昨夏、カリブ海はハイチ出身の作家が来日した。彼女を囲んで、小さな集まりをもった。
エドウィージ・ダンティカ。
1969年生まれ。12歳の時に両親の待つニューヨークに渡り、以後米国での生活が続いている。物書きになりたいという幼い頃からの夢が実現し、現在米国で最も注目される作家のひとりとなっている。
日本でも『息吹、まなざし、記憶』(DHC)、『クリック? クラック』(五月書房),『アフター・ザ・ダンス』(現代企画室)がすでに紹介されている。
自らを「語り部の末裔」と呼ぶように、祖母やおばたちから聞かされた多様な物語の記憶を手繰り寄せながら、ハイチの苛酷な歴史を生き抜く人びとの姿、とりわけ女たちの心理が印象的に描き出されている。
書くうえでのモチーフを問われると「ハイチの歴史には多くの悲しみがついてまわってきた。
ハイチの歴史は悲しみに溢れている」から「私はいつも悲しみを見つめ、悲しみに囚われている」と語った。それでも、「ハイチではいつも、悲しみと幸せが連れ添って歩んでいる。
悲しみはまだこれからも続くのだから、悲しみの向きをくるっと換えてしまい、ユーモアのセンスで悲しみをたちどころに別種なものに仕上げてしまう、それがハイチ人の《生き残る知恵》だ」とも付け加えた。
ハイチ人の悲しみを語る彼女自身が、確かに、同時に、明るく、幸せそうにふるまう人でもあった。
いまは離れて暮らしているとはいえ、自分が生まれ育った《くに》の歴史を「悲しみに溢れている」と表現せざるを得ない作家。
彼女はまた「来年(2004年のこと)はハイチ独立200周年の年」と嬉しげに語った。
フランスがハイチの旧称サンドマングを1697年に「領有」して以来、その砂糖プランテーションから得られる収入はフランス絶対王政にとって欠くべからざる財源となっていた。
労働していたのは、もちろん、人口の90%にも及ぶ黒人奴隷である。
そこにも、人権宣言を発した1789年フランス革命の報は届き、奴隷たちは自らの自由を求めて蜂起した。
混乱に乗じて介入を試みたイギリス軍、次いでフランスのナポレオン軍を相手にたたかい、ついに勝利して独立をかち得た――1804年のハイチ独立、それは奴隷反乱によって生まれた、世界初の黒人共和国であった。
その過程は、C.L.R.ジェーズの『ブラック・ジャコバン――トゥサン=ルヴェルチュールとハイチ革命』(大村書店)に詳しく描かれている。
ラテンアメリカ諸国のスペインからの独立はそれに遅れること20年有余、隣国キューバに至っては19世紀末まで独立がかなわなかったことを考えると、ハイチの反植民地闘争の先駆性が際立ってくる。
この2月来のハイチの政治・社会状況の混沌ぶりを遠くから眺めていると、ダンティカが語った「悲しみ」の意味や「独立200周年」のことを同時に思わないではいられない。
今回のアリスティド大統領の辞任と多国籍軍の介入に関しては、元米国司法長官ラムゼー・クラークの分析がいち早くネット上で流れている(「国際行動センター」のサイトwww.iacenter.org/)。
その分析は、米国メディア支配下の世界的情報網の中においてみると、ひときわ異色である。
ブッシュ政権がこの3年間、アリスティドを追い出すための策動を行ない、一方的な禁輸措置も実施し、世界でも最も貧しいこの国にひとつの人道援助も行なってきていないことを暴露している。
公共サービスの民営化が第3世界でいかなる結果をもたらすかを熟知していたアリスティドは、民営化に抵抗していたが、世界銀行、IMFなどの国際金融機関は、表面的には2000年選挙時にアリスティド党に不正事件があったことを理由に、いっさいの資金供与を拒否していたことも知られている。
これらの情報を総合すると、世界・日本の主要メディアを通してではわからないハイチの現状が見えてくる。
現在中央アフリカ共和国のバンギに「亡命」したアリスティド自身も、彼は「米国によって拉致され、バギンに幽閉された」と訴えている。ラムゼー・クラークが最後に添えた一文は、意味が深い。
「アリスティド大統領はなぜ事実上拉致されたのか。まるで1803年トゥサン=ルヴェルチュールが拉致されてフランスで投獄され、1901年にフィリピン・米国戦争を終結させるためにフィリピンのエミリオ・アギナルド大統領が米兵によって拉致されたかのように」。
カリブ海はトリニダード島生まれのジェームズは先に挙げた書の補論を「トゥサン=ルヴェルチュールからフィデル・カストロへ」と題している。
また同じ地が生んだいまひとりのすぐれた歴史家、E.ウィリアムズの一書も『コロンブスからカストロまで――カリブ海域史、1492-1969』(岩波書店)と題されている。
いずれも、「アメリカ発見」から植民地化、アフリカからの黒人奴隷の強制連行の過程を経て「革命」「解放」へと向かう歴史的な歩みを、世界的な視野で骨太に描いた力作である。
他方、この対極には、別なまなざしをもってカリブ海の現実を眺めている者たちがいよう。ハイチ西端から100キロと離れぬ地点にキューバ東端は位置する。
そのキューバ東端部の一角には米軍グアンタナモ基地が存在する。現代史においてハイチから難民が流出し米国へ向かおうとすると、米海軍が阻止線を張り、難民をグアンタナモ基地に収容した。
誰の記憶にも新たなように、いまは米軍のアフガニスタン侵略の際に「捕虜」とされたターリバン兵660人がいっさいの国際法を無視したまま幽閉されている。
米軍の今回のハイチ作戦は、明らかに、「カストロ後のキューバ」を見越しての予行演習の意味合いもある、とする米国内反戦派の捉え方を伝えてくれた在メキシコの友人の言葉が、重く心に残る。
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