2002年12月末、米国では天然痘予防接種が始まった。対象は中東への派遣部隊兵士や国内の医療関係者など百万人だという。
しかし、「 9・11」直後の炭そ菌事件の影響や、「悪の枢軸」イラクがいつなんどき生物・化学兵器を使うかもしれないという宣伝が行き届いた現状では、米国人口の6割が接種を希望していると、02年12月19日付けの朝日新聞は伝えている。
疫病が、世界史上の出来事で思いがけぬ大きな役割を果たす例は、しばしば見られる。古代ローマがポエニ戦争(前264〜前146年)に勝利したのは、相手のカルタゴ軍に天然痘が流行ったことが遠因だとする研究がある。
1520年スペイン人征服者が徴発した黒人奴隷によってアステカの首都テノチティトランにもたらされた天然痘が、多くの先住民の命をうばい、人びとは疫病の大流行に不吉な前兆を読みとって、軍事的に征服される以前に精神的に消耗しきっていた事実もよく知られている。
1770年にはインドで三百万人の犠牲者を出したという恐ろしい記録も残っている。その天然痘も、いまから20数年前の1980年に、世界から撲滅されたとWHO(世界保健機構)は宣言していた。日本では、すでに1976年に定期の予防接種が中止されたという。
天然痘ウイルスは米国とソ連(当時)の研究施設にのみ封じ込められ、自然界から一掃されたはずだった。
そのウイルスが一部流出したかもしれないことが懸念されていたり、イラクと北朝鮮が隠し持っているかもしれない可能性のあることが「指摘されている」とメディアはいう。
ワクチンの副作用禍への恐れもあいまって、危機感が膨らみ続ける米国社会のパニック現象には、無視しがたい合理的な理由があるように見える。
イラク大統領フセインには、たしかに、生物・化学兵器使用に関しての前科がある。
もっとも悲劇的な事態は、1988年 3月16日に北イラクにあるクルド人居住地ハラブジャで起こったものだろう。
これについては中川喜与志の『クルド人とクルディスタン:拒絶される民族』(南方新社、2001年)が詳しく述べており、私の知識もそこから得たが、イペリット、サリン、タブン、VXなどを混合したカクテル・ガスの標的にされて、およそ5000人の非戦闘員・一般市民が殺され、一万人を越える負傷者が出たという。
当時はイラン・イラク戦争の末期で、対イラン国境に近いこの町はイラン軍の支配下にあり、イラク軍はその掃討作戦の過程で化学兵器を使用した。
クルド人がヒロシマと重ね合わせて「ハラブジマ」と呼んでいるというこの虐殺犯罪は、今後さらに実態が明らかにされる必要があるが、中川と共に注目しておきたいのは、この犯罪が世界でどのように報道されてきたか(正確には、報道されてこなかったか)という点に関わっている。
中川によれば、イラン政府がフセインの犯罪を世界に暴露するために現地にジャーナリストを招いたこともあって、事件直後欧州メディアでは大きく報道された。
しかし、それは長続きせず、いつしか報道の表面から消えていった。その後の湾岸戦争の時も含めて、欧米諸国からすれば、「ハラブジマ」虐殺はサダム・フセインの犯罪を証明するにはもっとも利用価値が大きいにもかかわらず、黙殺された。
それは、この虐殺を行なったころのイラク・フセイン体制は、欧米諸国にとって、イラン・イスラム革命の波及を阻止するうえで密接な同志であり、所詮は国家を形成し得ていないクルド民族をどんな運命が見舞おうと、洞が峠を極め込んでいればよかったのである。
またフセインが化学兵器を製造するについては、西ドイツ(当時)の企業を中心に欧米各国の支援がなければ不可能であり、毒ガス事件を追求していけば、自らの身に責任がふりかかってくることも自明のことであった。
もっとも重要なことには、長年続いたイラン・イラク戦争は終局に近づいており、イラク政府はすでに戦争後の各種復興事業を国際入札で実施することを明らかにしていたので、「復興特需」に与ろうとする欧米諸国は、イラク政府との関係を思えば、虐殺にも知らぬふりをするほうが得策だったのである。
大メディアを手中に収める彼らにしてみれば、ごく簡単な情報操作で済ますことができる。
こうして、フセインの「前科」には欧米諸国に浅からぬ共犯性があることを知れば、一面的な天然痘騒ぎをも、情報操作の一環として複眼的に見ることが必要だということがわかる。
戦争を起こさぬための努力をするのではなく、自ら戦争を煽り、「敵」はそれに対して「核・細菌・毒物テロ」で報復するかもしれないと宣伝して人びとを恐怖心で組織する作戦に騙されるのは、あまりに安易にすぎると思える。
甘んじて騙された安易な例は、朝日新聞12月31日付け社説「天然痘テロ:備えあれば憂いなし」だろう。有事法制の根拠を問われた小泉がひとつおぼえよろしくこの言葉を使ったので、「備えあれば憂いなし」という表現は価値を急落させた。この社説の論理水準も目を蔽うばかりだ。
「生物兵器は持ち運びがたやすい武器でもある。米国のイラク攻撃が迫れば、イラクがテロ組織を使って米国内にばらまく恐れもある。
また、いったん使われれば、地球規模で汚染が広がる危険もある」とする社説は、日本の防疫体制の不十分さを指摘し、在外公館にもワクチンを備え、防疫体制の整備によって生物兵器を無効化することを主張している。本末転倒であり、1980年段階で米ソ二大国にウイルスが保存された根拠を問いただすこともない。
疫病ウイルスの措置にせよ、大量破壊兵器の査察やNPT(核不拡散条約)にせよ、そこには大国優位の原理がはたらいている。
国家間・民族間の関係が公正で対等であることに、少しも心を砕くことのない日本と欧米諸国は、何かに怯えて人為的な恐怖を煽るという悲喜劇を続けざるを得ないのである。
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