2003年の世界は、2001年9月11日の出来事に起源をもって、「極限の悪」と認定された ‘terror’(テロ)なる言葉の威力に振り回されるようにして、一年を過ごした。日本社会もまた、「テロ」と「拉致」という、言葉としての短さの限界に近い、ふたつの表現に踊らされるようにして時を過ごし、一年の終わりを迎えている。
言葉少ない表現には、その独自の魅力がある。そのことは、誰もがいくつかを記憶しているであろう短歌・俳句・詩歌・アフォリズム・警句・スローガンなどを思い起こしてみれば、よくわかる。その表現がすぐれた形で成立していると、用いられている言葉の少なさにもかかわらず、何事かの深い本質に言い及んでいる場合がある。
だが、表現の「短さ」「簡潔さ」「いさぎよさ」には、熟考した判断の可能性を断ち切って、安易な「わかりやすさ」に直結する独特の魔力も、ある。政治的にいえば右翼であるか左翼であるかに拘らず、その魔力を知る人は多いだろう。
私だって、それを金輪際知らない、とは言えない。その力をこの一年、日本の現首相は最大限に利用した。
思い起すことも憚られるほどの、馬鹿馬鹿しい「ワン・フレーズ」表現をこの男は好んだ。得意になって連発した、と言ってもよい。それに難なく拝跪した「世論」なるものが疎ましい。
この風潮に悪乗りして、「貴殿は、北朝鮮による日本人拉致をテロと認識しますか」と問い、「はい・いいえ・その他から選択し」その理由を書け、などというアンケートを、選挙を前にした衆議院議員全員に送りつける連中まで現われた。
拉致被害者を「救う会」である。
ここでは、言葉の意味範囲を問うことは認められていない。「国家テロ」も「テロのうち」という問題意識は、もともと、あり得ない。
「テロ」と言えば、現代社会において、必然的に指弾されるべきものと認知されているものだけを指すのである。
「拉致」を捉える方法にも歴史意識はなく、特定の時代の、特定の勢力による、特定の「人さらい」行為を指してのみ「拉致」と呼ぶのである。
そうしておいて、「拉致はテロだ」と、問われる者に「認識」させるのが、この踏絵的なアンケートに込められた意味である。
意味内容を問うことも許さないような「雰囲気」を作り出した、問答無用の二語が連なっているのだから、これほどタチのワルい借問もめずらしい。
「拉致アンケート、回答を一挙掲載」と題した得意気な「保存版」記事(『正論』2004年1月号掲載)に、その無惨な結果は表れ ている。
あとは、これをテコに、「テロ」を実行した憎むべき国に経済制裁を科し、物流・人物交流の船=万景峰号の新潟入港を禁止できる法案を制定させれば、よい。
ひとに考える余地も疑問を発する時間も与えず、上から押しつけられた、ふたつと選択肢のないスローガンに唯々諾々と従う群れであれ、と強制すること。この風潮が、極限にまで至った社会に私たちは暮らしていると、一年をふりかえって思う。
年末に至って立て続けに起こる重大な事件をめぐっても、そのことは言える。
起こった物事の本質を問わず、ひたすら表面的・情緒的な反応に終始すること。
それは、まず、イラク北部を車で移動中の日本人外交官二人の殺害事件の報道姿勢に表れた。
ふたりはティクリートで開かれる復興支援会議に出席するために移動中だったという以上、その死を悼む報道と同時に、イラクにおけるふたりの政治的な位置が客観的に分析されなければならない。
ふたりは、バグダッド「陥落」後ただちに日本国政府から米復興人道支援室(ORHA)に派遣された。
明らかに米英軍の軍事的支配を本質とする占領行政に加担する形で始まったふたりの「任務」の質が問われることは当然のことである。
ひとの問いを黙らせるために意図的に使われている「人道支援」という、短く簡明な言葉に惑わされてはならない。
殺された参事官は、私が前号で触れた首相補佐官岡本行夫のイラク訪問の際にも随行し、彼らが占領軍との話し合いを精力的に展開したことを外務省ホームページの日録で報告している。
その意味を問い始めるなら、「人道支援」の範疇に収めようもない任務を託して派遣命令を下した現政府の方針それ自体への批判といきつくことは自明のことだ。
米軍によるサダッーム・フセイン「拘束」に関わる報道も同じだ。新聞休刊日の前夜にテレビとラジオを媒体として、この大きなニュースは流れた。
綿密に計算し尽くされた映像が巧みに活用された。
イラク占領統治者たちは、記者会見の場で、「ねずみのように」小さな穴に隠れていたところを見つかったフセインが、ぼうぼうとのびた頭髪と顎鬚を米兵にまさぐられ、大きくこじ開けられた口を検査されている時の映像を、全世界に向けて公開した。
占領者たちの顔には、勝ち誇った表情が隠しようもなく表れている。
フセインに対して何らの共感も持たない私のような人間にも、このような映像を撮影し、あえて公開する者たちの意図が透けて見えて、不快に思った。
フセインの引き合いとして出すのは気の毒とはいえ、1967年10月ボリビア山中で政府軍との戦闘中に負傷して捕えられ、銃殺される直前のチェ・ゲバラの幾枚もの写真が思い出された。
イラク民衆の立場から、そしてクルド人の立場から、フセインの恐るべき独裁者としての実像が、どのように語られ、描かれても、いいだろう。
同時に、もし世界を支配する軍事力のあり方次第では、穴から引き摺り出されたねずみのように映し出されるのが、アフガニスタンとイラク民衆の殺戮行為を自軍に命令したブッシュとブレアであっても不思議ではないとするのが、正当な複眼的な認識である(強力な軍事力をもつ国が世界を支配することや、このような映像が公開されること自体を「是」とする立場から、言うのではない)。
衝撃的な映像がもつ「簡明さ」は、そのあまりのわかりやすさのゆえに、別な視点からの問いかけを許さない。
他人の口をこじ開けている衝撃的な一瞬の映像も、反復して映し出されることによって、ごく当たり前のものとして受け入れるよう、ひとにはたらきかける。
これらの虚偽を衝く、簡明にしてごまかしのない言葉を私たちは見つけださなければならない。
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