大国が呼号する「反テロ報復戦争」への賛同から、ついに自衛隊海外出兵へ。日本は、なぜ、こんな時代を迎えたのか。
そのことを考えるために、アジア太平洋戦争後の「戦後史」を思う機会がふえた。記憶に残る発言・生き方をした人びとのことを思い出し、本棚からそれらの人びとの本を取り出すことが多くなった。
そのなかに、劇作家、三好十郎はいつもいる。彼の著作は、古本屋ではともかく、新本では入手できないという事情があるので、もどかしさがつのる。
戯曲は、遠く一九五二年に『三好十郎作品集』全四巻(河出書房)にまとめられ、また一九六八年には、戯曲のほかに小説・評論・詩歌・書簡・日記も含めた『三好十郎の仕事』全三巻・別巻一(学藝書林)が出ている。
未見だが、三好に私淑した大武正人が孔版印刷で『三好十郎著作集』全六三巻を完結させた(一九六八年)という、気が遠くなるような仕事もあった。単行本も、いろいろな形で出版されたことがある。私が復刊を望むのは、とくに三好のどの本と特定してのことではないが、あえて言えば、いくつかの戯曲と評論集『日本および日本人――抵抗のよりどころは何か』〈光文社、一九五四年〉あたりを軸にした新編評論集だろうか。
三好のことを教えてくれたのは、宍戸恭一の『現代史の視点――〈進歩的〉知識人論』(深夜叢書社、一九六四年)で、その後三好の仕事を高く評価する吉本隆明の発言も続いた。
自らの転向体験に根ざした彼の発言は、戦後左翼・進歩派の楽天主義と欺瞞と虚妄を衝いて、容赦がなかった。「もしできるならば、自身の生活と仕事にいそしんでいる私の仕事そのものが、そっくりそのままで角度をかえてみれば抵抗の姿そのものであったというふうにありたい」と語る三好の言葉には、メディア上に踊る軽薄きわまりないインテリの言葉にはない、真実味があった。
朝鮮戦争に関わる清水幾太郎の発言の真意を厳しく問い質した「清水幾太郎さんへの手紙」はとくに忘れがたい。彼は、自らを「ヒネクレ者」と称したが、戦後進歩派と左翼にまだまだ「輝き」があった一九五〇年代に、ヒネクレタ視点をもっていたからこそ、多くの人が見過ごした問題を提起できたのだった。
二一世紀初頭、この国がこんな時代を迎えたことについては、左翼・進歩派・反戦派の責任も大きいと自覚する私は、三好の辛辣な言葉を何度も読み続けなければならないと考えている。 |