(一)北朝鮮について
最近はあまり読まないが、いっとき朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の「内幕」を描いた本を次々と読みふけったことがあった。
一九八〇年代の半ばから後半にかけてのころのことだ。理由はいくつかあるが、この文章の論点に即したものにだけ触れる。
軍事政権下の民主化運動という一面に重点をおいて私が関心を持ち続けてきた韓国で、それだけだは捉え切れない多様な社会的現象が現れてきていることに気づいたこと。
それに気づくということは、同時に、「南」の民主化には熱烈な関心を抱きながら、明らかに一部特権階級の圧政下にある「北」への無関心が共存していたことへの内省が生まれたことを意味していた。
同じころ、中東からソウルに向かう大韓航空機爆破事件が起こったが、その実行者が、金正日の指示を受けた北朝鮮秘密工作員であったことを私が確信したことも、北朝鮮の現実への関心をかき立てた。
北朝鮮関連本を集中的に読んだのは、一九六〇年代半ばに続いて二回目だったが、総じての感想は次のようにまとめることができる。
(一)数千年に及ぶ民族史を、二〇世紀のある一時期に政治指導者として君臨したに過ぎない「首領」親子の家系史に矮小化している。
それを正当化するために、「血」と「身分」の論理が貫徹した歴史観に依拠しながら、「社会主義」を自称するのだから、後者は明らかに、この国の現代史が置かれていた第二次世界大戦直後の国際状況に規定されて、恣意的・便宜的に選択されている仮の姿に過ぎない。
(二)その「君臨」の様態は、政治的反対者に対する徹底した粛清の原理に貫かれている。また「政治的」とも言えない各種の些細な理由によって、多数の住民の居住地域を制限・隔離し、強制労働収容所に閉じ込め、劣悪な処遇のままに放置している。
(三)「首領」は、トーチカに守られた広大な別荘を転々としながら贅沢な暮らしをする一方、その取り巻きから外れた多数の民衆は飢えと冬の寒さにも耐えることのできない生活を強いられている。
(四)こうして、日本が侵略戦争に敗北して以降の戦後史の過程でこの国に成立したのは、伝統的な儒教主義と、日本による植民地支配の過程で根づいた天皇制と、戦後過程で状況的に付き従ったソ連から直輸入されたスターリン主義という、三種が混合した、異様な支配体制である。
(二)日本について
日本の戦後史は、一九九〇年前後に大きな転機を迎えたと振りかえることができる。
この時期は、世界的に見ても、東欧・ソ連社会主義圏の体制崩壊、ペルシャ湾岸戦争などの歴史的な激動に見舞われている。
前者は、これらの地域における社会主義としての実像がどうであったかは別として、人間社会のあり方に関わるひとつの理想主義(=夢)が無残に敗北したことを意味している。
後者では、世界の大勢が「悪」と規定した一指導者に率いられた国家に対して戦争が発動されたときに、どうすべきかという問いを、憲法9条の規定をもつ日本が突きつけられたと言える。
このときから、どんな時代が始まったか。理想主義の敗北は、止め処のない現実肯定主義を生み出した。
その延長上で、戦争行為に関わっても世界各国の政治指導者が選択した大勢に従うべきだとする考え方が、まずは支配層内部に台頭した。それが実現することを根底から阻止する力が、社会的にはなかった。
米軍の戦争資金一三〇億ドルが拠出され、戦後には地雷撤去のために自衛隊掃海艇がペルシャ湾に派遣された。それからさらに、およそ一五年を経た現在、私たちの社会がどこまで行き着いているかについては、言うまでもないだろう。
この状況が生み出されるにあたっては、何よりも、この社会を構成する人びとの価値意識の変化と、それによる政治・社会状況の激変に理由を見い出すべきであって、私たち自身の責任を他者に転嫁できるものではない。そのことを自覚したうえで、以下のことに触れておきたい。
北朝鮮指導部のあり方は、この状況のなかで、軽視できない「役割」を果している。同指導部が、自らの社会のあり方を「社会主義」と自称している以上、客観的にはその醜悪な「社会主義」的現実が、ソ連なき後の日本における理想主義の後退と現実肯定主義の浸透に寄与したと私は思う。
そして、この「社会主義」国指導部は、この間の自らの政治のあり方を「先軍政治」と名づけた。この一五年間、国際政治上の大きな話題を提供してきた北朝鮮による核開発計画とミサイル発射実験の試みはその象徴である。
私の一貫した考えでは、日米韓政府に対する激越な非難の言葉を伴った北朝鮮の「先軍政治」は、北朝鮮に対する「太陽政策」を実施している昨今の韓国は例外として、自らも軍事優先政策を採用したい日米政府・財界の利益に、見事に叶っている。
ときどきの情勢の中で吐露された支配層の言葉の中には、その心情を正直に表現したものがある。一九九八年の「テポドン発射騒動」を思い起こそう。
元陸上自衛隊人事部長で、現在は軍事アナリストを名乗って、日本の軍事社会化をもくろむひとり、志方俊之は、そのとき語った。
「太平洋戦争時のシーレーン喪失と空襲(B29および広島、長崎)の経験に由来して、日本人には本能的な恐怖がふたつある。台湾海峡問題への敏感さはシーレーン問題に関わる。ノドンは空からの脅威だ。そこへテポドン発射で引き金を引かれ、一気に偵察衛星やTMD(戦略ミサイル防衛)構想までの議論が沸き起こった。自民党政権で何十年かかってもできなかったことが進みだしたのだから、大きな前進で好ましいことだ」(『諸君!』一九九八年一二月号)。
主要には米国との政治的取り引きのために行なっている北朝鮮の軍事的冒険が、誰を利することになっているかが、ここでは率直に語られている。
北朝鮮において恐怖の民衆支配体制を作り上げている金正日政権は、こうして、日本政府とマスメディアがその国の核開発とミサイル発射の恐怖を言い立てさえすれば、易々と民心を自国防衛主義の渦の中に取り込むことができる、好都合な「役回り」を演じているのだと言える。
(三)日本と北朝鮮の関係について
二〇〇二年九月一七日、日朝首脳会談が行われ、遅きに失したとはいえ、両国間で国交正常化に向けての合意がなった。
だが、同時に、「首領」金正日は、一時期北朝鮮特務機関が一三人の日本人拉致を行なっていたことを認め、しかもそのうち八人もが死亡していたことを発表した。
「ミサイル」発射実験を近場で行なう主体と、「日本人拉致」を行なった主体は、ここで事実として、合体した。
これ以降、北朝鮮国内における金日成=金正日一族独裁の実態も、興味本位な内容のものが多いとはいえ、大衆的なレベルで浸透しうる形で、次々と明るみに出された。
私たちは、これらの事実の積み重ねの上で、二〇〇六年段階での「北朝鮮の〈ミサイル〉と〈拉致〉問題」に対峙しているのだと言える。
「国家主権」の問題として言うなら、北朝鮮のミサイル発射実験のみが国際的に非難されるべき理由は、微塵も、ない。
絶えず行なわれている日米軍隊の共同軍事演習、横須賀を母港とする米艦船に北朝鮮を標的として装備されているトマホーク巡航ミサイル、今回の北朝鮮によるミサイル発射実験と同日になされた、数日前から小樽に入港していた米第七艦隊空母キティホークの出港(キティホーク艦上から行なわれてきたのは、ミサイル発射実験どころではない。多数のイラク民衆の殺傷行為である。
その空母が小樽港に出入りすること自体が、北朝鮮や中国に向けた、日米共同の軍事的意図の表現であることは疑う余地もない)、自衛隊を米軍の指揮下におき、もって米国が作り出す世界各地の戦争に自衛隊を参加させる「在日米軍再編」構想と、そのための憲法9条の改定の目論見――他人(北朝鮮)の非を言う前に、わが身を省みて正すべきことがらを、日米両国はたくさん抱えている。
その意味で、日本政府による一方的な北朝鮮「制裁」策動や、マスメディアが悪煽動する「制裁感情」がもつ二重基準は、厳しい批判にさらされるべきである。
このように、現行の国際的秩序を前提とすれば、「国家主権」の問題としてなら、いかなる政権も等しく対等な立場で、軍事的な立場の主張をすることができる。
もちろん、その主張は軍縮や核兵器削減から全廃の方向へ向かうことが望ましい。だが、大国の核独占や強力な軍隊の存在に手をつけることなく、弱小国にのみ別な基準を強制しても、意味をなさない。
この問題で私たちが直面する論理上の難しさは、次の点にある。私が見るところ、金正日は、自己の個人的な延命の方策を「国家主権」の問題とすり替えて、その軍事的な政策を展開している。そのことを見きわめたうえで、北朝鮮にはミサイル発射実験を行なうだけの「国家主権」が「論理的には」あることを言う慎重さが必要であると思える。
すなわち、これだけの挑発活動を行なっている日米には、北朝鮮のミサイル発射実験を云々できるわけはないだろう、という段階の解釈から、私たちが、どの方向へ、どこまで抜け出ることができるのか、ということである。
「拉致」問題に関しても、金正日独裁に由来する責任問題が残る。歴史的な経緯と、この国における地下活動の指揮系統からいって、金正日は「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうこと(日本人拉致)を行なった」と言って、責任を他人に転嫁して済ませわけにはいかない立場にある。
行為責任と処罰の観点から言えば、金正日は「有罪」と推定されるというのが、私の考えだ。ここでも、金正日は、日本の植民地支配および侵略戦争という消しがたい犯罪および戦後補償の不履行という戦後責任の問題と、自らの責任にまで及ぶ拉致問題との、相殺的な幕引きを、二〇〇二年九月一七日段階では図ったというべきだろう。
私は、拉致問題と日本による植民地支配(その下でのアジア侵略戦争の展開、そこでなされた強制連行、軍隊慰安婦としての徴用)は、別個の問題であって、それぞれの責任が別個に追及されるべきだと主張してきた。
人の死をも伴う悲劇に「相殺」の論理は成り立たないからである。人の死は個別・具体的なものであって、他者の死と「差し引いてゼロにする」ことは適わないからである。
「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」との立場から、外交交渉の道を塞いだ日本政府も、拉致問題のみを煽動的に取り上げて日本社会の過去・現在責任には言及しないマスメディアは、今後も厳しい批判の対象とすべきだろう。
同時に、この問題をすら、自己延命のための取引材料に使っている金正日の本質に言い及ばない言動は、現在の日本の社会状況の中で、その意義を著しく損なうだろう。
二〇〇六年晩春から初夏にかけて、新たな展開をみせた〈拉致〉問題と〈ミサイル〉問題の成り行きを見ながら、そんなことを考えている。
(二〇〇六年七月二九日記す) |