一
松井やよりさんの仕事の意味を、著書や松井さんが関わった雑誌を読み直したり眺めたりしてふりかえる作業は、イラクに対する侵略戦争が続けられている日々に重なった。
いつにもまして、重苦しい日々だ。いままでの世界秩序だって、決して理想的なものでも、美化すべき水準のものではない。
だが、世界(地球)全体が、あたかも米国の勢力圏であるかのようなふるまいが目前に展開しているというのに、しかもそれに対する反対・抵抗の動きが民衆レベルでも、各国政府レベルでも大きくなされていたのに、この戦争は始められてしまった。
こんな時代を招き寄せるために生きてきたのではない、という思いがしきりにする。
ニューヨークとワシントンにある米国の経済的・軍事的権力を象徴する建物を破壊し、そこに働く人びとをおおぜい殺した「9・11攻撃」の、視えない実行者に対する報復を口実に、米国がアフガニスタンに対する爆撃を始めてまもなく、忘れようもない記事が或る新聞に載った。
アフガニスタンのような、国家の体をなしていない国は、欧米諸国が昔のように植民地支配をしたほうがいいのではないか、という意見が米国で公然と出始めている、とそのニュースは伝えていた。
イラクに対する戦争と、いま目論まれている占領統治は、そのような考え方の延長上でなされている。
二
松井さんがこだわった問題群は多岐にわたる。それらが収斂する先が、欧米諸国および(アジアにおいて唯一)日本が行なった、他民族に対する植民地支配の問題であるように思える。支配した側は、どこにせよ、被害者側に対して、物理的に補償するなどとは考えもしない。
精神的には、人によっては反省したり、厳しく自己批判する考えや運動が、植民地支配が現実に行なわれている時代にも後世の時代にも、ないわけではないが、それが支配した側の社会全体のものとなるのは、至難のことだ。
したがって、「ポスト・コロニアル」という学術用語が氾濫する現代になっても、物理的にみてかつ精神的にみて、植民地主義の清算がなされているとは、言えない。
実際に支配が行なわれていたのが数百年前であったり、百年前であったりすることで、「それは当時の時代精神であった」「現在の価値基準で過去を断罪しはじめたら、混乱して収拾がつかないことになる」などという意見が、旧支配側から出てくることになる。
松井さんの仕事は、時代を生きるジャーナリストとして現在の問題に集中していたが、その「現在」が「過去」と切っても切れない関係にあることを見逃すことはなかった。それが、彼女の仕事に歴史的な奥行きを与えていた。
ましてや、彼女は多くの協働者と共に、「女性国際戦犯法廷」を開き、50年前まで自本軍が行なっていた性奴隷制を現在にまで引き続く問題として裁く場を実現した。先駆的なこの仕事がますます意義をもつ時代を、松井さんの死後半年も経たないうちに私たちは迎えている。
三
松井さんが遺した最後の本の1冊が対話集『20人の男たちと語る性と政治』(御茶の水書房)だが、ここに収録された徐京植さんとの対話を読んでいて、ふと目にとまった箇所があった。
それは、徐京植さんがフラ・アンジェリコの「受胎告知」が好きだと書いていることに触れて、松井さんもフランス留学時代にイタリアへ行ってそれを見ており、「内面的な美しさとはこのことか」と息をのんだと語っている部分である。
対話者が徐さんなので、美術に関する会話はなお続くが、松井さんはその後は聞き手に徹しており、自分の好きなアート作品にせよ美術観にせよ、それ以上は語っていない。
その後の話も、ポルノ的な表現に対する嫌悪や社会的・政治的なテーマの絵画が日本では受け入れられない事情などに展開していくので、聞き慣れた松井さんの声がそこにあるという感じがのこる。
松井さんが真っすぐに主張し続けた「正義の言論」に対して、ひねくれた場所から揶揄する言葉は、私も何度か耳にした。
それには、もちろん、反駁すべき場所がありうるが、松井さんが、もし、「受胎告知」を語ったときのような感性を示す機会がさらに多かったならば、松井さんの世界はもっと広がりを持ち得たのではないかと夢想する。
深く付き合った人には視えていたかもしれない、松井さんの世界の広がりが、一読者が相対する著書の中では必ずしも実現されていないことを、惜しむ。
四
松田道雄という小児科医がいた。子どもを育てているころは『育児の百科』(岩波書店)のお世話にもなったが、私はむしろ19世紀ロシア思想とロシア革命の研究家としての松田を信頼し、愛読していた。
彼は80歳を越えたころの1990年に『私は女性にしか期待しない』と題する本を書いた(岩波新書)。仕事上わかい母親と接する機会の多い彼は、「夫は日常生活ではデモクラシーを知らない」とする多くの女性のなげきを聞いた。
社会が急速にかわっていくことに対し「女は適応してかわったのに、男は一向かわろうとしない」として、男たちは相変わらず無意識に企業社会のしきたりを支えているばかりだから、「草の根のところでデモクラシーを実現できるのは女しかいない、というところに行きついてしまった」心情をエッセイ風に書いたものだ。
私は、こう書いた松田の年齢にはまだ遠いし、ここまで達観した物言いに自足する立場にもいない。
ただ、身近に知っていたり、その仕事や文章を通して遠くに見ている何人もの女性たちのことを思い浮べながら、心情的には松田の本のタイトルを口にしてみる心境にいる。
松井やよりさんは、その女性たちの中に、くっきりとした姿で立っている。
|