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グローバリズムか、「抵抗の五〇〇年運動」か
「抗米枢軸」形成が進むラテンアメリカ情勢を読む |
『季刊ピープルズ・プラン』第33号(2006年冬号、2006年2月28日発行)掲載 |
太田昌国 |
一
二〇〇五年一二月、「良き枢軸:キューバ・ベネズエラ・ボリビア」という用語が国際政治に登場した。
年末のボリビア大統領選挙で当選した「社会主義運動(MAS)」のエボ・モラレスは、正式就任前にただちにキューバとベネズエラを訪れ、それぞれの最高指導者フィデル・カストロおよびウーゴ・チャベスと会談したが、その際にモラレス自身によって語られた言葉である。
この用語は、これら三国が存在しているカリブ海・ラテンアメリカ地域に政治的・経済的・軍事的に「君臨」してきている米国から見れば、もちろん、「危険な三国同盟」と言い換えられるだろう。私は、一九五九年キューバ革命の勝利とその後の展開過程に深い衝撃を受けた。
とりわけ革命初期の八年間を特徴づけていた「第三世界主義」と「キューバ型社会主義」の試行錯誤に大きな関心を持ち始め、その後もこの地域全体の同時代史を見つめてきた。多様な形での、現地の人びととの交流も続けてきている。
そのような私から見ても、ラテンアメリカ全域で、見過ごすことのできない大きな変化が二〇世紀末に至ってから起こっている。
この変化の意味を、歴史的な展望と、同時代史的な視野で捉えておこうとするのが、この小さな文章の目的である。
二
事態をまず歴史的な展望で抑えておきたい。一四九二年の「征服」、すなわちコロンブスのアメリカ大陸到達の年から数えて今日までの、五一四年間におよぶことになるラテンアメリカ史上でも、もっとも意義深い出来事のひとつが、二〇〇六年一月に生まれた。
ボリビアに、この地の先住民族アイマラ人を出自とする大統領が、一般選挙を通じて選出され就任したのである。これが、なぜ、それほどまでに歴史的な事態なのか。そのことから考えていきたい。
ラテンアメリカの歴史、文学、映画、音楽などに親しんだ人にとっては明らかなことだが、この地においては先住民族の存在そのものが、そして彼(女)らが体現する歴史・文化・言語・習慣などのすべてが、「黙殺と忘却と侮蔑」の対象である。
「黙殺と忘却と侮蔑」を行なうのは、五世紀前に行われた「征服」の精神を疑うことのない、この地域における政治的・文化的・経済的勝者としての白人層(クリオージョ)である。
大半の混血層(メスティーソ)は、先住民と白人の双方の血を引き継いでいるという意味で複雑な心境を抱えながらも、社会的な規範力に規定されて、上の価値観に追随する。
「征服」事業にも同伴したスペインのカトリック僧ラス・カサスが、一六世紀半ばに書き著わした『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』という小さな書物が、「征服」を可能にした精神を知るうえでもっとも大事な、痛憤の書であるということは、私たちの間でもようやく定着し始めている。詳しくは、同書に譲る(註1)。
私が、キューバ革命を介してこの地域に関心を持ち始めた一九六〇年代以降になされたいくつかの表現を通して、「征服」時のこの価値観がいかに根強く現代にまで生き続けているかを検証してみよう。
一九六〇年代前半、ペルー農村部でケチュア人先住民(インディオ)農民を主体とした反地主闘争の指導者であったウーゴ・ブランコは述べている。
「インディオは酔っぱらった時でさえ決して歩道を歩こうはせず、頭を高くもたげて大声でケチュア語を話そうともしなかった」。だが、闘争がこの状況を変える。
「コカの匂いとケチュア語が満ちた。大声で話されるケチュア語。叫ばれ、脅かし、何世紀もの抑圧を引き裂くケチュア語」。
ウーゴは結論する。「インディオ的なものを称揚することだけでも、それはすでに革命なのである。それは世界に、またインディオ自身に、インディオが人間であると示すことである」(註2)。
一九六六〜六七年、反帝国主義ゲリラ闘争の展開を目指してボリビアのゲリラ根拠地にいたチェ・ゲバラは、周囲の先住民農民の目に兆す、刺すような不信の視線を前に「インディオは他人が入り込めない目つきをしている」と語ったと伝えられている(註3)。
この言葉自体は、差別意識の現われではない。だが、ゲバラが医学生時代の無銭旅行の様子を得がたい表現で綴った『モーターサイクル南米旅行日記』には、白人国=アルゼンチンに生まれ育ったゲバラが、アンデス諸地域で先住民とその生活実態に触れて、深い怒りと悲しみを抱く場面が何度か出てくる。
上の表現は、その彼にして、「民族の壁」を乗り越えることができずに感じざるを得なかった孤立感を物語っている。
アンデス先住民の世界観と価値観から深く学ぶことが、人びとが疎外されている欧米型差別社会の変革のために必須なことであるという立場から、一九六〇年代以降映画製作を続けてきているボリビア・ウカマウ集団のホルヘ・サンヒネス監督は、一九八九年製作の映画『地下の民』において、次のような挿話をあえて入れた。
すなわち、インディオに対して「君たちの味方だ」と語る左翼学生が、窮地に陥ったとたんに「くそインディオめ!」と叫ぶのだ。
そこには、先住民に対する差別意識をいまだに断ち切ることのできない左翼がアンデス世界に存在していることが暗示されている(註4)。しかも、それが世界に普遍的な現実であることを否定することは難しい。
このような支配的な歴史観を大きく揺り動かす出来事が、二〇世紀末を迎えた一九九〇年代に、ふたつ起こっている。
ひとつ目は、一九九二年の「コロンブスのアメリカ大陸到達五〇〇年」にまつわる出来事である。スペインをはじめとするヨーロッパ世界と白人層にしても、この歴史上の出来事を、さすがにもはや「発見の偉業」とは称えることはできなかった。
そこで「異民族同士の出会い」と表現した。だが、それは「征服」であって、対等な「出会い」ではなかったと考えるラテンアメリカの民衆運動組織は「先住民、黒人の民衆的抵抗の五〇〇年」キャンペーンを展開した。
各地域で、先住民が新しい歴史を創造する主体として登場していることが、遠く日本で情報を得ているだけでも理解できた。
日本でも、アイヌ民族・琉球民族との歴史的関係性の中で日本近代史を捉え直そうとする気運が、これを契機に深く醸成された。
これは世界的規模で展開されている歴史観の変革であることが実感できた。どんな否定的な現実が根強く残存しているとしても、確実に変革されていくことがらはあるのだ、と私が確信できた得難い機会であった。
私はこの歴史過程を捉える視点を「五〇〇年史観」という言葉で表現するのが適切だと考えた。これによって、帝国が植民地を領有することによって世界を二分してゆく近代以降の過程を、総体として把握する歴史観・世界観が形成されるだろうと思えたのだ。
さて、ふたつ目の出来事は、一九九四年に起きたメキシコ・サパティスタ蜂起である。この蜂起が意味するところのものについても、私は蜂起の直後から何度にもわたって論じてきた(註5)。
サパティスタ運動の、他に類を見ない特徴は「伝統的マルクス主義を頭いっぱいに詰め込んだ都会派知識人と、ヨーロッパ世界とはまったく無縁に形成されてきた世界観・歴史観を有するアメリカ大陸先住民とが出会い、相互浸透した」点にあると私は考えた。
それを基盤に生まれたサパティスタ運動の理論と実践は、メキシコ国内はもとより世界的な注目と共感を呼び起こした。
五世紀にわたって「黙殺と忘却と侮蔑」の対象としてきた先住民族なるものが、ここまで公然と自己主張を始めた現実に直面して、既存の世界秩序は少なからず揺さぶられ、変わらざるを得なかったのである。
サパティスタ運動の来るべき未来は予断を許さないにしても、公然化して一二年間に及んでいるその運動が、既成秩序と概念に対して本質的にもっている創造的な破壊力は、もはや消去しようもないと思われる。
エボ・モラレスの大統領当選に見られるボリビア先住民運動の進展は、このようなラテンアメリカ的かつ世界的現代史のなかにこそ位置づけられるべきものだろう。モラレスは一九八〇年代に大衆的農民運動への関わりを始めている。
コカ栽培農民(コカレロ)の権利獲得運動である。当時のボリビア政府は、コカイン根絶の責任をコカ葉の生産地であるアンデス諸国に転嫁する米国政府の押し付け政策に忠実に、コカ栽培農民に血の弾圧を加えていた。
コカ葉は、アンデス民衆の生活と文化に深く根ざした使われ方をしている植物であって、代替しうる商品作物はなく、コカインには反対だが、悪用する者を取り締まる権限を自分たちが有しているわけではない、とするのがコカレロの言い分だ。
モラレスは、常に政府の弾圧にさらされるコカレロスたちの運動の後ろ盾になる政党がいない現状を変革するために、既成の政党であった社会主義運動(MAS)を通じて政治過程に登場した。
サパティスタの場合ほどに明示的に語られてはいないが、MASにおいては、この先住民運動と、ソ連崩壊後の新たな道を模索する旧左翼との合流が果たされているように思える。
因みに、エボ・モラレスは、キューバ革命勝利の年・一九五九年にボリビア・オルロの村に生まれている。
キューバ首相フィデル・カストロは、一九六六年から六七年にかけて盟友チェ・ゲバラが大陸革命の根拠地として選んだボリビアにおけるゲリラ戦を側面的に支援した。
モラレスが一〇歳にも満たないころのことである。ゲリラ地区の農民とオルロ地区の鉱山労働者との結合は成らず、ゲバラの試みは失敗して、彼も亡くなった。
こうして、ボリビアの伝統的な支配層にとってキューバは仇敵であった。そしていま、モラレスは、当選直後にカストロが差し向けたキューバ航空機に乗って、いち早くキューバを訪問した。
これらの事実をエピソード的に列挙するだけで、半世紀に及ぶ歳月の時代の流れ、その間に生起した民衆運動の戦い方の変化と国家間関係の激変――などがうかがわれて、感慨深いことだ。
三
次に、同時代史的な視野でこの間の事態を捉えておきたい。ラテンアメリカ地域は、ソ連邦社会主義圏が崩壊した一九九〇年前後からとみに世界を席巻しつつある新自由主義(ネオリベラリズム)の荒々しい洗礼を、世界に先駆けて一九七〇〜八〇年代からすでに受けていた。
キューバ革命の吸引力もあって、一九六〇年以降の同地域では、激しい反帝国主義・反政府の武装運動と大衆運動が起こり、東西対立(=冷戦)状況がきわめてくっきりと刻印されていた。米国は、ソ連=キューバ枢軸と対決するために、各国の親米政治勢力と軍部を支えた。
キューバ革命直後のブラジル軍事クーデタ(一九六四年)、世界史上初めて選挙によって成立した社会主義政権を崩壊させたチリ軍事クーデタ(一九七三年)はその典型である。大国・多国籍企業・国際金融機関は、これらの軍事政権を積極的に利用して、新自由主義(ネオリベラリズム)改革を押し付けた。
軍事政権の強権的な国内政治が、それに随伴した。それが、いかなる現実をラテンアメリカ地域に作り出したかについては、内橋克人+佐野誠=編『ラテンアメリカは警告する――「構造改革」日本の未来』(新評論、二〇〇五年)が大いに参考になる。
新自由主義改革がラテンアメリカにもたらした恐るべき結果が明らかになり始めたころ、ソ連型社会主義体制が無惨に崩壊した。
新自由主義は余勢をかって、市場原理を唯一絶対の指標とする「グローバリゼーション」なる新たなる装いをもって、全世界を席捲し始めた。
この状況を前に、資本主義の現代的表現としてのグローバリゼーションの起点を、ヨーロッパが異世界を征服し始めるきっかけとなった「コロンブスの航海」の時代に求めるべきだと私には思えた。
コロンブスの航海とアメリカ「発見」は、多くの場合、コミュニケーション(交通形態)機能に注目して「世界をひとつにした」と表現されてきたが、これは「植民地化事業が開始されることによって、世界を南北に分断した」と表現するほうが適切だろう。
先に触れた「五〇〇年史観」なる表現は、ここでも意味をもつだろう。「先住民族」を強制的に生み出したヨーロッパ近代の地理的膨張運動と、それによって可能になった経済的膨張運動(グローバリゼーション)の、双方の起源を明確にし、これを批判的に克服する道を模索するうえで、この問題設定が有効に作用するだろう。
グローバリゼーションに真っ向から抵抗したのが先住民主体の運動であることは、ここまで考えてきた問題を深めるうえで、きわめて示唆的なことだと思える。(一九九四年)サパティスタ蜂起が主要に掲げた獲得目標のひとつは、当時発効した「北米自由貿易協定」(TLC)に抗議・反対するというものであった。
サパティスタが蜂起直後に発した「自由貿易協定は、先住民に対する死亡宣告にひとしい」という言葉は、国家間の対等・公正な交易原則をもたない自由貿易が、誰を利するものであるかを端的に言い当てている。
ボリビアにおいては、かつては鉱山労働者の運動が民衆運動の要をなしていた。軍事クーデタが起こるたびに、銃を手にした鉱山労働者が何台ものトラックにぎっしりと乗って、クーデタ阻止のために首都に駆けつけるという映像を、まるで不思議な光景を見るかのように眺めた記憶が何度もある。
だが鉱業は衰退し、鉱山労働者は激減した。多国籍企業は、今度は豊富なボリビアの水資源と天然ガス資源に着目し、これへの介入を試みてきた。
二〇〇〇年の「水戦争」、二〇〇三年の「天然ガス戦争」はその現われである。これら資源の私企業への売り渡し反対闘争の前面に立った主体が先住民であった。
四
意識しながら、触れずに済ませてきた問題がある。上に述べてきた出来事が、歴史的に振り返りかつ同時代感覚で捉えた時にきわめて意義深い、重要な事柄であるということは繰り返し確認できることだ。そのうえで、以下のことにも触れておきたい。
私はいままで、「先住民主体」に着目して、サパティスタ運動とエボ・モラレスの大統領就任とを並列的に論じてきた。
しかし、前者は当初から「権力を取ることを目指さない」と公言している社会運動である。そのことが、権力を掌握することを疑いようもない当然の前提と捉えてきた旧来的な社会革命運動とサパティスタを分かつ、決定的な分岐点である。
サパティスタが活動するメキシコにおいても、今年六月には大統領選挙が行なわれるが、現時点では「左翼」政党・民主革命党(PRD)のロペス・オブラドルが当選する確率がきわめて高いと予想されている。
この事態を前に、サパティスタは二〇〇五年六月に「第6ラカンドン宣言」を発表した。来るべき大統領選挙との関係で注目すべき点は、何事にせよ「下からの」合意形成を大事にしていること、選挙などという一時的な国政スケジュールに縛られることなく、広範な諸組織・個人が協働できる場を創り出すこと(統一組織の形成を提案しているわけではない)をめざしていることであろう。
サパティスタは、「左翼」政党候補者が大統領に選出される見通しが強い段階にあっても、現実の政党政治との間には適切な距離をとって相対しようとしていることが見てとれる。
これは、サパティスタが一九九四年の蜂起以来一貫して、非前衛主義的な社会運動の自律性を保とうとしてきていることに繋がっている。
他方、コカ栽培農民の権利獲得運動から始まったエボ・モラレスたちの運動は、彼(女)らの政治・政党観とボリビア政治の独自なダイナミズムに規定されて、国家政治の前面に進み出る道を選択した。それが史上初の先住民大統領を生み出すに至った画期的な意味についてはすでに触れた。
モラレスは大統領就任に当たって「民衆に従いつつ、統治する」という、サパティスタ独特の用語をそのまま用いてもいる。
閣僚の人選にも周到な工夫が見られ、ボリビアの民衆はおそらく、「政治」というものがかくも大胆に変わっていくものかということを、現在のところは実感しているのではないかと思われる。
モラレス政権が、歴代政権とは比較すべくもない「よりましな」政権であることに疑いはない。だが、同時に、国家権力を手中にしたことの困難さにモラレス政権がいかに「耐えて」いくかは、自ずと別な問題であろう。
ボリビア政治にまとわりついてきた家父長的・縁故主義的な重用の誘惑、米国の妨害と揺さぶり、多国籍企業・国際金融機関との関係の如何、急進左派からの批判、軍部や寡頭勢力への態度、コカ葉とコカイン問題――などをめぐる困難な諸課題が、「権力」の座にあるモラレスを待ちうけている。
この未踏の領域で鍵を握るのは、サパティスタ的な問題意識、すなわち、「革命的」ないし「革新的」政府および政権党と、それを支える一翼でもある広範な社会運動の間に、いかに緊張に満ちた関係性が築かれるかということであると思える。
言葉を換えれば、この厳しい状況のなかで、モラレスを大統領にまで押し上げた、現代ボリビアの多様な社会運動は、政府や政権党からの自律性をいかに保ちつつ、その活動を持続しうるだろうか、ということである。
先住民性などの新しい要素をもって登場している社会運動は、「国家」や「政権党」ごときに包摂され得ない豊かさをもっているという範例を示すことができるなら、ボリビアとメキシコの経験は、確かに世界普遍的にも生かされる場をもつだろう。
ここでは触れる余裕のなかったキューバ、ベネズエラ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなどを付け加えてみても、ラテンアメリカ地域には、確かに「抗米枢軸」の形成が進んでいる。
世界に先駆けてネオリベラリズムに痛めつけられてきた同地域で、いち早くそれへの抵抗が高まっていることは実に暗示的であり、世界にとっての希望の証しである。
だが、これらの国々での試行錯誤は、政府・政権党あるいはポピュリスト型指導者によって主導されているという限界的な性格は見ておかなければならない。
その意味で、本稿では、現在のところは新たな可能性を秘めていると思われるボリビアとメキシコに、とりわけ注目したのである。
(註1)ラス・カサス『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(現代企画室、一九八七年、石原保徳訳)
(註2)ウーゴ・ブランコ『土地か死か』(柘植書房、一九七四年、山崎カヲル訳)
(註3)ワンカール『先住民族インカの抵抗五百年史』(新泉社、一九九三年、吉田秀穂訳)
(註4)彼らのアンデス社会論・芸術論については、ホルヘ・サンヒネス『革命映画の創造』(三一書房、一九八一年、太田昌国訳)および太田昌国編『アンデスで先住民の映画を撮る』(現代企画室、二〇〇〇年)を参照。
(註5)最新のものは、『遠くから、サパティスタが問いかける普遍的な課題』に書いたので、詳しくはそれを参照していただきたい。
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