「9・11」以降、言語学者ノーム・チョムスキーが行なってきた米国の対外政策を批判する著書の翻訳・紹介がすすんだ。市場は飽和状態ではないのか、食傷するではないか、と思えるほどに。
そこに、さらに一書である。果たして? と多くの人が思うだろう。
原著が出版されたのは二〇〇三年。当然にも「9・11」を享けて書かれた論集である。
ブッシュ政権の中枢には、レーガン政権の反動派からリサイクルされた人物たちが居座っているとする著者は、レーガン政権が一九八〇年代初頭から行なっていた「テロとの戦い」をふりかえることから始める。
ニカラグアやエルサルバドルなどでは、米国が軍備を提供し訓練を施した軍隊こそが国民を殺す「テロリスト」であったのに、逆の宣伝が功を奏した事例だからである。本書を最後まで貫くこの視点は大事だ。
「9・11」以後を重視するあまり、米国現政権の横暴な外交政策を、前史から切り離して特殊化する考え方が広まっている現実の中では。
チョムスキーが一貫して重視するメディア分析が、本書でも鍵を握る。「鞭によって服従させられない自由な社会」では世論操作が重要で、それが政治の基盤だからだ。
事実、宣伝次第では、イラクにおける大量破壊兵器の発見に向けた、米国の必死の努力が不毛に終わってからでも、「国民の三分の一は米軍がそれを発見したと信じており、二〇%以上はイラクが戦争中に大量破壊兵器を使用したと信じて」しまう状況を、実際に作り出すことができるのだ。
以後の各章で取り上げられる地域・国は、常のチョムスキーらしくも、コロンビア、キューバ、イラク、東チモール、コソヴォ、北朝鮮、旧ソ連の中央アジア諸国、南アフリカ、イスラエル、パレスチナ――と世界の各地域に及ぶ。
例証は時代的にも自在に飛翔し、読者は、この叙述を時間的・空間的に整理するために、一定の努力を要請される。
だが、それを成し遂げた後には、「メディア・コントロール」を打ち破って、現実的で、新しい世界像・現代史像を手にしていることを知るだろう。屋上屋を架する類いの本ではない。
地球上にある(あった)個々の種の平均寿命は、生物学的にいえばおよそ一〇万年であり、それをほぼ費やしつつある人類は、政治・社会的に自滅に向かっている、という悲観的な観測から本書は始まっている。
それでもチョムスキーは、「自分の意思で好機を掴もうとしさえすれば」「平和と正義と希望を世界にもたらすことができる」と言って、本書を終える。
「これまであった試しがなく、多少ともそれに類似した状況すらない」「一つの国家が大がかりな暴力手段をほぼ独占する状態」の下で、しかもその国家の中に生きながら、著者の踏み留まり方はしぶとい。
集英社新書は、普通なら単行本になりそうな分量の大著を、あえて新書に組み込む試みを繰り返している。
本書もそうだ。果敢な選書ぶりと、読者層拡大のための努力は貴重に思える。史上稀に見る愚かな大統領が再選されて、「批判の武器」としての本書の重要性は高まるだろう。
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