「奪還」とは、かつて左翼の用語であった。その路線への賛否は別としても、1970年沖縄闘争のときには「沖縄奪還」のスローガンを掲げた党派があった。
いまや解散した日本赤軍は1977年、日航機を乗っ取り、目標のひとつであった「獄中者奪還」を実現した。時は移ろい、いま新聞に大広告が載って書店に山積みになっているのは蓮池透著『奪還』である(新潮社)。
副題に「引き裂かれた二十四年」とある。もちろん、北朝鮮による拉致被害者のひとり、蓮池薫の兄が書いた「怒りの手記」である。
拉致被害者に対する個別取材は、帰国後一貫して許されていない。メディアが、
被害者の家族の人びと、救う会、拉致疑惑日本人救援議員連盟の言動に対して批判を行なうと、以後の取材が拒否されるなどの差し障りが生じるとの怖れをメディア側はもっており、実際にその報道内容が「関係者」の逆鱗に触れて、一時取材制限されたメディアもあるという。
被害者本人がメディアの前に出て語ることもあったが、その場合の会話は当たり障りのないものに終始しており、いくらか立ち入った機微にふれる内容の発言は、親・兄などの口を通して社会に伝えられるだけである。
つまり、口承である。口承は、伝説や文学の場合には独自のおもしろい世界を生み出すが、この場合は深刻にして重大な社会的・政治的テーマであり、自ずと性格が異なる。
いままで、そのようにして伝えられた被害者の発言には、思うところも多々あったが、口承の過程での「変形」の可能性も考え、それに基づいて何事かを発言することは控えてきた。
発言を控えた理由はほかにもあって、北朝鮮にそれぞれの家族は生活しており、彼(女)たちは、立場上率直に物事を語る条件を持ってはいない。家族会、救う会との関係からいっても、同じことだろう。
洩れ伝わる言葉のはしはしで、第三者が何かを解釈したり、感想をおおやけに言うのは気の毒だろうとも考えたことも、伝えられる「被害者の言葉」なるものへの感想を控えてきた理由である。
『奪還』を読んで、その思いが少し変わった。著者は、被害者5人の帰国前から、ひょっとしたら弟が北朝鮮によって「洗脳」されているのではないか、と恐れている。
帰国直後は、その危惧が当たっていたとしか思えない発言を、弟・薫は次々と行なう。兄・透が書いているとおりに、それらの発言を引用してみる。
死亡したと北朝鮮側が発表している増元るみ子の弟・増元照明は、帰国翌日に行なわれた被害者と家族の面会時に「もし拉致被害者とその家族全員が帰ってきたら、金政権を打倒してやる」と言ったが、蓮池薫はあとで兄に対して、「何だあの人は。日本人はみんなああいう人ばかりなのか。ああいう思想は危険だ。兄貴も同じ意見を持っているのか」と言った。
同じ日の夜、北朝鮮へ「戻る」日取りの相談をしているとき、家族からは「北朝鮮に戻る必要はない」という意見も出て、会議は紛糾する。その後で弟は言う。
「われわれは朝鮮から国交正常化のために来た使節団だ。正常化すれば、自由に行き来できる」「俺がここに来たのは朝鮮公民としてだ」「俺は向こうで日本が過去にやってきたことを肌で感じた。自分でも勉強したし、いろんな招待所で話も聞いた」「拉致は許した。責任ある人が俺に謝ったんだ。みんなよくしてくれた。だから許した」。
また別な日には「アメリカはひどい国だ。イラクを攻撃することは許せない。アフガン攻撃もひどい。強大な力を背景に力のない国を征服し始めている。あれは帝国主義だ」「日本は有事法制を変えたな。アフガンにも自衛隊を派遣したじゃないか」。
(それは誰かに強制されて言っているのではないか、と問う兄に答えて)「誰からも強制されていない。俺は自分で勉強したんだ。そしてその(主体)思想に共鳴したんだ。俺は祖国統一のため、朝鮮公民として尽くす」。
北朝鮮の体制を思えば、蓮池薫がこのように考えるようになったのは、絶対的な権威を誇る立場の者からの、一方的な、イデオロギーの注入過程によってだ、と考えることはできる。
相互対話性・相互浸透性を欠いた、強制力を伴った「思想教育」が、結果的にいかに脆いものであるかということは、ソ連・東欧圏の社会主義体制の崩壊後に起こっている現実によっても裏づけられている。
「朝鮮公民として」という言葉にも、かつて日本が朝鮮民衆を「皇民化」し、「皇国臣民ノ誓詞」を強要した歴史を思い起し、天皇制の陰画とも言うべき金日成=金正日体制が強いた「教育」の「成果」を見る。
だが、兄によって記された蓮池薫のこれらの一連の発言を、その後の日本社会を覆い尽くしている、情動的なナショナリズムの悪扇動の中においてみると、これらの言葉(思い)が、来るべき新たな日朝関係構築のために有効に生きる場所がなかったものか、との思いが浮かんでくる。
かつての親友との対話の中で蓮池薫は「俺の二十四年が無駄だったというのか」と叫んだという。
ここには、拉致という許しがたい行為と、北朝鮮での生活における思想教育の一方的なあり方と向き合い、これを克服し、主体的な立場で物事に当たろうとしてきた蓮池薫の切実な思いが込められていると思える。
彼(女)たちは、否応なく、こんな思いを胸に秘めて前向きに生きていこうとしていたのだろう。
酷薄な国家が強いる不条理な運命に対して、個々人が抗うことのできる範囲は小さい。
だが、拉致された先の北朝鮮において日朝関係史を学ぶなかで日本国家の本質を掴み、拉致されたという事実で北朝鮮国家の冷酷さも身に染みて知っている被害者は、だからこそ両者に向かって何事かを明確に言い得る立場にあるのではないか。
それは、両国双方が犯した国家犯罪を贖罪し、許し合い、和解を生み出すために、(不幸な出来事が機縁とはいえ)またとない媒介の位置にいる人びとなのではないか。
現実には、「洗脳状態」から弟たちを救い出そうとする蓮池透たちの努力は、効を奏しつつあるようである。
北朝鮮との戦争も辞さないと断言する好戦的な人物が綴る「家族愛」の物語を読みながら、私は「失われた可能性」を考えずにはいられなかった。
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