神奈川県相模原市は、在日米軍のキャンプ座間と相模総合補給廠を抱えている。 2006年5月に発表された日米戦略協議の最終報告文書「再編実施のための日米ロードマップ」によれば、キャンプ座間には米陸軍第1軍団から新編成司令部(UEX)が移駐する。
さらに2012年までには陸上自衛隊中央即応集団司令部が移転し併置される。相模総合補給廠には戦闘指揮訓練センターが併置されるという。
米軍の世界戦略の中に位置づけられた統合作戦に、日本自衛隊が完全に包摂される「未来像」が、相模原に象徴的に現れている。容易ならぬ事態である。
それに危機感を抱いた基地反対運動に取り組む市民運動の中から、「黙っていると一〇〇年先も基地の町」というスローガンが生まれたという。端的で、わかりやすい訴え方ではないだろうか。
「一〇〇年先までだって? まさか!」という反応も生まれそうだから、いっそう有効な働きをするかもしれない。私は、「反テロ戦争」なるものが強引に開始されて以降のこの数年間、あろうことか(!)キューバにおける米軍基地の存在に講演や文章で触れるたびに、基地が設置されてからの、やはり「一〇〇年」という時間幅が意味するところに言及する機会が多かった。
そこで、相模原で反基地運動を展開する人びとが掲げたスローガンに意を強くして(共感して)、この問題にあらためて触れておきたい。
キューバ東部の町、サンチアゴ・デ・クーバのさらに東部に、その基地はある。反独裁のたたかいを展開するためにカストロやゲバラが篭もってゲリラ戦を展開した山なみ、シエラ・マエストラからも、さほど遠くはない地点だ。
そこに、1959年革命を経て後も米軍基地が存在していることは、「知る人ぞ知る」事実ではあった。総面積およそ115平方キロ、通常は海軍・海兵隊790人が駐留している。かつては3000人のキューバ人基地労働者がいたが、現在は10人だという。
米国は年間4085ドルの低額な賃借料を払っているが、革命後のキューバ政府は小切手を換金していない。この基地の存在がひときわ注目を浴びたのは、2002年1月であった。
アフガニスタンに対する一方的な殺戮攻撃を開始して3ヵ月を経た米軍が、「捕捉」したターリバーン兵やアルカイーダ・メンバーをグアンタナモ基地に収容すると言って、カンダハールからグアンタナモへの直行便を飛ばしたのである。
それ以降常時500名以上の人びとが収容されている。ジュネーブ協定が規定する「捕虜の人道的処遇」を逃れるために、米国政府は収容されている人びとを「非合法の戦闘員」と名づけた。
弁護士をつけての裁判の対象でもない。「超法規的な」存在にさせられているのである。厳重な報道管制下にありながら、それでも、処遇の劣悪さ、拷問、クルアーン(コーラン)をトイレに捨てるという宗教的な侮辱――などの実態は、きれぎれにだが、伝えられてきた。
イラクのアブ・グレイブ刑務所における捕虜虐待の原型は、むしろグアンタナモ収容所で形作られており、「衣服を剥ぎ取る」「睡眠を奪う」「食事を与えない」「犬で威嚇する」「暴行を加える」などの「実験」がそこでなされたが、米国司法省と国防省はそれが許される範囲の方法だと認めてこれを採用したことを、米国の人権組織が告発している。
2006年に入ってからも、2月に国連のアナン事務総長が、5月には国連の拷問禁止委員会(在ジュネーブ)が、同じく5月には欧州連合(EU)議長国オーストリアのプラスニク外相が、それぞれ人権擁護の観点からグアンタナモ収容所における処遇状況を批判し、可能な限り速やかにこれを閉鎖するよう、米国政府に要求している。
だが、米国政府はこれらの抗議をいっさい無視している。外国に設けた軍事基地におけるこの傲慢な振る舞いは、もともと、この基地の起源とも関連していよう。
米軍がグアンタナモ湾に上陸したのは1898年である。当時スペイン領植民地であったフィリピンとキューバで独立闘争が勝利を収める時期を見計らうように、米国はスペインに宣戦布告を行なった。
戦争の局面は、フィリピンとキューバの独立闘争から、米国・スペイン戦争に変わった。戦争は、米国が勝利して終わり、講和会議は、フィリピンとキューバの民衆の頭越しに、米国・スペイン間で行なわれた。
フィリピンはスペインから米国へ200万ドルで売り渡された。キューバは米国の占領下におかれた。1901年、米国議会はキューバ独立を「承認する」に際して、新しいキューバ憲法に「付加されるべき」以下の条項を採決した。
(1)キューバ政府は、いかなる外国との間でも、キューバ独立を損なうような条約・協定を結んではならない。
(2)キューバ政府は、返済能力を超えるような債務を負ってはならない。
(3)キューバ政府は、キューバ独立を擁護し、市民の生命・財産・自由を保護するにふさわしい政府を維持するために、米国が干渉する権利を有することを認める。
(4)キューバの独立を維持し、その国民を防衛し、また他ならぬ自らの防衛のためにも、キューバ政府はしかるべき地点に米国海軍のための燃料と基地用地を売却あるいは貸与するものとする。
米国の軍事占領下におかれていた間に、下からの独立をめざす諸勢力は解体され、革命党も臨時政府も消滅させられていた。
それでも、これらの条項を他国の憲法に強要することが独立国家の主権を侵害することは、誰の目にも明白だったから、キューバでは激しい反発と抗議の声があがった。
米国は、この条項を受け入れるか、それとも米国の軍事占領の継続を選ぶかの二者択一を迫った。
「9・11」の直後にブッシュが世界に強いた「われわれにつくのか、テロリストに味方するのか」と同じく、驚くべき二者択一である。
国家間の関係倫理としては等しく「あってはならない」ことだとはしても、一世紀前の米国・キューバの間に、このような強要・被強要の関係があり得たことは、歴史段階として「理解」できる範囲にある。
強者の立場で歴史を回顧することを好む連中がよく言うように、それは「植民地をもつことが当たり前だった」時代の話である。
では、21世紀初頭の話としての「米軍再編」の背後に浮かび上がる日米関係の場合はどうだろうか?
敗戦後15年目の1960年にはすでに「自立」した帝国主義国となっていた日本は、それから数えて46年を経ている現在の段階でもなお、このような対米関係しか結ぶことができないのだろうか?
対米交渉の矢面に立つ日本国官僚と政府閣僚は、社会全体や議会挙げての論議を提起することもなく、なぜかくも「従属的な」対米関係に身を差し出すのだろうか?
私はいま、或る「未開社会」についての刺激的な研究書を編集しているのだが、そこで見かけた言葉が頭を離れない。
「かつて人間にはあらゆる形態の権力と隷属状態を拒否する傾向があった。それはいかなる階層秩序もなく、人間の本性に合致した『未開社会』である。現代社会に生きるわれわれはその本性を失い、致命的な欲望、つまり支配したい、あるいは支配されたいという欲望に負けている。人民は、まるで運命の犠牲者、魔法の犠牲者ででもあるかのように、専制君主に仕えたがるものである」。
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