ひとがものを言うということは、なかなかに微妙な問題を孕むものだな、と自戒をこめて、あらためて思う。筑紫哲也が姜尚中との対談「ブッシュの誤算、小泉の醜態」(『週刊金曜日』4月4日号)で次のように言っている。
([ ]内は、筆者が要約した部分)。「[米国政治の異端な存在であったラムズフェルドらネオ・コンが政治の真ん中に出てきたのは、9・11がきっかけだった。日本にも相似形がある。北朝鮮による拉致事件をめぐって起きたことだ]。
拉致被害者支援団体『救う会』の中心にいる人たちは、もともと日本の世論の端っこにいた。
その彼らが『真ん中』に出てきてしまった。首相官邸の意思決定にも大きな影響力を及ぼしたし、何よりも『拉致家族』が自分の陣営にいるということが、強いカードだった。
そして、そうでなくても腰が引けてしまいがちなメディアに対しても、監視装置として強い力を持つようになった」。姜は答えて、言う。「まったく同感です。メディアの表舞台に出てこなかった人たちが、『わが世の春』という形で登場している。『拉致の事実』という大義名分があるので、メディア側もそれをハンドリングできない」
ふたりが言っていることは、事実としてそれほど間違っているわけではないかもしれない。
だが、社論としての統一を図るフジ・サンケイ・グループおよび読売系列の言論メディアへの台頭、書店店頭で見るかぎりでもわかる『正論』『諸君!』『サピオ』などの、他の雑誌との関係における相対的比重の増加など、この十数年の動きを知っている者から見れば、彼らが「世論の端っこにいた」のははるか昔のことで、その言論内容は、大衆社会の中にムードとしては浸透を続けてきていた。
ソ連社会主義の崩壊以降は特に、旧来の左翼・進歩派の「転向」が相次ぎ、言論の分布状況に大きな変化が生じており、「世論の端っこ」の意味合いそのものが変わってきていた。
確かに、彼らがテレビ各局や「産経」以外の新聞にまで登場しはじめたのは 「拉致問題」が社会化した昨年秋以降ではある。
だがそれを、いささかの皮肉か批判かをこめて指摘しているのが、視聴率の高い深夜のニュース番組のキャスターを長年務めていたり、大学教授としてテレビ・雑誌・新聞メディアに出ずっぱりの人間であるからには、決して小さくはない違和感をもってしか、読むことはできなかった。
ふたりは、マスメディアに登場するというレベルでいえば、いわばきわめて特権的な場にいつづけている人物である。「メディアの表舞台に出ている」人間が、他者が同じ舞台に登場することに対する「批評」としては、引用した発言は自己批評を欠いているのではないか。
自分がメディアの「真ん中」に出ていることは、どういう意味なのか。自分のメディアへの登場の仕方は「わが世の春」を謳歌しているわけではないのか? その視線なくしては、他者批評は不可能ではないのか。
加えて、筑紫が担う番組「ニュース23」は、ただでさえ「腰が引けてしまいがちなのか」、「救う会」が登場して「監視装置として強い力」の圧力下におかれていると感じているのか。
少なくとも、それへの言及はなされるべきでないか。
姜が言う「拉致の事実」も、このような触れ方では、批評にもならない「ぼやき漫才」に終わってしまう。
上出来のぼやき漫才なら楽しんで笑うこともできるが、このような文脈で「拉致の事実」を軽く流す(姜に、そのつもりはないことは理解している)物言いが、「救う会」の言動が大衆社会の中で生き延びることに手を貸すことにはならないか。
こんないくつもの思いが浮かび、ふだんはもう少しすんなりと胸に入るふたりの発言に複雑な感想をいだいた。
ところで、事実として、「救う会」メンバーはますますメディアに登場している。米国大統領ブッシュが、3月17日イラクに対して最後通告の演説をしたとき、3月18日付け朝日新聞夕刊は「識者・関係者の談話」の中で「救う会」会長佐藤勝巳の意見を取り上げている。
「テロをなくすためにはイラクへの武力行使もやむを得ない。テロを許すか否かという点で国際社会の意見が分かれてきていると感じる。北朝鮮への対応も同じ。
厳しい態度で臨む国と甘い姿勢しかとれない国に分かれるだろう。[日本政府の米国支持表明については]結果的には正しいが、単なる対米追従路線の延長で主体的な意思表明とは思えない」。
「テロとは何か」という本質的な問いはもちろん、「テロ」と「イラク」を結びつける根拠を問うことも、いまの佐藤には意味はないだろう。
ふだんの、その大雑把な言動からして、最初の一文が自動的に口をついて出てくる立場に佐藤は自らを置いていて、動じないからである。
むしろ、社会状況全般の問題として、イラク情勢を語りつつ、それを常に北朝鮮情勢と連動させるという、現在のメディアの情報の提供の仕方にどんな問題が孕まれているかを見逃してはならないのだろう。
「イラク危機=北朝鮮危機」という情報「操作」が、無意識のうちに私たちの中に作り出す「思い込み」と「すり込み」に自縄自縛されないように。
「救う会」ばかりではない、拉致被害当事者や家族の思いと動静も頻繁に報道され続けている。
4月1日付け読売新聞は横田夫妻の「イラク戦争 揺れる思い」と題する記事を掲載している。父親は「国連を無視した形のアメリカのやり方は、良いとは思えない」と語り、母親は「戦争は悪いに決まっている。でも、独裁者とは話し合っても無駄です。
話し合いに応じないから、フセイン大統領は査察をさせないし、金正日(総書記)はめぐみを返さない」と語る。
インタビュー記事のため省略による不正確さもありえようが、ふだんは冷静な言動を保つ母親が、「査察」ひとつについても事実を踏まえない発言を行ない、それが記事になることには、確かに、筑紫と姜が指摘したかったのであろう問題点が視えてくると思える。
(2003年4月7日執筆)
|