現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1998年の発言

◆北朝鮮「核疑惑騒動」の陰で蠢く者たち

◆目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて

◆第三世界は死んだ、第三世界主義万歳!

◆時評「この国は危ない」と歌う中島みゆきを聞きながら

◆自称現実主義者たちの現実追随

◆伊藤俊也の作品としての『プライド 運命の瞬間』批判

◆98年度上半期読書アンケート

◆書評:市村弘正著『敗北の二十世紀』

◆「自由主義史観」を批判する〈場所〉

◆民族・植民地問題への覚醒

◆国策に奉仕する「〈知〉の技法」

◆「後方支援」は「武力の行使」にほかならない

◆ペルー日本大使公邸占拠事件とは日本にとって何であったか

◆個別と総体――いまの時代の特徴について

◆植民地支配責任を不問に付す「アイヌ文化振興法」の詐術

◆政治・軍事と社会的雰囲気の双方のレベルで、準備される戦争

◆朴慶植さんの事故死と、時代の拘束を解き放った60年代の遺産

◆書評:ガルシア=マルケス著『誘拐』(角川春樹事務所刊)

◆保守派総合雑誌の楽しみ方

最新の発言
2004年の発言
2003年の発言
2002年の発言
2001年の発言
2000年の発言
1999年の発言

1997年の発言


北朝鮮「核疑惑騒動」の陰で蠢く者たち
「派兵チェック」1998年12月号(第75号掲載)
太田昌国 


 かつてマスコミの世界で仕事をしていた作家の辺見庸は最近メディア論にあらためて関心を持っていると言い、大要次のように語っている。

現在と比べると、任意の過去のどの時期とってみても、メディアの規模は大したことはない。だが本質的には、人間の身体はいつの時代も情報化されざるを得ない。

ゲーテが『若きウェルテルの悩み』を書いたのは1774年だが、想像上の人物であるウェルテルの服装を着るどころか、恋の果てに自殺することまで真似する若者が輩出した。ウェルテル症候群と言われた。江戸中期に近松ものが流行ったときにも、現実社会でも心中が流行った。ことほど左様に人間身体は情報化されやすい。


だが現代日本社は、極度に情報化された身体の集合体だ。ゲーテや近松の時代と異なり、情報の売り手に顔はなく、つまり主体がない。没主体の時代にはいかなる言説も有効性を失い、主張を無力なものにする。

真っ当な議論を皆で嘲ら笑い、冷笑する風潮がここまで一般化した。自分の中にも自己を冷笑する何かがある。

何がこういうことをもたらしているのか、自分にも言えないが、この国に特殊なあり方だと思う、と。

[『神奈川大学評論』31号(1998年11
月)掲載の「深くて暗い伏流のなかで:不自由な時代を生きる」より。西澤晃彦によるインタビュー]

 話し言葉なのだが、それだけに現状に苛立つ辺見の心情が窺われ、それは基本的に私の共感を誘う。「想像力の墓場」にいる私たちの社会にあっては、「北朝鮮のミサイルだか人工衛星だかの騒ぎが、新ガイドラインより何十倍も重要な情報であるかのように語られ、政府の思惑通りの情報商品が大量に作られて、売れに売れる。

新ガイドラインや周辺事態法案に反対する論理など、テポドン一発で駆逐される」とも辺見は言う。右派メディアの北朝鮮報道を見聞し続けていると、この思いもよく分かる。北朝鮮に関して、日本は確かに「極度に情報化された身体の集合体」となっている。それは、まさにメディア・ファシズムと呼ぶにふさわしい。


 私は一時期までは、北朝鮮の実態暴露本に付き合い目を通してきたが、書店に次から次へと同工異曲の本が並ぶのを見て、さすが疲れ果て、一年以上前からこれはやめた。だが右派ディアの雑誌・新聞に載る北朝鮮情報は、もはや日常の癖として大急ぎで目を通している。有事危機煽りにいちばん熱心な「サピオ」は最新号(12月9日号)でも 「北朝鮮『地獄の極寒』」と題するセンセーショナルな記事を何本も載せている。

テーマはつねに、飢餓と軍事である。子どもたちをこれほどの飢餓状態に追い込んでおいてテポドンを開発し、広島型原爆の三倍の威力を持つ核弾頭の製造技術を持つとは何事かという、心情レベルでは容易に人びとの心を捉える論法である。

彼らが合いまみえるのは、これ以上は望むべくもない「好敵手」であり、次のように無意味な大言壮語で北朝鮮脅威論の「正しさ」を補完してくれる。

12月3日付けの産経新聞によると、核開発疑 惑問題に関して、北朝鮮ラジオ放送が次のように述べたと言う。北朝鮮の人民軍総参謀部スポークスマンは、「米国が『第二の朝鮮侵略戦争計画』を完成させようとしているが、わが革命武力は米帝侵略軍の挑戦をわずかでも容赦しい。


米帝侵略軍だけでなく、弾除けとして前に出ようとする南朝鮮傀儡と、後方基地を提供したり召使役をする日本を始めとするすべての有象無象がわが方の攻撃対象になるということを肝に銘じるべきだ」。こう述べた北朝鮮は6日の対米交渉において、核開発施設査察の代償として3億ドルを要求したと報道されている。

 ここに見えるのは、いわゆる「テポドン発射」騒動を、相互依存関係のために利用し合う日米「保保」派と北朝鮮の政府・党・軍官僚の癒着ともたれ合いの構造である。そのことを、意外な率直さで明らかにしているのが、元陸上自衛隊人事部長で、軍事アナリストを名乗る志方俊之である。

志方は、佐々淳行や岡本行夫との座談会「もう『番犬』では国を守れない(『諸君!』98年12月号)[なお、「番犬」の脇には、畏れ多くも(!)「在日米軍」とルビふってある]で、米国は北朝鮮の「テポドン発射」計画を事前に知っていたが彼らからすれば実害はなく、北朝鮮の能力を知るために放置したのだろうと語っている。

北朝鮮からすれば、撃たないで「持ってるぞ」と威嚇するのが一番効果的な使い方で、中東やパキスタンへの輸出をちらつかせて取引して、援助を引き出す経済効果もある。


 真相に近い形で(と私は考えるが)そう解釈した志方は結論する。太平洋戦争の時のシレーン喪失と空襲(B29および広島、長崎)の経験に由来して、日本人には本能的な恐怖がふたつある。

台湾海峡問題への敏感さはシーレーン問題に関わる。ノドンは空からの脅威だ。そこへテポドン発射で引き金を引かれ、一気に偵察衛星やTMD(戦域ミサイル防衛)構想までの議論が沸き起こった。自民党政権で何十年かかってもできなかったことが進みだしたのだから、大きな前進で好ましいことだ、と。

 なんのことはない、きわめて抑圧的な民衆支配をなっている北朝鮮の特権的官僚と、(政治的駆け引きを伴いながら、主として共和党支持勢力よって支えられる)米国の軍産複合体との間で、一見激烈な言葉による応酬が繰り返されるたに、志方が手放しで喜ぶような日本社会の軍事化が深く進行していたこと、それを推進するうで、北朝鮮の脅威をいたずらに煽る右派メディアとマスコミが大きな役割を果たしたことを、上の分析は示している。

 軍事アナリスト・志方の、このような立場の政治的表現が、「保保連立」へ向けた一連の動きであることを、私たちは忘れるわけにはいかない。

                          (1998年12月15日執筆)

 
  現代企画室   東京都渋谷区桜丘町15-8 高木ビル204 Tel 03-3461-5082 Fax 03-3461-5083