現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1999年の発言

◆インタビュー「東ティモール多国籍軍評価をめぐって」(仮題)

◆書評:目取真俊著『魂込め』

◆チモール・ロロサエは国軍を持つというグスマンの言明について

◆ペルー大使公邸事件から三年

◆グスマンの「方針転換」について

◆私達にとっての東チモール問題

◆文学好きの少女M子、十七歳の秋

◆東チモール状況再論:若干の重複を厭わず

◆「おまえの敵はおまえだ」

◆東ティモール情勢を、PKF解除に
利用しようとする日本政府と右派言論


◆書評:伊高浩昭著「キューバ変貌」

◆「ふるさとへ」

◆アンケート特集/若い人たちにおくる三冊

◆書評  田中伸尚 『さよなら、「国民」「「記憶する「死者」の物語』

◆傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。他の選択を許さぬ二者択一論と欺瞞的な二元論の狭間

◆「ほんとうは恐いガイドラインの話」

◆裁判長期化批判キャンペーン批判

◆時代につれて変わる出会い方、そのいくつかの形ーーラテンアメリカと私

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インタビュー
「東ティモール多国籍軍評価をめぐって」(仮題)   
ブント機関紙「SENKI」第994号(1999年12月15日号)掲載
太田昌国


――東ティモールへの多国籍軍介入をどう見ますか。

★まず考えなければならないのが、今の世界秩序をつくり上げている圧倒的な力と、われわれとの間にはあまりにも大きな力の差があり、われわれ自身がどう主張しどう行動しようと、それとは無関係な地点で事態が進行してしまうという現実です。

 つまり、われわれが多国籍軍の展開に賛成しようと反対しようと、われわれの意志とは関係ないところで大きな力が方向を定めてしまう。力が拮抗し、われわれの発言と行動次第で事態は変わり得るという現状では、ない。そのような現実を前にしたときには、現に進んでいる事態の本質が一体どこにあるのかということを批判的に明らかにする努力が必要です。それが、僕の基本的な観点です。

 今回の場合には、シャナナ・グスマンら東ティモール民族抵抗評議会(CNRT)が、あのギリギリの状況のなかで国連に軍事介入を求めたという一つの客観的な事実がありました。

 僕は民族抵抗評議会の選択というのは、目の前で自分たちの仲間が殺されていくという恐るべき現実を前にして、この暴力をとにかく即刻喰い止めるためには国連の軍事介入しかないんだという、緊急避難的な訴えだったと思います。それは、僕らの側からすれば、東ティモールの独立運動をそういう苦しい選択肢を選ばざるを得ないところにまで追い込んでしまったという意味で、連帯責任を感じざるを得ないものです。

 いずれにせよ、それは主体の側が行った緊急避難措置であるということで、僕自身としては、その選択を批判する道義を持っていません。しかし、後でも触れますが、インドネシアはもちろん、日米などの大国、総じて国際社会が、短く見ても侵略後の二四年間無責任きわまりない態度をこの問題に関してとり続けてきた結果として多国籍軍の展開がなされている以上、これを積極的に擁護し支持する立場には立ちようもありません。

 だから「SENKI」九九二号掲載の論文「国連PKF=帝国主義の図式だと問題が解けないのでは」のように、積極的にこの選択しかないではないかということを言う必要性というのは感じていません。

――多国籍軍の要請は、東ティモール解放の主体であるCNRTによる、主体的な決断だったとは言えないでしょうか。

★今年の五月五日、インドネシア―ポルトガル間で合意された、住民投票プロセスそのものにまでさかのぼって考えるとすれば、僕は住民投票をああいう形――例えばインドネシア国軍が治安責任を持つなど――で行なうことを追認した民族抵抗評議会の決断に関しては、非常に危ういと思っていました。

 しかし、グスマンらは問題の立て方をきわめて冷めて行なう人たちだから、比較的時間の幅を長くとって、目標を定めていたと思います。九八年にスハルト独裁体制が倒れるなどインドネシア社会内部の変化もあるし、ハビビ政権になってからの急速な展開もあって、だんだんと国際的な東ティモール問題解決の枠組みがつくられつつあり、その力関係の中でグスマンらは出処進退を選んでいったと思います。

 ハビビが住民投票案を出しているときに、それにのらなければ、国際的な関心の低下もあって、再び東ティモール問題が忘れ去られてしまうんじゃないかという、判断が働いたんだろうと思います。その延長上での暴力的な事態の発生と、それを見ての介入要請なのだから、主体的な決断とは言っても、選択肢が狭められた時の「苦渋」をわれわれは感じとるべきだと思います。


――むしろ早期の段階で、国連が治安責任を持つという体制への移行がなされるべきだったと思うのですが。

★そこもあなた方との分岐点だと思うのですが、「現実の問題が起こったとき、何らかの具体的な対案を示さなければならない」という議論はいつでもある。

その気持ちはわかるのだけれど、ただ何らかの対案を出したところで、国際社会でしかるべき対案を実現する力をわれわれは現状では持っていないわけです。ですから、われわれの選択は射程距離が長く、将来的にこの現実を変革しうるだけの内容をもっていなければだめだと思う。

 つまり、例えば湾岸戦争以降の国連の軍事力の行使を振り返ると、やはり国連がどういう国際的な意志を体現しているかがよくわかります。それはアメリカのように、国連の態度によっては分担金を払わないというような圧力のかけ方もあるし、基本的に安全保障理事会の五つの常任理事国の意志がいろんな形で体現している場として機能している。

それだけで国連を切って捨てるのは間違いだという立場に仮に立つにしても、軍事力の発動というものが、いつ、どの地域に、どういう形で行われてきたのか、それは一体どういう意志の体現の仕方であったのかを頭に入れておかねばならない。

 国連が選択する行動に対して、あえてわれわれの側から「支持すべきだ」という声を上げる必要性を僕はまったく感じないわけです。

 今回の東ティモールでもそうでしたが、今後予想される地域紛争のなかで国連による何らかの軍事介入が必要だという場合をあえて想定するとしたら、例えばさまざまな経済的・政治的・軍事的な利害を持つ大国を排除し、そうした利害や野心を持たない小さな国々の軍隊によって構成するという、そういうオプションはあり得るかも知れない。

このオプションで対抗するにしても、大国による国連支配という現状とたたかわなければならないのですから、たいへんな課題です。言葉を変えると、それが実現する時には、大国の身勝手なふるまいの歴史的な積み重ねによって引き起こされ、さらに悪化する場合が多かった地域紛争そのものが姿を変える時かもしれない。

 とにかく、国連にせよ、大国にせよ、あるがまままの大きな力(権力)の行使を肯定的に前提にした問題の立て方を、自分から積極的に行なうことはしないというのが、ぼくの原則です。

■ソ連崩壊以降のグローバリゼーション(仮題)

――ソ連が崩壊し、冷戦構造が解されたことが、国連も第三世界の解放闘争をも変えてきているのではないでしょうか。

★東西冷戦構造があった時のほうが良かったと言うつもりはない。この戦後構造が作り出したさまざまな歪みを知っている身としては。しかし、ソ連崩壊後のこの九〇年代の問題というのはものすごく複雑で、重層的になっている。

 すっきりした構造を持たないわけですね。フセインやミロシェヴィッチが、あたかも大国の横暴なふるまいに対する抵抗の最前線に位置しているかのように現象する現実は、その典型です。だからかつてのように、鮮明に白黒というか、プラス・マイナスを判断することが出来ないような状況があります。現実の社会主義体制の崩壊と第三世界の全般的な低迷がもたらしている影響力はたしかに大きい。

 そのなかで、国連は、五つの安保常任理事国の駆け引きの場であるよりも米国のひとり勝ちの場となった。超大国に対する第三世界の抵抗力も弱まったという、大きな変化はある。

 こんな時代には、自分たちの政治的な力は、原理・原則に基づいて考えようとすればするほど小さくなってしまっている。これだけ圧倒的な力の差ができて、現状肯定的な社会風潮ができあがってしまうと、原理・原則をなしくずしにして、大きな流れに巻き込まれてしまう思想のあり方があまりにも目立ってくる。

 ぼくは、かたくなな、従来のドクトリンに固執するという意味ではなくて、情勢を見極めながら、しかし原理にはこだわる問題提起をしたい。この厳しい時代状況を何とか立て直すように考えていく方に僕自身は賭けたいと思っている。


――問題が複雑だという意味では、ユーゴ紛争の問題、これも実に複雑な問題です。当然NATOのユーゴ空爆は許されないことですが、民族対立と憎悪の構造をどうするかという問題は残ります。

★東ティモールでもユーゴでもそうなのだけれど、われわれがどこか遠いところで進行している虐殺とか戦争という事態に心を痛め、それを喰い止めるために何らかの行動を起こしたところで、一体どれだけの動きをつくれるだろうか。現実的に振り返ったときに、なかなか大したことはできないのではないか。

 クロアチアの分離独立から始まる一連のユーゴの重大な過程に関して、どこの段階で何ができたかといえば何もできないし、これからもおそらくできない。もし現代史のなかで展開されている悲劇的な事態から何らかの教訓を学びうるとしたら、やはり因果関係をきちっと見極めていくことしかないだろうと思います。

 悲観的な物言いのように聞こえるかもしれませんが、現実の行動などまったく無意味ということでは全然ありません。そのときどきの選択で、声を上げればいいし、行動するのもいい。それは前提なんだけど、基本的な問題というのは、「よその問題」にわれわれが寄与しうる範囲はきわめて小さい。全体の構造のなかから、何が根本原因なのかをつかみ取ることができるくらいだという限界を知っておいたほうがよい。

 そのとき、絶対おさえなければならないのは、大国が大国であるがゆえに声を大きくして築き上げていくことができる秩序に対して、絶対同意を示さないことだと思うのです。ユーゴ空爆の中心的な問題点です。

 そのうえで、あなたが言われた「民族対立と憎悪の構造」は、ユーゴの人びとが抱える内在的な問題として残る。クロアチア分離独立以後の悲劇的な過程に対する旧西ドイツを筆頭とする自由市場経済至上主義派の責任問題は別にしても。ユーゴの問題はそれに即して語られなければならないにしても、ユーゴの場合とは対照的な次のようなな例を挙げることはできる。

 かつてあなたたちとも関心を共有していたニカラグアのサンディニスタの場合、革命勝利後に上級将校も含めた独裁軍の兵士に対する報復行為を行なわなかった。

死刑を廃し、開放刑務所を設けて、人間精神の変革に賭けた。サンディニスタが先住民族との関係性において重大な過ちを犯したのちの、「関係修復」へ向けた試行錯誤にも見るべきものがあった。メキシコのサパティスタの運動にも、「民族対立と憎悪の構造」という問題意識から考えた時に、示唆的な内容がある。

 ほかならぬ日本におけるわたしたちの運動においても、民族間の関係性をめぐっての、また「敵対」とか「憎悪」という問題をめぐっての問題意識はずいぶんと深めてきているとぼくは実感している。


――太田さんの言う「原理原則」というのはどういうことなのでしょう。


★例えば、グローバリゼーションという米国主導の世界形成への批判があります。グローバリゼーションとは、世界が自由市場経済に一体化されてしまったという経済の局面にだけ現れるのではなくて、この一〇年間は地域紛争を解決する方法・スタンダードが本当にこれしかないというように、グローバル・スタンダードとして現れたというのが特徴であると思う。

 つまり、多国籍企業の経済活動によって、その地域の環境から民族構成の問題から激変が起こる。地域の人びとの生活を基本的に安定させるとは限らない形で企業活動が行われる。当然、そこには企業と結びついて甘い汁を吸おうとする現地の人間たちも出る。それにともなって、政治的な不安定要素がつくられていく。

 日常的な政治・経済の関わり方のなかで、大国は第三世界の地域を不安定にする様々な現実をつくりだしてしまっている。いったんその矛盾が何らかの形で爆発し、収拾がつかないような混乱状態が起こると、国連を通じて、あるいは場合によっては国連を通じないで、大国が「問題を解決するのは自分たちである」という装いをもって登場してくる。これがこの一〇年間に大国によってつくられた地域紛争解決のためのスタンダードであると思うのです。

 この繰り返しがしばらく続くだろう。それなら、その構造全体をきちっと見て取って、それを批判するスタンスに立つことが重要なことなのではないか。

――ただこの一〇年の間に、東ティモールの独立が勝ち取られたことも事実です。一方で、スハルトという典型的な開発独裁が倒れました。アジアでも、南米でもかつての軍事独裁政権が倒れています。当然それは民主化を求めてきた民衆の闘いの成果でもあると思います。そういう流れのなかに東ティモールの独立があるのでは。

★そのような現実を否定しようというのではない。それらの民衆の闘いの成果すらもグローバリゼーションのなかにからめ取られてしまっている側面もある。その現実を、この一〇年来の構造全体のなかで捉えるべきであると思うのです。


■反戦運動の今後に向けて(仮題)


★僕は、民族抵抗評議会の考え方というのは、第三世界の解放運動のあり方を内省的に振り返り、現実の苦闘をくぐり抜けて生まれてきた思想だろうと思います。グスマンたちはなぜ「併合派民兵」のあれだけの暴力を前にして、ずっと耐えて反撃しないよう指令したのか。現場にいる一人一人にとってはたいへんな決断だったはずです。

 それは、今までもわれわれが共感を持ってきた解放闘争のあり方とは、決定的に異なるわけですね。彼らはインドネシアへの抵抗のために軍事部門(ファリンテル)もつくって、実際に武装闘争をくぐり抜けてきた。

 そういう期間もあったわけですけれど、今年の決定的な段階で、ファリンテルが武装闘争で応じ、国際社会から「東ティモール人同士が争っている」と見られ、関心も尽きることを危惧して、ああいう苦しい決断をしたわけです。われわれとしては、これを支持するとか反対するとか言う以前に、そう感じとるという問題だと思います。

 グスマンの決断は、これまでの解放闘争にあった武装闘争至上主義のもつ、ある意味での「危険性」を自覚したところからきている。つい最近方向転換をしたみたいですけれども、グスマンは新生東チモール・ロロサエ社会は軍隊を持たないなど非武装社会の理想をずっと持っていた。そんな新しい考え方も、一時的にせよ生まれている。

 それも、試行錯誤と苦しみを経て獲得された思想であると思います。

 独立闘争の英雄は、新しい社会の支配者ではないという当たり前のことが、これまでなかなか実現しなかった。グスマンはそんな問題意識ももっている。僕はグスマンの思想を伝え聞き、時代状況の変化のなかで解放主体の考えも変わっていくを確信しました。

――今後の反戦運動や第三世界の連帯運動をどのように展望しますか。

★日本政府は、PKF凍結解除を先送りしましたが、国連東ティモール暫定機構(UNTAET)の副代表にJICAの高橋なる人物を送ります。

 その高橋は、同じアジアに困った人がいれば助けなければならない、民間NGOの専門家も公務員もそれぞれ貢献しているだから、警察官も自衛隊員も貢献すべきだと言っている。民間人も自衛官という軍人も一緒くたにして。今は、こういう時代ですよね。

 悲劇的な地域紛争なり国内紛争をどのように解決していくべきなのか。そこで、国軍によらない紛争の解決の仕方というものを模索していくことが必要だと思う。多国籍軍や国連軍というものは、要するに各国の国軍を組み合わせたものです。

 前に述べたように、地域紛争の因果関係を根本的につかみ取られていない。なぜ目の前に、これほどまでの悲劇がもたらされているのか。その原因は絶対どこかにあるわけで、その原因を曖昧にして多国籍軍や国連軍の介入が美化される状況に対しては、明確に批判を強めていかなければならい。

その考え方を極めていく先には、やはり自国軍隊の解体しかないだろう。グスマンもかつて抱き、いまは「現実的に考えて理想主義に過ぎる」と判断したようですが、非武装社会の実現を主張する意味があるだろうと思う。

 国家である以上軍隊を持つのは当たり前というような考え方、軍隊を持っているのが「普通の国家」というとんでもない考え方が広まっている。

 軍隊の存在それ自体に何ら疑問を持たない、軍隊の存在が当たり前のことになってしまうような社会的な風潮に、抵抗していかなければならない。人間社会の採りうる選択肢として、軍隊のない社会というのがある。そういう問題提起を執拗に繰り返すしかないと思っています。



   (インタビューが行われたのは1999年11月29日、その後加筆・訂正)

 
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