「9月」を迎えて、何かと回顧し追想する報道が盛んだ。「9・11」「9・17」という、世界と日本を揺るがした現代史上の大事件が起こった月である以上、当然とも言えよう。 だが、戦後史の中で「8・6」や「8・15」がどのように回顧され追想されてきたかを思い起こしてみても、どんな立場で回顧し追想するのかということが、物事の基本にある大事なことだ。
9月は「9・1」に始まる。1923年9月1日から数えて、今年は80年目であった。
もちろん、関東大震災が起こった日付である。「防災訓練」という形でこの日を回顧し追想するのが、この社会の変わることなき主流である。
今年はさらに、地震発生周期律からすれば、東京直下型地震がそろそろ起きても不思議ではないという観点から、大地震が起こった場合の死傷者や被害の程度を予測し、これにどう備えるかという報道が目立った。
メディアに決定的に欠けていたのは、この日が大震災の日であると同時に、「朝鮮人がこの震災を利用して放火・投毒している」という「流言蜚語」に端を発して、推定6433人の在日朝鮮人、200人を越える中国人、数十人の日本人が殺された日でもあるという、回顧・追想の仕方であった。
自然災害の悲劇ばかりが強調され、人為的な殺人行為をふりかえることは無視されたのである。
震災後ただちに発布された戒厳令に基づき治安維持の権限を掌握した軍隊・警察によってつくられた自警団がこの殺人行為の主体であった。
在郷軍人・青年団・消防組を中心に形成された自警団に一般民衆も加わって行なわれた虐殺行為は、9月7日ころまで続いたと言われている。
この事実を回顧しようとしない防災一色の報道の中で、唯一といっていい例外が8月25日付の朝日新聞夕刊の記事である。
それは、日本弁護士連合会が、関東大震災時に「暴動が起きた」などの虚偽情報を国が流したことが朝鮮人虐殺を誘発したとの調査結果に基づいて、日本政府がその責任を認めて謝罪するよう求める勧告書を首相宛に提出したことを伝えている。
これは、1998年8月31日に「虐殺された朝鮮同胞を追悼する千葉県西部地域同胞の会」が、虐殺事件の真相調査を求めて、日弁連に対して人権救済の申し立てを行なったことへの、5年後のひとつの回答である。
日弁連人権擁護委員会の梓沢和幸弁護士らが記者会見を行なって、この勧告書の提出を発表したにもかかわらず、これを報道するメディアが極少であった(朝日新聞の他には北海道新聞など地域紙が小さいながら報道した)ことは、本当は、異様なことである。昨年の「9・17」以降延々と続く北朝鮮報道の洪水を、私たちは知っているだけに。
1年前の「9・17」で明らかになった事態と、80年前の「9・1」は、発生の根拠において無関係であろうとも、いずれも清算されていない、許されざる国家犯罪であるという捉え方ができるなら、見慣れた報道のあり方(回顧・追想の仕方)は変わりうる。
日々メディアに接して情報を得ている私たちの認識方法にも、変化のきっかけが生じうる。
だが、悲観的にのみ語るべきではないだろう。メディアの内部からも、北朝鮮報道に関して独自の視点で語る人が、ようやく、生まれ始めた。
共同通信ソウル特派員、青木理は『北朝鮮報道に「理性停止」は許されない』を書いた(『現代』2003年10月号、講談社)。
去る5月、米上院の委員会で、「ミサイル部品の90%は万景峰号で日本から運ばれた」と語った、北朝鮮でミサイル開発に関わったとする元技術者の覆面証言が、その信憑性が何ら検証されることもないままに大きく報道され、それが万景峰号入港阻止の「気分」をつくり出してしまった日本社会の集団ヒステリー状況を、青木は報道の現場から憂慮している。
拉致報道一色の日本社会を、韓国のジャーナリストや民衆がどう見ているかも語られており、一読に値する。
毎日新聞で「拉致」報道の第一線に立ってきた記者、磯崎由美は「制裁だけでは解決しない」と語る横田滋・早紀江夫妻の声を伝えた(9月7日付毎日新聞)。
私は、櫻井よし子の「誘導尋問」に答える横田夫妻の声(「日本よ、あたりまえの国になって下さい」『諸君!』10月号掲載)のほうに、ふたりの現在の本音が出ていると考えているが、別な声も並存していることを伝えた磯崎の記事は大切だと思った。
無為無策の小泉と無責任な金正日の角突き合いの狭間で葛藤する拉致被害者・家族の思いが、今までのように一面的にではなく、多面的に伝えられる契機になればいいと思う。
2年前の「9・11」についての回顧もメディアを埋め尽くしている。
「グラウンド・ゼロ」に焦点を当てると、相変わらず、感傷的に被害者やその家族に一体化したトーンの物言いや記事が目立つ。
遺体が見つからないので葬儀をやらないできた遺族が、ついに諦めて、記念の品を棺に入れて埋葬したということが大ニュースになる。
「9・11」以後の2年間をふりかえるなら、当然にも、別な視点からの回顧が必要だろう。
「9・11」犠牲者の家族の中からこそ、アフガニスタン爆撃にもイラク攻撃にも反対し、現地を訪ねて米軍の攻撃による被害者と交流する動きが生まれた事実などは、事態を全体的に捉えるうえでは避けることのできない視点だったはずだ。
米国が国連に示したイラク多国籍軍派遣のための新決議草案は、米軍の主導権を維持したまま、占領統治に伴なう混乱処理における分担を欧州・日本・中東諸国に求めるという身勝手さが、メディア上でも、ある程度の批判にさらされてはいる。
だが、この間の米・英・日などの政治指導部が採用している政治・軍事路線の過ちの重大性からいうと、批判的な回顧と分析は、まだまだ決定的に少ないと言えるだろう。
メディアのなかにも大勢に流されない動きが生まれてほしいが、私たちもまた、歴史的な回顧と現状分析の方法について、さらに熟考しなければ、と思う。
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