言葉が死んだ。その死に方は無惨だ。この国の現首相の言葉を聞き、心底そう思う。
例は、挙げるまでもないだろう。曰く言いがたいまでに「陰惨な」顔つきをした、この国の現防衛庁長官の言葉も同じだ。
ある日のテレビで、イラクの安全性を問われたその男は、卑屈でいるようでいて、実は獲物を前に悦びを抑えつつも舌舐めずりするようなあの口調で、当日起きた女子高校生殺害事件を例に挙げ、このように日本も安全ではないのだ、と堂々と主張したという。
言葉貧しく、論理に欠ける。そんな首相と防衛庁長官の名で、国軍にイラク出兵の命令が下りる。
この手の政治家は「すこぶる」つきのワルだが、軍人だって、学者だって、負けてはいない。
イラク出兵反対のデモや行動が「目にあまる」場合には、札幌雪まつりの雪像建設から自衛隊は撤収すると「恫喝」する軍人が、早くも出てきた。
イラク現地での取材・報道自粛要請、「制服トップ」の定例記者会見廃止などの動きも、こともなげに出てくる。
もちろん、一種の「恫喝」に違いない。
「一番重要なのは国論の統一」と断言し、ナショナル・コンセンサスという点で「政府与党と、条件が整えば自衛隊派件を認める民主党との距離はあまり離れていない。
双方に歩み寄りと同調を期待する、こういう外交的危機のときには」と東大教授・山内昌之は語る。
聞き覚えのある言葉だ。京大教授・中西輝政もまた、いわゆる不審船事件が起こったとき「対処の方式が定められている時には、国民が一致して政府を支持することは民主主義の鉄則とさえ言える」と言い放った。
こうして、有事体制下では、為政者が語る言葉はひたすら貧弱化し、権力に同伴しつつ「恫喝」すべき対象を探し求めずにはいられない軍人や岡っ引き根性の知識人の言葉も際限なく劣化する。
だから、異論を排除し「国論」などという、恥ずべき言葉をすら、平気で使えるようになるのだ。
私にとってまだ読むべき対象であった時代の「スターリン獄の日本人」内村剛介が紹介したラーゲリ(強制収容所)・フォークロアに、次のようなものがある。
「(政治犯が銃殺を前に)いよいよおさらばというとき、/あなたさま(スターリン)に遺したのが布の煙草入れ、それから、ことば、ことば、ことばだったよ。/『とことんけじめをつけとくれ』/そういってから静かに叫んだぜ、『スターリンのあの頭脳!』ってな。」
まだ「おさらば」するわけでもないが、このくににも、「けじめをつけたい頭脳!」がたくさんあると思って、私は、昨年、「北朝鮮=日本問題」をめぐって『「拉致」異論』を刊行した(太田出版)。
執筆過程でも刊行後でも、さいわい、孤立感は少しもおぼえなかった。
不気味な「国論統一」的な世論の現象の仕方を前に、人びとの率直な異論が実は押さえ込まれているにすぎず、底流にはさまざまな意見が渦巻いていることを確信していたし、刊行後の反響でそれが実感できたからである。
反天皇制運動の理論と行動の前線にいる友人たちには、自明のことでもあろう。
私は、こうして、昨年一年間を通じて、「ことば」に対する「信頼」と「確信」を得た。「取り戻した」と言ってもいい。
深刻ヅラした政治家・軍人・学者たちが、そのくせ、軽い、非論理的な言葉の「暴力」で人びとをねじ伏せようとする有事=戦時体制下で、私がまず大切にしたいと思うのは、「ことば」がもつ、豊かな、真の意味を復権したいということだ。大勢を見ても、恐れずに。
だれもが、詩、短歌、小説、エッセイ、演説などの一節を、忘れがたい、時には、生きる指針となるものとしても記憶しているからには、意味ある「ことば」の先には、いくつもの可能性が開かれてこよう。
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