キューバに関わる興味深い映画を二本立て続けに観た。
一本は、フェルナンド・ペレス監督『永遠のハバナ』(キューバ=スペイン、二〇〇三年)である。首都ハバナに住む一五人の人びとの実生活を淡々と記録した、きわめてシンプルな映画で、ストーリーがあるわけではない。劇的なことが起こるわけでもない。だが、この映画は、観る人びとの心を深いところで捉えるだけの力をもっている。
なぜだろうか。監督のフェルナンド・ペレスはこう語っているという。「キューバの現実は鋳型にはめられるものではない。私たちは外向的で踊り好きだが、現実の人生と自分が望む人生を熟考する静かな時間も持っている。
一杯のワインなしでも幸せを感じることができる人びと、日常の些細なことの価値を分かっている人びとの物語を作りたかった」と。
なるほど、音楽映画の楽しさで世界を席捲してきたキューバ――この観点からのみキューバを眺めてきたかもしれない異国の観客に、そこには、当たり前のことながら、平凡な日常を生きる人びとがいるのだということを、静かに示してくれる。外国人観光客やドル貨幣に手がかりを持つキューバ人のみに開かれている世界とはまったく異質な世界が、そこに現われる。
崩れかけながら修理されていない家々、米と豆の質素な食事、恒常化している水不足、ガタガタの道路――これが、首都ハバナに生きる庶民を取り囲む、偽りのない現実であることを、映画は率直に描き出す。
ダウン症のフランシスキート(一〇歳)と父親フランシスコ(五五歳)の日常を示すいくつものさりげないシーンが、ふたりの間にある深い「関係性」を示していて、とりわけ心に残る。
母親の不在が気にかかっていたが、フランシスキートが三歳のときに亡くなっていたことが最後に示されると、観客は否応なく映画の流れを遡り、その後の七年間、父と子の間にはどんな物語があっただろう、と想像力を膨らませることになる。見事な吸引力である。
登場する人びとがもつ夢は、ハバナ市のとある公園にあるブロンズ像のジョン・レノンと、台座の言葉、昼夜分かたずその像を見守る人びとの存在によって象徴されている。
レノン像は、二〇周年忌の二〇〇〇年に設置されたのだが、眼鏡がすぐに外されたので、人びとは交代で像を見守っているという設定になっている。
因みに、像は、人びとを見下ろす立像ではなく、坐像である。そのことが好ましい。
台座には「人は僕を夢見る人というかもしれない。けれどそれは僕だけじゃない」という「イマージン」のフレーズが刻まれている。
人びとが生きる日常は、生活的なさまざまな困難さと苦しみを抱えながら、ごくごく平凡きわまりないものとして展開していくほかはないが、それを支えているものは「夢」の存在だ、と監督は言いたいのだろうか。
この映画には、キューバを捨てて米国へ出国する男も描かれている。彼は両国政府の書類も調えて「合法的に」出国するが、筏を組んで命からがらカリブの海をフロリダに向かう人びとを描くのが、カルロス・ボッシュほか監督『ボートピープル』(スペイン、二〇〇四年)である。
革命後のキューバから、革命に反感を持つ人や生活苦を逃れたい人びとが脱出を図る動きには、何度かの時期的なピークがある。
この映画が扱うのは一九九四年以降である。その三年前に、キューバの後ろ盾であったソ連が崩壊した。いびつな相互依存関係にあった相方の消滅は、キューバをうちのめした。急ごしらえの筏やボートで、カリブの荒波に向かって漕ぎ出していく人びとが大勢現われる。
出国を決意した人がトラックに手製の筏を乗せて海岸に向かうと、近所の人びとは自転車に乗って歓声を挙げながらトラックを追いかけ、岸辺で手を振り航海の無事を祈る。
まるで祝祭的な空間の出現だ。米国の阻止線にひっかかった人びとは、「キューバにある米軍基地」(!)グアンタナモに「送還」され、拘留される。
米国に定住できて四、五年経った人びとの現在と、キューバに残る家族や友人とのビデオ映像を通しての交流も描かれていて、思うところは深い。
二本の映画に描かれたのが、まぎれもなく、キューバの現実なのだろう。キューバの民に幸多かれ、と自然に願いたくなるような映画の力に感謝する。
【付記:『永遠のハバナ』は、東京では二〇〇五年二月、ユーロスペースでレイトロードショウ公開される。『ボートピープル』は、二〇〇四年九月、ヒスパニック・ビート・映画フェスティバルで上映された。】
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