《以下は、朝鮮民主主義人民共和国政府高官で、いわゆる拉致問題をめぐる日本政府側代表団との交渉に当たっている人物が、秘密のノートに書きつけたメモの一部である。日付はないが、内容からみて、2004年12月15日以降に書かれたものと思われる》
怖れていた事態になった。われわれが(というよりも、正確には、横田めぐみさんの夫であったキム・チョルジュン氏が)めぐみさんの遺骨だとして日本側に渡したものが、実はそうではなかったという鑑定が出たといって、日本社会の反共和国感情がふたたび沸騰している。
当初の報道では、警察庁科学警察研究所(科警研)では鑑定不能の結果となったが、帝京大学法医学教室が行なったDNA鑑定と骨相学に基づく調査によって、骨壷にあった骨は四つが同一、残る一つは別人のものと鑑定され、いずれもめぐみさんとは「別人」との結論が出たとされた。
私は、二つの研究機関の鑑定結果に食い違いがあれば、もっと冷静で慎重な結果報道があってしかるべきだと考え、めぐみさんの死の確定を望むわけではないせよ、「偽物の遺骨を渡した」などという一方的な非難の洪水の中で、日本側の民族的な激情が高ずる様子を見て、正直なところ不快に思った。
だが、聞くところによると、帝京大学は、太平洋南洋諸島に長いこと眠っていた旧日本軍侵略兵士の遺骨収集団が持ち帰った無数の骨の鑑定を一貫して行なってきており、その過程できわめてすぐれた鑑定技術を身につけることとなり、いまや一億八千万人中の一人を判別するまでになっているという。
骨が焼かれている場合、DNA情報を含む細胞は焼失するが、低温で火葬されると細胞が残る場合があり、帝京大法医学教室は、ばらばらの骨の中からわずかに残る細胞に行きついたものらしい。
日本側との交渉の席に座らせられているわれわれとはいえ、提出すべきすべての情報を自らの裁量で調査し、検証しているわけではない。
将軍はもとより、特務機関たる国家保衛部が大きな壁となって立ちはだかっており、それらによって許された情報をのみ伝え、またそれらによって選択的に与えられた死亡台帳、カルテ写し、遺骨、事故調書、自筆メモ、写真などの「資料」を手渡す「権限」を付与されているだけだ。
単なる警察にすぎない人民保安部と地方行政組織である人民政権機関が合同調査を行なったと言ったところで、最も重要な人物と部署に関しては、その門前にすら行くことができない。
私が、こんな地位にありながら内心に抱え込んで久しい、この国の支配システムに対する拭いがたい不信感と不満からすれば、そこにどんな虚偽や作り話が紛れ込んでくることか。
底知れぬ話である。日本人拉致に関わる責任追及の手が将軍と保衛部へ及ぶ以前の地点で食い止めようと思えば、そうするしかないのだ。
去る11月の日朝実務者協議の際に、行き詰まった話し合いの途中で、日本側の薮中外務省アジア大洋州局長は「娘をさらわれていった親の気持ちを考えたことがあるのか!」と激昂した。
それに対して我が方の責任者、陳日宝が「そこまで言うなら、私にも言い分はある」と言ってから、父親が赤紙一枚で戦場に連れ出され、二度と帰ることはなかったと説明し、「このような目に遭った朝鮮人はゴマンといるんだ。あなたたちこそ朝鮮人の苦しみが分かるのか!」と叫んだ。
拉致問題が公然化してからというもの、私は、共和国と在日朝鮮総連の中に、このような言い方が存在することを苦々しく思ってきた。
植民地支配に関わる日本国家の責任を追及するという、避けるべくもない必然的な課題が、将軍一派が行なってきた国家犯罪としての拉致行為と相殺されたり、取り引きされたりする可能性を遺す論理で、相手を論難することは間違いだと考えるからだ。
これを公然と主張すれば、私は生きてはいられないが、二つの犯罪をいずれも許すことなく、その責任を追及するという場所に、双方は歩み出なければならない。
めぐみさんの遺骨をめぐるニュースで日本中が沸騰しているころ、わが国から数人の人びとが日本を訪問する予定であった。東京都目黒区の祐天寺の仏舎利殿には、朝鮮出身の1136人の旧日本軍人・軍属らの遺骨が仮安置されている。
厚生労働省が祐天寺に託したものである。そのうち3人の遺族が現在も共和国にいることが判明したのだ。
朝鮮人強制連行調査団の調べによれば、3人は咸鏡北道や平安南道など朝鮮北部の出身者で、旧日本軍に徴用され、日本の敗戦直前の1943〜45年にナウルやソロモンなどの太平洋諸島でマラリアで戦病死したとの記録が残っている(太平洋諸島に眠っていた遺骨! もしかして、これらの遺骨も、かつて帝京大法医学教室が鑑定したのかもしれぬ)。
遺族のうち2人の息子が訪日して追悼集会に出席し、遺骨を確認して持ち帰る予定であった。ところが、日本政府は最終的に入国を拒否した。
わが陳日宝の先の言葉に対して、薮中は「何を言うか! そんな昔話を聞きに来たんじゃない」と応じた。
祐天寺の一件を考えるだけでも、これが「昔話」だろうか? 拉致=強制連行の責任追及は未決であり、生きている遺族がいる、という意味では、両者の「相互関連性」を「過去・現在」の論理で断ち切ることは難しい。
仮に私が将軍の責任を追及できる場所を設定できるなら、薮中らの理屈を論破する場も作り出すことはできる。それがいまは出来ないこと、がもどかしい。
我が外務省報道官は、11月14日、めぐみさんの遺骨問題は「事前に綿密に企てられた政治的脚本に基づくものであるとの疑惑を抱かざるを得ない」とし、「経済制裁発動は宣戦布告とみなす」と述べた。
またしても! ここでも言葉だけがひたすらエスカレートし、「危機」が醸成されてゆく。相手と我方は、それぞれ器量に見合った空虚な言葉をやり取りするばかりで、事態は一向に進展しない。
いや、我方の居直りは、ますます北朝鮮危機論を日本で高め、ここ数年間の日本の動向に如実に反映されたように、それを口実とした有事体制が強化されるばかりだ。
自らを絶対安全地帯においておきたい将軍が、虚勢を張った軍事の論理で米日と渡り合うという構図に、既視感はないか。
日本の歴史的責任を追及するという課題とは別に、我方の政治が、ブッシュ=小泉の軍事路線を完全に補完し、「共闘」している現実を見て、私は、胸が痛む。
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