21世紀が「水戦争」の時代になるという予測を前世紀末からよく見聞きするようになった。
水不足から、水がらみの争いが頻発するというのである。だが、ほぼ安定した水の供給をうけ、潤沢なまでに水利用できる産業先進国に住む私たちに、その危機感は薄い。水資源は無尽蔵にある、と私たちは深く考えもせずに思い込んでいるからである。
その意味では同じ環境のカナダに住む著者たちの認識は違う。グローバル経済の民主的なコントロールをめざす非政府機関で働く二人は、地球という惑星における淡水危機は、もはや修復不可能かもしれず、地球の存続にかかわる脅威にまで至っている、と警鐘を鳴らすのである。
それを聞いて、工業化、集約農業、人口増加などによって水の利用が増えているのが原因だろうと推測できる人は多いだろう。
ウェットランド(沼地や湿地)の消滅、有害物質の流出、森林伐採、温暖化などの環境問題との関連を思ったり、劣化ウラン弾をはじめとする恐るべきべき兵器が、大地と河川に降り注ぐ昨今の戦争もまた、この状況を悪化させるだろうと怒り悲しむ人もいるだろう。
著者は、その先に現れている現実にこそ注目する。水危機を見越した多国籍企業や国際金融機関が、水を営利目的に利用しつつある実態が明かされるのである。
人の生命に不可欠な水が、万人の「権利」ではなく、需要と供給の原理の影響をこうむり、支払い能力によって配分されるとすれば?
市場で売買される商品とは同一視できないはずのものであった「自然と生命」にかかわるものまでが、売りものにされていく現実を知って、いまさらのように驚き、前途を悲観しないで本書を読み進めることができる人は少ないだろう。
だが、著者は最後に希望を述べる。コモンズ(共有財産)としての水への権利の強奪に抗して、世界各地でたたかう人びとの姿を描き、水が公平に分配されるべき未来を構想する。
読むことによって驚き、絶望し、励まされる、深い問題提起を備えた小さな新書判である。
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