20 世紀の中盤の時代を生き急ぐようにして駆け抜けた革命家、エルネスト・チェ・ゲバラの生涯(1928〜67)を、豊富な写真と共にたどること、それが本書の目的である。
チェ・ゲバラは、その39年間の生涯を通じて、まめな記録者であった。幼いころから患った喘息に挑むかのように激しいスポーツを好んだが、決して計画的とは言えない無鉄砲な旅も、彼はこよなく愛した。
その旅先で克明な日記を記し、家族や友人に手紙を書いた。写真を撮ることも好み、けっこうな腕前だという自負もあった。
チェ・ゲバラが「記録魔」であったとすれば、その家族(結婚前なら父母が、結婚後なら妻と子どもたちが)は「保存魔」であった。
何度にもわたる旅の日記、旅先からの手紙、旅先で本人が撮った写真のネガ――何もかもが保存されていた。
「旅」といっても、学生時代の無銭旅行もあれば、自ら「革命戦争の」と名づけた,キューバ、コンゴ、ボリビアへの旅もあった。
そのすべてを、自分の手で記録した。革命家であるからには、個人的にも、キューバという国家としても、機密にしなければならない事柄が多かったにもかかわらず、その生涯が驚くべき精緻さで明らかになっているのは、そのせいもある。
米国という大国の横暴な政策を憎み、ソ連という偽りの社会主義を批判し、解放のための武装闘争の絶対的な正しさを主張した、激しく、厳しい人であった。一般的な基準からすれば敬遠され、怖れられ、忌み嫌われても不思議ではない人であった。
しかも、ボリビアでの死から35年有余が過ぎ、彼が信じ、その実現のために戦った「社会主義」は、無残な失敗と行き詰まりを見せている。
それでもなお、彼は語られ、歌にうたわれ、映画化され、新資料が発掘され、浩瀚な伝記が何冊も書かれ、若者のTシャツに描かれることを止めない。本書もまた、そこに加わる。なぜだろうか?
個人の力では抗うことのできない、社会と経済の制度的な不正義・不平等を心から憎んだ人であった。彼が生まれ育ったラテンアメリカは、コロンブスの大航海とアメリカ大陸到達を起点に始まった世界の二分極化(支配する「北」、支配される「南」)が、もっとも明確な形で刻み込まれている地域である。
植民地支配が、たとえそれが終わりを告げた後世にあっても、どれほどの傷跡を物理的・精神的に遺しているかを、若きゲバラは旅を通してしっかりと目撃した。その体験が、彼の後半生の道筋を決めた。
社会主義社会は、人間が人間の敵である資本主義社会の価値観を克服した「新しい人間」を作り出すことを夢見た。
「南」の人びとが、経済的・政治的に大国に支配されることなく、軍事的に蹂躪されることもなく、自立的に生きていける道を探った――自分が、そして新しい祖国キューバが、社会主義と第三世界の接点であるべきだと考えた。
彼が抱いた夢は、21世紀初頭の現在の目で見れば、いまだ実現していない。
資本主義が大きな力を揮うグローバリゼーションの世界的な浸透で、その夢はいっそう困難な現実に直面しているように見える。
経済的な格差をなくし、人間の対等・平等を願う理想主義は、最終的に潰えたのだろうか? 社会のあり方に、正義・尊厳・民主主義を求める夢は、二度と復活できない敗北を喫したのだろうか?
「そうだ」と言うには、この世界はあまりの制度的な不正・歪み・格差に満ち満ちている。それを知る人びとは、心のどこかで、こんな弱肉強食の世界秩序がいつまでも続くはずがない、崩壊するに違いない、と願っているのではないか。
そのとき、現行の秩序と非妥協的に戦った、忘れることのできない人間として、チェ・ゲバラのことを思い出すのではないか。
チェ・ゲバラは、その短い生涯の間に、たくさんの言葉を遺した。多彩な行動の足跡を刻み込んだ。
後世の私たちが、当時の情勢に即して彼の言葉と行動の正否を問う条件は、十分に保証されている。間違いもあろう、不十分な点もあっただろう、誰もがそうであるように。
それでもなお、今を生きる人びとがチェ・ゲバラを忘れがたい人物として記憶に刻み続けているとすれば、その思想・行動・生き方全体に、何らかの輝きを見ているからだろう。
本書の著者は、そのひとつの解釈の形を示した。カストロとゲバラの関係について、またキューバ革命とゲバラに魂を吸い取られたフランス知識人についてのシニカルな見方は、独自のものである。
多様な見方の中で、この「20世紀の小さな隊長」の遺産を豊かにすること。彼に
関心を持ち続ける人びとに課せられているのは、その課題であろう。
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