【掲載誌編集部によるまえがき】『反改憲運動通信』昨年暮の号に太田昌国さんが書かれた文に次のようにあった。
・・・数年前、キューバのカストロが「軍備全廃・革命軍解体」方針を打ち出すという「夢想」を書いたことがあった。・・・その夢想に行き着いて、私は、ブルジョア国家の国軍はもとより、それへの対抗武装力としてのゲリラ・解放軍・革命軍・人民軍を究極的には廃絶すべき根拠に至ったと思った。
馬鹿馬鹿しいこと限りない、空疎で貧しいコイズミ的言語があふれる時代に、豊かな「夢想」なくして、人は生きられるものか!・・・と。編集部は、太田さんにお願いしてその「カストロ演説」を「再現」していただいた。
【筆者によるまえがき】この文章は、紙幅の制約上、いつにもまして端折って書かれている。もう少し論理的・歴史的に「展開」しなければならない部分がある。
また、末尾部分は、1998年に書いた「第三世界は死んだ、第三世界主義万歳!」〔私の著書『ゲバラを脱神話化する』(現代企画室、2000年)に収録〕をそのまま使っている。遠くない日々に、加筆・訂正を期したい。
二〇〇六年――われわれは記念すべき年を迎えた。今から五〇年前の一九五六年一一月、われわれは亡命地、メキシコのトゥスパン港からヨット・グランマ号に乗って、バチスタ独裁体制の打倒をめざして祖国キューバへ向かった。同行した同志チェ・ゲバラがその後名づけたように「革命戦争の旅」に赴いたのだ。
八人乗りのグランマ号に乗ったのは八二名だった。さらに、メキシコで買い集めた武器・弾薬も積み込んだ。
この遠征にまつわる労苦と、その後キューバ東部のシエラ・マエストラにこもってのゲリラ戦の展開過程については、詳しくは語るまい。同志チェ・ゲバラの『革命戦争の旅』と『ゲリラ戦争』のふたつの著作が、何よりも雄弁に、そのことを語ってくれているからだ。
キューバ革命の第一歩を印したというべき一九五三年七月二六日の政府軍兵営モンカダに対する攻撃に始まり、グランマ号による遠征を経て、シエラ・マエストラを根拠地としたわれわれのたたかいを特徴づけるものは、それらがすべて武装闘争であったということである。
もちろん、都市部において、情宣活動、集会、デモ、ストライキ、サボタージュなどの手段によってたたかった人びとの存在を忘れるべきではない。だが、そのたたかいは、武装闘争との結合なくして実を結ぶことはなかったのだ。
なぜなら、われわれが相手にしていたのは、ひとりキューバの独裁者としてのバチスタに終わるものではなかった。その背後には、北の超大国=「北アメリカ合州国」がいた。この国は、その「建国」以降の歴史を振り返ればはっきりするように、戦争に次ぐ戦争で生き抜いてきたような国である。
戦争を公共事業として活用してきたような国家である。一世紀前にわれわれの祖先がスペイン植民地支配のくびきを絶とうとした瞬間に、米国は新生キューバに介入し、わが国を実質的な支配下におこうとした。
ニッケル、砂糖などの資源を奪い、金融資本を独占し、通信・交通・電話などの公共サービスを手中に収めた。そして、わが首都・ハバナを彼らが勝手気儘に賭博と売春に明け暮れることのできる歓楽街とした。
革命後四七年を経た現在にまで続く、われわれにとって屈辱的な介入にも触れようか。美しい東部の都市、サンチアゴ・デ・クーバの向こう側には何がある?
「グアンタナモ!」[と聴衆が叫ぶ]。そこには何がある? 「米軍基地だ」[と聴衆が答える]。そうだ。われわれの返還要求も無視して、米国はそこに居座っている。
二〇世紀初頭に定められたキューバ新憲法内の規定として米国が押し付けた基地提供条項は、両国政府の合意がない限り改廃できないというのだ。
一世紀、つまり百年の間には、世代は交代する。時代状況も変わる。価値観が大きく変化することもあろう。それらをいっさい考慮に入れることもなく、基地協定は不変だというのだ。
これが、二一世紀に入ってなお、大国と小国の間に続く不平等な関係の本質なのだ。こうして、われわれは止むを得ず「戦争に備える」ことを余儀なくされてきた。
だが、われわれの「戦争と平和」に関わる真の思いを語っているのは、ここでもチェ・ゲバラである。
革命翌年の一九六〇年、「医師の任務」について講演した彼は、次のように語った。「われわれは皆、隠れた危険が潜んでいることを知っていてもなお、いまだ周辺に存在している侵略を跳ね返す備えをしていてもなお、そればかりを考えることはするべきではない。
なぜなら、戦争に備えることを努力の中心に据えてしまったら、われわれが望むものを建設することは不可能だし、創造的な仕事に集中することができないからである。
戦争に備えるための仕事や、そのために投資される資本はすべて、無駄な仕事であり、捨て銭だ。戦争に備える者たちがいるばっかりに、ばかばかしいことにわれわれもそうせざるを得ないのだが、――私の誠心誠意と、兵士としての自負を込めて言うが――国立銀行の金庫から出て行くお金で一番わびしく思えるのは、破壊兵器を購入するために支払われるお金である」。
チェは当時国立銀行総裁であったから、この発言も生まれたのだが、これこそがわれわれの本意であった。この本意がありながら、「戦争に備える者たちがいるばっかりに」を「口実」として、われわれが革命勝利後の四七年間、軍備を怠ることがなかった事実は認めよう。
しかし、冒頭に述べたグランマ号の遠征から五〇年目を迎えた今日、われわれは重大な決意を固めた。すなわち、わが国は、今後一〇年計画で革命軍を解体し、軍備を全廃する。二〇一六年、わが国から常備軍は姿を消すだろう。
国家予算に軍事費が計上されることはなくなるだろう。「敵」の脅威が去ったわけではない。米国は変わることなくグアンタナモ基地に居座り続け、二〇〇一年以降アフガニスタンで捕らえたという、いうところのタリバーンやアルカイーダの兵士たちを劣悪な境遇の中で収容している。
米国がいま最も憎んでいる「敵」を、不平等な関係の中で他の主権国家に維持している軍事基地の中に収容して虐待している事実にこそ、この超大国為政者の凶暴な本質が現れている。スパイ衛星を飛ばしては監視を怠ることもない。
わが国に対する不当な経済封鎖も、厳格に続けられている。それでもなお、われわれは前述の決定を、決して後戻りすることのない性格のものであることを宣言する。
なぜ、われわれはこの決定を下したのか。革命前の相次いだ武装闘争や革命後の軍備的整備に勝るとも劣らないその困難な過程について簡明に語ろう。
われわれの社会革命の方向性が、キューバに重要な利権を有してきた米国のその利権を根底から揺るがすものであったがゆえに、わが国と米国との関係は抜き差しならないものとなった。
米国と鋭く対立していたソ連邦は、以来、われわれにとって無二の友邦となった。ソ連邦との友好関係の歴史に関しては、いろいろと思うところも深いが、この間われわれがこだわってきたのは、なぜソ連邦が崩壊したのかという問題であった。
それがソ連型社会主義の問題と深く結びついていたという結論にわれわれは至った。
三位一体化した党=政府=軍に集中した権力、特権階級の出現、異端者を追い込んだ収容所列島、米国との無意味な軍備・宇宙開発競争、帝国主義国の搾取的交易関係と変わらぬ貿易原理――数え上げれば、キリがない。
わが国もその影響を深く受け、同じ偏向をもつ局面もあったことを痛みと共に認める。
ソ連という遠くの友を失って、われわれは近くに新たな友を得た。五〇年有余前われわれの亡命を受け入れてくれたメキシコで一二年前に生まれた社会運動、サパティスタ民族解放軍である。
世界を席捲するグローバリズムにきっぱりと「否!」と言ったその運動は、実に豊富な教訓を世界中の社会運動に与えた。
なかでもわれわれの心を打つのは、軍事と革命軍に関わるその捉え方である。革命の初心を言えば、他人を殺し、かつ自らを殺すところに本質のある兵士であり続けることを望む者は、本来的には、われわれの側にはいない。
各種の生産者・製造者、技術者、教師、医療関係者など、自らを生かし、他人をも生かすことに繋がる職務に就くことこそ、ひと本来のあり方である。
止むに止まれず武装蜂起に訴えながらも、サパティスタはそのことを明快に語った。これは、すぐれて自己批判的な問題提起である。
「敵」と効率的にたたかうためには上意下達を、すなわち非民主主義な本質を持つという点においては、革命軍も、国家の常備軍と変わるところはない。そのことを大胆に語るサパティスタから、われわれは自らの初心を思い起こした。
二〇〇三年、私は日本を訪れた。米国に遠慮する日本政府が招待してくれたわけではない。ベトナム・中国訪問の帰途、給油を理由に数日間だけ滞在しただけだ。広島へ行った。
原爆資料館を見て胸が潰れた。革命の年・一九五九年に通産ミッションで日本を訪れたチェ・ゲバラが少ない時間をやりくりして広島を訪問していたというエピソードにも心を打たれた。
一九六二年ミサイル危機の日々に、われわれは広島・長崎の人びとと同じ運命をたどる崖っ縁にいたことも思い出した。戦争を放棄し軍隊を保持しないことを定めた日本国憲法9条の大切さをこのときに学んだ。
もちろん、日本は憲法に違反した自衛隊を保持し、われわれが反対しているイラク戦争にも米国に追随して参戦していることは、われわれもよく知っている。
そしてこの国ではいま、常備軍保持を認め、いっそうの参戦が可能になるような憲法改定の動きが勢いを増している。彼らの口実もまた「いつ、どこから攻めてこられるかわからない」といって民衆の不安感情を煽るものなのだ。われわれの言い分が、小型覇権国家=日本の言い方に似通っていてはいけない。
日本ですら六〇年間の戦後史を覆して正式に国軍を保持しようとしている現在、国軍解体・戦争放棄の方針を定めるわが国は流れに逆らっているのだろうか。
そうでもあろう。われわれはいつだって、世界の大勢に反逆してきた。エイズ禍に苦しむカリブ海諸国に、わが国が開発した特効薬を市場価格以下で融通するという方針は、市場原理を金科玉条とする富める国には考えもつかいないことだ。
潤沢な国家予算を持たないわが国が、毎年数千人の医師と看護婦を、その不足に喘ぐラテンアメリカとアフリカの諸国に無条件で派遣し続けてきていることも、世界に類を見ないことだ。
革命軍の兵士であった者は、軍の廃絶後、人を殺す武器を捨て、国の内外で人を生かす建設的な任務に就くだろう。
誰よりも世界中の民衆に、そして各国政府と国際機関に訴える。「敵」になお包囲されているわが国が危険を冒してまで軍備全廃の方針を決定したのは、常に潜在的な「敵」を想定しながら国防に励むことの悪循環を思うからである。
人間が人間の敵であることを前提とする資本主義社会においてはもちろん、それを止揚したはずの社会主義社会においても廃絶できなかった戦争の本質に鑑み、われわれは自らが築きつつある新しい社会のモラルに即して、この方針を定めた。
一九四五年以降世界各地で起こってきた戦争の性格を考えるとき、そのほとんどが第三世界を戦場としていることに気づく。
他人を殺傷する兵器の生産と販売によって自国経済の繁栄を実現してきたわけでもない第三世界諸国は、かくも貧しいままに、なぜ大国が生産する兵器の購入に乏しい国家予算を費やし、来るべき戦争に備えなければならないのか。
われわれの新しい方針は、絶え間なき戦火に苦しんできた第三世界の人びとによってこそ歓迎され、あわよくばこの間隙を縫ってわが国を侵略しようとするかもしれない超大国の陰謀を打ち砕くであろうことを確信する。
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