あと二ヵ月経つと、日朝首脳会談が開かれ、国交正常化に向けたピョンヤン共同宣言が発表されてから一周年を迎える。
「拉致」問題の処理をめぐって両国政府の合意は得られず、二〇〇二年一〇月にも開始されるはずだった国交正常化のための会談は一度も開かれないままに一周年を迎えようとしている。
この一年間の流れを回顧する企画が次々とメディアには登場するだろう。
「拉致」という国家犯罪のむごさに絶句し、同時にこの国のメディア報道とそれによって作り出されてきた社会的な「空気」のなかで、重苦しい日々を送ってきた私たちも、このまったく新しい情勢の下にあって、私たちがなしえたこと、いまだなしえていないことを点検する必要がある。
その作業を、私は、刊行されたばかりの『「拉致」異論 あふれ出る「日本人の物語」から離れて』(太田出版、二〇〇三年七月刊)において、ある程度まで行なった。ここでは、要約していくつかの論点を挙げておきたい。
率直な総括が決定的に欠けている
「9・17」首脳会談がもたらした衝撃のひとつは、北朝鮮という国家社会を自分たちがどう捉えてきたかという内省を、私たちが否応なく迫られた点に関わっている。
東西冷戦体制・準戦時状態の継続・北朝鮮から見た日米安保軍事同盟の意味合いなど、「拉致」の背景として客観的に考え得る要素はいくつかある。
そのうえでなお、北朝鮮特務機関が行なった「拉致」行為を許しがたい国家犯罪と
して捉え、自らの今までの「北朝鮮論」をふりかえる作業が必要だと私は考えた。
これを契機に必然的に起こるであろう国家主義的・民族排外主義的な「反北朝鮮」
キャンペーンと有効に対峙するためにも、何よりも自己点検が不可欠だと思ったのだ。
その点では絶対的な正しさを主張できる個人も運動体も、どこにも存在しない。
この時代の攻防の主軸は、有事体制の構築を推進する側とそれを阻止しようとする側の間にあり、「北朝鮮論」は必然的にその中で主要な論点のひとつとなる。
個々人も個別の運動体も、力不足を自覚しつつも、運動総体のあり方を点検しあう立場に立てばよい。
だが、率直にいって、この作業は、「進歩主義者」「良心的市民派」「左翼」のどこを見ても、決定的に欠けている。
「拉致はない」と言ってきた人も、「収容所国家=北朝鮮」の現実に目を瞑ってきた人も、「植民地支配の清算を終えていない段階で、相手国政府のあり方を批判できない」と考えてきた人も、多くは、率直な言葉遣いで内省することを避けている。
「無謬の思想」の呪縛から、まだ解放されていないのだろうか? これでは、小林よしのりに、ふたたび負ける。
「思想で生きているわけでもない、たかがマンガ家ふぜいは、過ちも犯すのだ」と、顔を赤らめた自画像を描くという「自己批評性」をもつ小林に負けるのだ。
小林との相対的な比較のうえでは「思想で生きて」おり、その思想が間違っていたことが明らかになっても、その過ちを率直に認めようとしない者たちは。
その光景を、私たちはつい十数年前に目撃したばかりだ。ソ連が崩壊し、自らが抱えてきた「理念」が死んだと考えた、少なくない数の人びとが口を噤んで逃亡した。
冷戦とは、米ソ共存の構造であったとも言えると思うが、「その中でバランスをとっていたに過ぎないリベラル派や進歩派の多くも、ソ連崩壊でバランスを失い、転んだ」、とかつて私は書いた。
二度もこんなことを繰り返すわけにはいかない、と思う。だが、現実には、それが繰り返されている。私たちは、逆風に抗うための基本的な位置の取り方すら、まだ定めてはいないのだ。
情報操作の二面性
「9・17」以降のメディア報道が、いかに一方的な情報の垂れ流しになっているかという問題については、多くの人びとは気がついている。異論を許さない、見えない「社会的な雰囲気」があるために、それは必ずしも顕在化しているとは言えないにしても。
メディアにおけるすべての報道を、情報操作の意図総体の中で捉えることは大事なことだが、右に触れた「北朝鮮国家論」および「朝鮮総連論」なくしては対峙できない種類の問題もある。
七月四日付け産経新聞の一面トップ記事の大見出しはいう。「6億5000万円消えて行く 無責任な北4ヵ月連絡なし」。
昨年一二月、日立港防波堤で座礁した北朝鮮船籍の貨物船「チルソン」号の撤去作業に関わって、北朝鮮側が補償の意志をいっさい示さず、船主責任保険にも未加入のため、船体撤去・油防除対策・オイルフェンス購入費・その他の作業経費は、国と茨城県+日立市がそれぞれ半額相当を負担してまかなうことを伝える記事である。
つまり「消えて行く6億5000万円」は「税金から拠出」されることを強調し、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」事務局長・蓮池透の談話が記事を締めくくる。「日本は老朽船の捨て場ではない。
日本の税金で撤去するなんて、とんでもない話。自分で座礁したのだから北朝鮮がちゃんと片づけるのが当然だ。日本側もおとなしく処理せずに北朝鮮に対して、もっと強硬に責任追及すべきだ」。
同じ日の下段にある「産経抄」なるコラムは、東京・品川の「船の博物館」で展示されている、奄美大島沖から引き揚げられた北朝鮮工作船を見学しての思いを記し、その「重装備の武器に目をみはる」と言い、日本憲法前文の「太平楽」と対北朝鮮太陽政策の「能天気」ぶりを揶揄する。
座礁船処理の問題は、拉致・麻薬取引・核保有・収容所社会などの問題とともに、北朝鮮国家とは何かという問題意識の中でしか捉えることができない。
それは、旧ソ連・現(!)米国も含めて、広く国家論として展開できる領域もあろうが、目前の問題としては固有に北朝鮮国家の本質が体現していることとして捉え
なければ、無効になるだろう。
その意味でも、北朝鮮国家とどう向き合ってきたのか、いまこの体制をどう捉え、何を言うかということは、決して蔑ろにできない問題なのだ。
私はまだ現物を「見学」に行っていないが、工作船展示の問題については、言うべきことはある。
前出の「産経抄」は、「ロケットランチャー、二連装機銃、携行型地対空ミサイルなどなど恐るべき戦闘能力を備えていた」と書く。いつでも被害者ぶってはいけない。
日本自衛隊が現有するイージス艦の「戦闘能力」と比較してみればよい。また「情報収集衛星」なる偵察衛星が、北朝鮮を常時監視下におく日も近いことを思い出すことも必要だ。
世界第二の軍事大国=日本が、超越的な軍事帝国=米国との同盟関係をますます強化している事実が、北朝鮮も含めた他国民衆からどう見えるものであるかという自己省察を欠いたこの種の言動の欺瞞性は、厳しく批判し続けなければならない。
同時に、この工作船事件においても、北朝鮮国家のあり方の問題は浮上する。
金正日は日朝首脳会談の席上「(工作船については)調査して実態がわかった。
私は知らなかった。特殊部隊が自発的に訓練で行なっていた。二度と起こらないようにする」と釈明した。
拉致も知らず、工作船も知らなかった金正日は、北朝鮮社会の誰ひとりとして反抗どころか批判すらできない体制の中で、超越的な不可侵の将軍として存在している。将軍への忠誠を誓う悲壮な言葉を木片に残して、狭い船室で死んでいった若者たちへの思いのかけらも感じ取ることはできない。
工作船の展示は日本財団の八千万円の経費負担によって実現した。船のそばには財団会長・曽野綾子が手向けた花があり、そこには「2001年12月22日九州南西海域で沈んだ朝鮮民主主義人民共和国の若者たちに捧げる」という曽野の追悼文(朝鮮語・英語・日本語)が添えてあるという。
曽野の日頃の言動からすれば意外な、しかし見る人の心を捉えずにはおかないであろうパフォーマンスである。金正日の無責任な態度が人びとの脳髄にはくっきりと刻み込まれているだけになおさら。
一口に情報操作といっても、現実はこのように複雑に錯綜している。大事な情報を選り分け、的確な分析、共感か批判かの率直な表明を惜しむべきではない。
|