書評 『国家の品格』 藤原正彦/著
新潮新書680円(税別)ISBN4-10-610141-6
米国主導のグローバリズムに対する批判が随所に出てくる。先進国の荒廃を語り、イラク戦争の独り善がりにも触れる。うなずく人も多かろう。
代わり得るものは何か。「(日本が国家の品格を)取り戻すことが、現在の日本や世界にとって最重要課題」という言葉で本書は始まる。
そして「(欧米の教義が破綻をみせて、途方に暮れた)世界を本格的に救えるのは、日本人しかいない」という言葉で終わる。なぜ、日本人はかくも「独特で」「特殊で」「独創的」なのか。
著者の主張するところによれば、論理にのみ依拠してきた欧米文化には、「情緒」も、伝統に由来する「形」も欠けている。
四季の存在、桜、紅葉、俳句、庭、華・茶・書などの道などを見ても、自然に対する日本人の感受性は抜群だ・・・。
証明もなければ、深い洞察もない、こんな断言命題が一九〇頁も続く。小見出しに導かれて一〜二分間で読み終えることのできる短い話題が、立ち現れては、消える。前の話題と次の話題の間に、「論理的な」関連は、ほぼない。
グローバリズムの後追いをして「国柄」を失い、「国家の品格」をなくし、マネーゲームにうつつを抜かす現代日本への、著者の絶望は深い。
にもかかわらず、行き詰まった欧米文明を克服できるのは、日本人だけだという信仰告白を読者は聞かされるのである。
講演記録をもとに執筆した、という。言葉が次々と過ぎて去ってゆく講演として聞けば、ふんふんとうなずいて、帯の惹句が言う「(日本人としての)誇りと自信を与え」られる人もいるかもしれない。
だが、本を読む場合には、そうはいかない。反芻の機会がある。中身を吟味する主導権は、読者側が持つ。
とはいっても、歴史を弁えない、こんな超歴史的な、とんでも本がベストセラーになっている風潮は薄ら寒い。歴史哲学も、論理的脈絡も、他者存在への思いも欠いたコイズミ語が氾濫する時代風潮に似つかわしい。日本はやはり欧米もろとも、荒廃の、行き着くべき地点まで行かずにはおかないのだろうか?
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