現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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「現在」と「過去」を歴史に繋ぐ論理
――国家犯罪をどう語るか 
『論座』2003年12月号(朝日新聞社)掲載
太田昌国

                 はじめに

二〇〇二年九月一七日の日朝首脳会談から一年を迎えて、今年九月上旬から中旬にかけては、さまざまな回顧報道がなされた。 日朝間の問題を、相変わらず「拉致」のプリズムを通してしか見ようとしない報道の大勢には違和感をおぼえつつ、ひとつだけ興味深い発言に出会った。

「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」会長の佐藤勝巳氏が「(9月17日以降の周囲の急変は)本当に恐ろしいほどだ。

この民族は、日本人とは何なんだと思わされた。拉致が不確定の時は全く動かず、確定したらどどーっと高まってきたが、本質は何も変わっていない。

自分の頭で考えていないということだ」と語っていたのである(朝日新聞9月13日付)。

私は佐藤氏とはあらゆる意味で意見と立場を異にするが、拉致問題を契機に民族主義的情念の噴出を自ら煽っておきながら、その「成果」に戸惑っているらしい様子を知って、興味をそそられたのである。「正直な人」、なのであろう。

大量の「拉致」報道と、それに煽られるようにして民族主義的情念が社会に渦巻いた一年をふりかえって、私にも、佐藤氏とは別な意味合いでの戸惑いと違和感が残る。それを、いくつかの観点から書いておきたい。 

                   一

 二〇〇三年四月、米国のジャーナリスト、ウィリアム・ブルムの『アメリカの国家犯罪全書』なる本が翻訳・出版された(作品社)。CIA(アメリカ中央情報局)の活動実態の解明を軸に据えながら、米国が「外交政策」として展開してきたもののなかに、国家犯罪というべきものがいかに多いかを実証した本である。

四六判・全四一八頁のこの本は、私にとって通読する本というより、必要な機会に応じては取り出して調べる辞書のような役割を果たしてくれている。

私は、キューバをはじめとするカリブ海地域やメキシコ、ボリビア、チリなどの中南米地域の近現代史への関心から、これらの地域が米国との間でいかなる従属的な関係を強いられてきたかをかなり知っているつもりでいた。

それでも、時々この本に目を通しながら、「こんなにまでか!」との思いを新たにしている。

アフガニスタンとイラクに対する米国の「外交政策」のあり方を目の当たりにしながらこの本に触れるのだから、書物に書かれている過去の史実と、目前に展開している現実は重なり合って見えてくる。

過去から現在にまで続く歴史の通底音を、そこに聞きとる思いがする。この本の編集者は「拉致、テロ、暗殺、拷問、毒ガスノノイラク、北朝鮮どころではない、米国の『国家犯罪』のすべてを暴く、衝撃の1冊!」という宣伝文句を付しているが、私が見るところ、これは誇大な物言いではない。

それぞれの国家犯罪には、個別にその責任を追及すべき主体が存在しており、より大きく見える国家犯罪との相対的な比較によって、いずれかの国家の犯罪が軽微なものになるわけではない。

「イラク、北朝鮮どころではない」という表現に力点をおくことで、誰の目にも明らかなフセインや金正日の犯罪を免罪するわけではないという当然の前提を付したうえで、上のように言っておきたい。


 国家犯罪といえば、去る九月三〇日、東京地裁は、旧日本軍が日中戦争後に中国に遺棄した毒ガス兵器に関わって、画期的な判決を示した。

中国では、終戦後三〇年足らずの一九七四年や、五〇年も経た一九九五年などに、旧日本軍の毒ガス兵器から有毒ガスが漏れ出たり、砲弾が爆発する事故が起こり、多数の死傷者を生んだ。

被害者と遺族は日本政府に二億円の損害賠償を求める裁判を提訴していたが、その判決が出たのである。

「(日本)政府は兵器の遺棄場所やその処理方法などの情報を中国側に積極的に提供して事故の防止を図るべきだったのに72 年の日中国交正常化後もこの義務を履行せず、事故が発生した」とする東京地裁の判決論理は明快である。国交正常化に伴う日本側の責任倫理を、このような文脈で説き明かしたことも意義深い。


 日本国はこの判決を不服として、直ちに控訴した。他方、その直後に両国政府最高責任者の会談が予定されていることもあって、重大な事態に至る前に決着を図るために、日本が三億円の兵器処理費用を支払うことで両国政府は合意をみた(一〇月一九日)。

裁判と政府間交渉のふたつの方法で、敗戦後五八年目のいまもなお、国家犯罪の清算をこの社会は迫られていることになる。


 国家犯罪については、ふりかえるべき大きな問題が、もうひとつある。今年は関東大震災から八〇周年目に当たる年であるので、震災記念日の九月一日前後には回顧報道が目立った。

だが、ほとんどすべての報道は、自然災害としての震災を回顧し、今後起こりうる同種の災害をどう予知し、防災するかという問題に集中していた。

これが大事なことではない、とは言わない。だが、八〇年前の震災被害を言うなら、同時に触れるべきことがある。

「在日朝鮮人がこの震災を利用して放火・投毒している」との流言蜚語に扇動された日本人が、推定六五〇〇人ちかくの朝鮮人、二〇〇人を越える中国人、数十人の日本人を殺害したという人為的な殺人行為について、である。

今年作られたあるビデオ作品で、街頭を行く人びとに、この虐殺事件について知っているかどうかを尋ねる場面があった。

中年の男たちが、次々と「知らない」と答える情景に、私は絶句した。


 日本弁護士連合会は、去る8月 25日、この震災時に「暴動が起きた」などの虚偽情報を軍隊や警察が流したことが朝鮮人虐殺を誘発したとの調査結果に基づいて、日本政府がその責任を認めて謝罪することを求める勧告書を首相宛に提出した。

国の責任において事件の全貌を明らかにする調査も行なわず、被害者とその遺族に対して謝罪も補償も行なわず、責任者に対する適切な処罰も行なわずに、八〇年が過ぎていたのである。国家が犯罪行為の主体でなければ、考えることもできないことである。

                    二

前に触れた『アメリカの国家犯罪全書』が挙げる、国家としての米国がなした行為の数限りない実例にしても、毒ガス遺棄や震災時の異民族虐殺などわずか二例に留まることはない、近代日本の対外的な行為にしても、同じ行為を個人や小集団がなした場合には、裁判と処罰を免れることはない。

いくつもの毒ガス兵器を開発し使用し、実際に殺人を犯していたオウム真理教の責任者たちが、次々と死刑・重刑判決を受けていることにも明らかなように。

同質の行為が免罪されるためには、それをなしたのが国家であればよい。国家の名の下になされたことによって、米国の戦争行為も侵略行為も、すべてが実質的に免罪されている。

日本の場合も、「東京裁判」という例外はあるが、ほぼ同様である。 

国家とはそういうものだという思いが、私にはある。諦めの境地で言うのではない。

国家批判の立場から言うのである。その意味で限定的に言うならば、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が行なっていた日本人拉致も、国家の行為としては、歴史的に見てもめずらしいことではない。

これも、冷たい心で言うのではない。個人に酷薄な運命を強いる国家の一側面は、次のような形をとって、表われる。

(1) 国家というものは、個々人の意志を越えた地点で、植民地支配・戦争・徴兵・強制連行・拉致・殺戮などの、他国の人びとの意志と実人生を踏みにじる行為をなし得る存在であること。

同時に、自国の民衆が(すすんで、あるいは心ならずも)そのような行為の尖兵となることを強制しうる存在であること。

(2) その下に生きる人びとは、超越的な存在としての国家にそのような権限を付託していると思わされていること。

(3) その幻想を基礎づける制度のひとつが、形骸化した議会制(代議制)民主主義であり、語の真の意味での「選挙」なき人民代表会議であること。

その点において、歴史的に実在した(している)どのような資本主義社会も社会主義社会も、変わりはないこと。



ーーという論点に基づいて、言うのである。この歴史的な現実に批判をもつ者は、いま私たちの眼前に明らかにされている国家犯罪(この場合は、北朝鮮当局による拉致行為)を批判することが、すべての国家による犯罪を批判する射程の長さをもたなければならないことに気づく。

金正日総書記が、北朝鮮特務機関による日本人拉致を認め、謝罪し、今後二度と繰り返すことはしないと語った後に、この国にあふれ出ている無数の言論は、その意味では、歴史的なふりかえりも未来へ向けての展望も欠いたところで成立している。

それらの言論は、北朝鮮には「絶対悪」があり、ひるがえって日本には「絶対善」があることを前提としている。もちろん、拉致被害者個人のレベルで考えるなら、そう考えることはおかしなことではない。

だが、政府の方針やマスメディアに引きずられた社会の雰囲気がそれを前提とする時、問題のありかはずれ始める。日本社会が総体として「無垢な被害者」を装い、その存在は絶対化される。北朝鮮は「悪の権化」でしかない。

その前提が虚構でしかないことは、上に見た国家の本質に照らして明らかである。

これは、多くの論者が言うように、「現在」を「過去」とすり替えたり相殺したりする論理ではない。「現在」と「過去」を歴史的に繋ぐ論理である。

加えて私たちが、日常生活のリアリズムから得ている知恵からすれば、善と悪とは、それほど明快に両極に分離して存在しているものではない。両者は交じり合い、善は時に悪と化し、悪は善を伴う。

ましてや、ことは外交政策に関わる事態である。一方的に自らの立場のみを言い募って、困難な局面を打開できるものではない。このことは、もちろん、北朝鮮当局の言動についても言えることである。

米国が、自らが世界的な規模で犯してきた国家犯罪への謝罪も賠償もほとんど免れてきているのは、一にかかって、この国の政治的・経済的・軍事的・社会文化的な、世界への影響力が圧倒的で、その力に物を言わせるなら、他のいかなる国もこれに抗することが、今はできないから、である。

近代日本がアジア太平洋規模で犯してきた国家犯罪について、敗戦後の日本が曖昧な謝罪のことばと傲慢な居直りのことばの間を揺れ動いてきているのは、アジア民衆との和解に向けた過去の歴史の真摯な総括がいまだ社会全体のものとして成立していないからである。

日本が行なうべき賠償も、ある時は相手国に少なく見積もらせて済ませ、またある時は賠償請求権を放棄させることに成功してきたのは、それぞれの時期の特殊な世界情勢とアジア情勢を利用したからである。

それが、本質的な謝罪と賠償を先送りしているに等しいことは、先に触れた被害者個人による賠償請求案件が山積しており、いまも毎月のように地裁・高裁・最高裁段階での判例が積み重ねられていることひとつとってみても、わかる。

傲慢な力をふるって世界に君臨する米国のあり方が羨ましいという者がいるなら、それ自体は不条理な暴力の行使だとしても何度もの「9・11」に襲われることを覚悟しなければならないだろう。

世界に、対等で平等な、真に民主主義的な諸関係が生まれるまでに、その国の後世の人間たちは、先行する世代が遺した負債を返済するために、多大な精神的な労苦と物質的な努力を果てしもなく続けなければならないだろう。

そのように省みるなら、北朝鮮に対する態度は変わり得る。拉致に関する北朝鮮指導部の責任を徹底的に追及し、事態の全容の解明と責任者の処罰を要求するためには、過去の総括に関わる自らの姿勢もたださなければならないことを自覚できる。

それをしないのは、辺見庸も強調する「歴史の不公正」さの表われである(『いま、抗暴のときに』、毎日新聞社、二〇〇三年)。

「歴史の不公正」さは、当然にも、より弱い者の上にのしかかる。この場合は、北朝鮮に、である。北朝鮮が、独裁者=金正日と同義ではないことは、自明の前提である。

                   三

北朝鮮の独裁体制について、いまだに率直に語ろうとしない人びとがいるように思える。

例外はあるにせよ、進歩派や左翼の陣営の人びとが、である。私の考えでは、そのことが、上に見た民族排外主義とのたたかいを困難なものにしている。

私なりに、その理由を考えてみる。

植民地支配の清算も済んでおらず、主として日本側の責任で国交正常化も実現できていない段階で、どんなに北朝鮮指導部のあり方に批判をもつにしても、それを公言することはできないという考え方は、植民地時代がどのようなものであったかを自責の念とともに思う世代の人びとには多かったように思える。

雑誌「世界」(岩波書店)元編集長であった故安江良介氏の仕事は、故金日成主席との会見を何度も実現していることもあって、戦後日朝関係史をふりかえる時には欠かすことのできないものだが、氏がこの心情をもっとも代表していた人物だったと考えることは不当なことではないだろう。

私は最近必要があって、安江氏が行なった金日成会見記をすべて読んでみた。

北朝鮮側の態度に由来することなのだが、取材される側の権利は当然あるにしても、編集権が十分に保証されていないままに掲載されている印象をもった。

その点につけ入って、安江氏が金日成体制を無条件に賛美していたという論難を行なう人は多かった。

ところが、軍事政権時代の「韓国からの通信」を書き綴っていた「T・K生」こと池明観氏と対談している現「世界」編集長岡本厚氏(「世界」二〇〇三年九月号)によれば、安江氏は金日成主席との対談で「面と向かっては、金日成の側近が真っ青になって立ち上がるくらいの厳しい批判をしたが、それを日本へ帰っては絶対にしゃべらなかった」という。

それは、「日本人には朝鮮人を批判する資格は倫理的にない。

すべて日本人が悪い」とする安江氏の確信に基づく態度であったらしい。

池明観氏が、朝鮮人をつねに絶対的に擁護する安江氏の態度に関して、「それは現実じゃない」といって抗議しても、安江氏は受け入れなかったという。

安江氏の個人的な信念のほどはともかく、ジャーナリストとしての姿勢がそれでよかったかと問いかける権利が、読者の側には残るように思える。

安江氏が金日成主席との会見において現実には発揮したらしい主体性が、誌面にも表現されたならば、日本における北朝鮮認識には、少なくとも一九七〇年代初頭から、大きな違いが生まれ得たかもしれない。

繰り返し言うが、これは、北朝鮮側が「報道の自由」に関して、どのような考えをもっていたかという問題と密接不可分の関係にある。

いまひとつは、社会主義の問題である。

私の学生時代、一九六〇年代には「二〇世紀は戦争と革命の時代」という言い方が流行した。

私のような無党派の人間にも、そう思えて、夢のような「革命」が、この世の不正義のすべてを一挙に解決するなどという、いま思えば「若気の至り」としか思えない夢想に耽った時期もあった。

時代は進み、二〇世紀の「革命」とは、実は「スターリン主義」の異名だったのかとすら思えるような実態が、世界各地の革命の中にはあることが次第に明らかになった。

弾圧をうけながらも、まだしも反対派が「反スターリン主義」を掲げて存在しうる体制には、希望があった。結果的には、それらも多くが潰えて、現在があるのだとしても。

こうして、私たちが二〇世紀最大の「遺産」として手にしているのは、「ファシズム」と「スターリニズム」である。

人びとから、独自に思考し行動する自由を奪い、絶対的な指導部の支配下に束縛するという点において、このふたつの体制は、驚くほど似通っている。

これらふたつのイデオロギーの間を、自由に行き来する人間が多いのは、イデオロギーの中身さえ入れ換えるなら、方法的には同じ思想と行動に支えられているからである。

在日朝鮮人の北朝鮮への帰国運動を「スターリニズム」の枠内で支援した人物が、仮に年数を経て、日本の核武装と北朝鮮への先制攻撃を扇動する「ファシズム」の担い手になる場合があっても、さほど不思議ではないのは、そのためである。

進歩派・左翼も、その点では、「転向者」のみをあざ笑って済ますことはできない。

北朝鮮の体制を、いつの時代に、どんな言葉で語ってきたか、いつの時代に、なぜ沈黙していたか。

そのことが、日韓民衆連帯、在日朝鮮人の諸権利獲得、日朝国交正常化、戦後補償などのために努力してきた個人と運動体の内部から、もっと率直に語られることがなければ、社会を覆う自民族中心主義の攻勢に立ち向かうことはできないだろう。

私が訝しいのは、これらの運動に取り組んできたことの必然性をいまこそ確信をもって主張してよい人びとが、深い沈黙に沈んでいることである。

「拉致」を行なった主体を支えた思想が「スターリニズム」であるか「アジア的専制主義」であるかは別な機会の課題としても、破産して久しい思想を前に、そう簡単にたじろぐことはないと思える。 

 
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