二〇〇二年九月一七日の日朝首脳会談の際に、北朝鮮指導者は日本人拉致の事実を認めて謝罪し、今後このような行為を繰り返すことはないと約束した。共同宣言では、国交正常化に向けての交渉を直ちに始めることを謳った。 だがその後、拉致問題の解決と国交正常化交渉の観点から見るならば、事態はほぼ動かないままに一五ヵ月が過ぎた。
この間、現代日本最強の圧力団体としてふるまってきた拉致被害者家族会と救う会、拉致議連の言動と、その意を受けた政策しか採用しないできた政府の方針を顧みると、事態を停滞させた(日本側の)事情がよくわかる。
首脳会談一ヵ月後に帰国した五人の拉致被害者を、一時的にも北朝鮮には返さないことを国の方針にした時に、その第一段階が始まった。
被害者家族が語った「いったん北朝鮮に返したら、いつ再び会えるかわからない」という不安には、「九・一七」以前ならば真実味はあった。
だが、それは外交交渉という「政治」に直接的に応用すべき言語ではない。金正日が拉致を認め謝罪したことに、北朝鮮政治の流動化の兆しを認めて交渉を続行するのではなく、家族の痛切な心情に一体化した政策を採用した時に、関係停滞の道は定まった。
定めた道に添った情報は、マスメディアが挙げて報道してくれた。金正日が、いかに常軌を逸した独裁者であるか、対外的な約束事を何度違えたことか、いつ「暴発」するかもわからない不気味な人間であるか。
この種の報道に純化すれば、彼は政治交渉の相手にはなりようもなく、したがって、彼が悲鳴をあげて「降参」するまで締め上げ追い詰めるしか、道はないのだという雰囲気が作られた。
以後、首相以下の閣僚は「拉致解決なくして国交正常化なし」という、「政治」以前の一言(ルビ:ワンフレーズ)を語るしかなくなった。
日朝二国間の協議でしか解決しようもない限定的な問題を、首相はせっせと国際会議で取り上げてくれるよう無益な努力を続けるばかりで、実りは少なかった。
苛烈な冷戦時代を生き抜いた諸国からすれば、拉致は確かに許しがたい行為だが、そんな国家暴力に満ち満ちた時代の後始末は、二国間に存在する全体的な問題の中でしか解決できないことを直感していたのであろう。
北朝鮮に向き合ってなすべきことを一切することもなく、国連やG7やAPECなどの会議で拉致問題に言及されることに力を注ぐ首相たちの姿を見て、この国の政治家の低劣なレベルを思うほかはなかった。
被害者家族会や救う会は、北朝鮮に経済制裁を行なうことができ、万景峰号の新潟入港を阻止できるような法律の制定に全力を挙げてきた。
衆議院選挙前には「拉致をテロと認めるか」という踏絵的なアンケートを候補者に対して行ない、自分たちの目論見に都合のよい結果が出たことを公表している。
だが、それらが実現した先に何が獲得されるのかを確信をもって語る言葉は、ない。
ひたすら相手への憎悪・嫌悪・侮蔑の言葉を吐き出されるばかりだ。これでは、「政治」が介入できる余地は、ない。自分自身が、自縄自縛に苦しむだけだ。
それらと少し離れたところに、直接的な拉致被害者は位置している。
その本音は、いくつかの細やかな道を通して聞こえてくる。その声をよく聞き届けるところから、別な方向性は生まれるだろう。
だが、いずれにせよ、対北朝鮮政策のみが突出してすぐれたものになる可能性は小さい。
すべての外交政策は、国軍派兵に至ろうとしている対イラク政策の愚劣さに見合う内実をもって展開されている。
明るい展望をもとうとするなら、発想の一大転換が必要だ、としか言いようが
ない
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