久しぶりに「琉球共和社会憲法 私(試)案」を読んだ。川満信一が1981年に発表したものである。
「浦添に驕るものたちは浦添によって滅び、首里に驕るものたちは首里によって滅んだ。
軍備に驕るものたちは軍備によって滅び、法に驕るものたちもまた法によって滅んだ」などの印象的な前文で始まるそれは、国家の廃絶を宣言し、軍隊・警察そのほかの国家的管理機関と官僚体制など権力を集中させる組織の撤廃を謳う。
「夢ばかり見ているから、現実にはちっとも役に立たない」とか「現実から遊離した観念の遊びだ」と嘲笑されるばかりと、川満自らが言う「私(試)案」は、「共和社会人民の資格」「不戦」「女・男・家族」「労働」「商行為の禁止」「自然環境の復元」などをめぐって全56条に及ぶ規定をもつ。
川満の、この極私的な「夢想」を読むと、先ごろ発表された自民党の新憲法草案はもとより、現行憲法が、国家や権力の根源を温存している内実をもつことが、あらためて透けて見えてくる。
この十数年来というもの、自衛隊の社会的露出が始まったころから、私は自衛隊廃絶(国軍解体)の理念がどんな道筋をたどって可能になるかと、いくつもの方法で考えてきた。
その過程で、数年前、キューバのカストロが「軍備全廃・革命軍解体」方針を打ち出すという「夢想」を書いたことがあった。
カストロが知ったら、間違いなく「先進国インテリの、観念のお遊び」と罵倒するであろうその夢想に行き着いて、私は、ブルジョア国家の国軍はもとより、それへの対抗武装力としてのゲリラ・解放軍・革命軍・人民軍を究極的には廃絶すべき根拠に至ったと思った。
馬鹿馬鹿しいこと限りない、空疎で貧しいコイズミ的な言語があふれる時代に、豊かな「夢想」なくして、人は生きられるものか!
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