麻薬取引は「帝国への復讐戦争だ」と嘯いた麻薬マフィアの首領がかつていた。その人物、コロンビアのメデジン・カルテルを率いるパブロ・エスコバルが言いたかったことは、次のようなことだ。麻薬は、需要があるからこそ製造・密輸される。主要な消費地である、豊かな北側の帝国にこそ問題があるというのに、貧しい生産地に罪を着せるのはお門違いというものではないのか。南側をほしいままに利用してきた帝国よ、麻薬に溺れて滅びの秋を迎えよ、と。
そのコロンビアで、一九九〇年から九一年にかけて十件にも及ぶジャーナリストたちの誘拐事件が起こった。密輸に関わっていた者でも投降すれば司法取引を行ない、罪を軽減するという方針を新大統領が打ち出した直後のことである。
権力の追及と離反者たちの寝返りで窮地に追い込まれていたエスコバルは対政府交渉を優位に展開するために、コロンビア社会の特権階級と結びついた人物を巧妙に選び出しながら連続的な誘拐作戦を実行したのだ。
ガルシア=マルケスは、請われて、誘拐され六ヵ月間の幽閉生活をおくったひとりの人物の話を聞く。だがこれが他の九件の事件とも密接な繋がりのあることに気づいた彼は、可能なかぎりの当事者から話を聞いた。
かくして、誘拐された人びとの監禁生活を物語の主要な軸としつつ、彼(女)らを解放しようとする側と、有利な取引を模索するエスコバルの側との駆け引きの過程を描いたこの作品は生まれた。
周知のように、ガルシア=マルケスの原点にはジャーナリズムにおける仕事がある。その力量が十分に発揮されている作品で面白い。だがその面白さを堪能するには、条件があるように思える。
この作品は「罪のない人たち、罪のある人たち両方」のコロンビア人に捧げられているが、前者を誘拐された人びと、後者をエスコバルたちと、単純には思い込まないという条件が。麻薬問題の構造はそれほどまでに複雑なのだ。
(98年1月8日記) |