱肉強食」原理に貫かれてよいとの信念をもっているからこそ、すなわち、一方に「痛み」を一身に負う者(中小企業とそこに働く生活者部門)がおり、他方に増収に増収を重ねる者(大企業部門)が生まれてもそれは当然だとするのが、その政策の本質だからである。
雇用・労働・生活部門の犠牲において、マクロ数値の飛躍的な増大を図ること。この政策によって、解決がいっそう困難な、新たな「構造問題」が生まれているという自覚は、外交をはじめとする他のすべての政策分野におけると同じように、現首相にはない。
私は、「アメリカ(米国)的なるもの」を標柱として推進されてきた、この間のグローバル・スタンダードに合わせた日本的構造改革の歩みを見ながら、1970〜80年代に世界に先駆けてそれを経験したラテンアメリカのことをしきりに思い出さずにはいられない。
この手痛い経験をしたからこそ、彼の地では1990年代以降に、サパティスタ運動などに見られるような民衆レベルでの、グローバリズムに反撃する動きが始まり、それを背景として国政レベルでの「変革」の動きが相次いでいるのである。
ボリビアにおける「社会主義運動」(MAS)のエボ・モラーレスの大統領当選も、この文脈で捉えると、その意義が明確になる。
この場合は、もちろんのこと、モラーレスが先住民族・アイマラ人の出身であることが、その意義を倍加させていることにも注目すべきだろう。
反グローバリズムを掲げる側には内部矛盾も生じている。 グローバリズムを推進する国際金融機関・国際通貨基金(IMF)の指示に無条件には従わないことを国政レベルの方針としてきたブラジル+アルゼンチン両政府は、05年末、IMF への債務を繰上げ返済することを発表した。
ブラジルのルラ大統領は、これによって「植民地化の時代は終わった」と語る。だが、人口の5分の1が貧困ライン以下にある社会において、債務の「因って来る所以」を説明して債務不払いを宣言するのではなく、その責任当事者への支払いを優先して国家資金を充てることに対して、当然にも、NGOは批判の声を挙げている。
この間グローバリズムの進行に伴ってラテンアメリカで生起してきた(している)正負のすべての面は、「先進資本主義国内で『周辺部国』化しつつある日本」(内橋克人による表現の要約)に住む私たちにとって、深い教訓を与えてくれるように思える。
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