私の本『「拉致」異論』(太田出版)の所論に対して、和田春樹さんがなさった批判のインタビューと文章を読みました。「私と朝鮮・韓国との歴史的かかわり」(『情況』二〇〇三年一〇月号)と「われわれの過去の意味ある総括のために」(『インパクション』一三八号)です。
これに対して私が応答すべきだと考えた論点がいくつかあります。
一つめは、和田さんの拉致検証論文の評価をめぐって、です。
『世界』誌二〇〇一年一月〜二月号に和田さんの論文が発表されたとき、私は確かに『派兵チェック』誌上において和田論文を評価しました。
その文章は『「拉致」異論』にも収録してあるので、論旨をここで繰り返すことは避けます。私がこのときの和田評価を「自己批判」したのは、和田さんが言われるような、「(二〇〇二年)九月一七日以後」ではありません。
和田さんが二〇〇二年一〇月七日付朝日新聞に書いた「日朝関係を考える」および『世界』誌二〇〇二年一一月号掲載論文「北のペレストロイカは成功するか」を読んでからです。わずか三週間ほどの時間差ですが、それは見過ごすことのできない時間の流れです。
「九月一七日」以後この社会にあふれでた拉致報道の洪水の中で、私は微力なからも、何事かを、どう発言するかについて熟考しながら、小さなメディアで発言を始めました。自力で考えつつも、あまりに愚劣で低劣な言論情況の中で、いままでさまざまな意味で私にとっての導きの糸であった人びとが何を発言しているかにも大きな関心をはらっていました。
和田さんはそのひとりでしたが、メディア上には、当然にも出てしかるべき和田さんの発言はなかなか現われませんでした。ロシアに行っているらしいとの噂を聞きて間もないころ、ようやく上のふたつの発言に出会えたのです。
『「拉致」異論』にも書いたことを繰り返しますが、その発言が私には衝撃的でした。 確かに和田さんは「拉致検証」論文において、具体的に検討した個々の事件に関して「拉致ではない」と主張しているのではありません。
北朝鮮による日本人拉致に関わるいろいろな証言が出回ってはいるが、日朝関係は相手のある交渉事であるから、否定し得ない証拠を示さなければならない。
だが一件を除いていずれも証拠能力に疑いが残るので、北朝鮮との交渉にその案件を持ちだすにしても行方不明者として交渉するしかない、というのが論文の趣旨です。
その検証の過程においては、内外のさまざまな人びとが行なってきた調査・証言の多くは憶測や推測に基づくものだとしてこれに疑問を呈し、「見てきたようなフィクション」「奇妙」「創作」だとして斥けられていました。
私は、『世界』誌上で読んだとき、和田さんの言葉遣いの激しさに少なからず驚き、自らも「想像」と「推定」の言葉を多く使いながら「検証」作業を行なっていることでありながらここまで言い切ってよいものか、と危惧しました。
それでもなおこの論文の価値を評価すべきだと考えたのは、和田さんの真意がどこにあるかを理解していると考えたからです。
「拉致はない」と主張していたわけではないのだから、金正日が拉致を認め、謝罪した後になっても、自己批判する必要はない、とするのが和田さんの考えです。
他人に自己批判を強要することを、私はしません。ただ、検証の過程で和田さんが行なった「資料批判」の結果として、あの結論は成立し得たのです。
「拉致事件ではなく、疑惑でしかない」と言う結論を出す過程で行なった「資料批判」の方法が再審にかけられるのは当然だと私は思いました。
それは、他人がやるのではなく、和田さん自身が取り組むだろうと思っていただけに、二〇〇二年一〇月に書かれた文章では、まるで他人事にように検証論文の趣旨に触れるだけで済ませているのが、あまりに不思議に思え、理解できなかったのです。
その後の文章においても、和田さんは批判者に応答するなかで、次のような文章を書いています。「じっさいに田口八重子さんの拉致疑惑は認められた。
その意味で金賢姫の李恩恵証言には価値があったことは間違いない」。
金賢姫の証言の信憑性は、彼女を抱え込んでいた韓国情報部の介入も考えられるので疑わしいという印象を与えようとするのが和田さんの書き方だったのですから、後日このように書くときには、自己切開が必要だとするのは不当な意見ではありません。
また次のような文章もあります。「横田めぐみさんが拉致されていたことが事実であったからといって、そのことだけでは、拉致された横田めぐみさんに会ったという安明進氏の証言が信頼できるものだとは立証されない」。
この言葉を読みながら、一見整った形式論理が、ひとの心に響かない実例を見ているように思います。「資料批判」の方法を顧みることなく、論点を少しずつずらしているとしか思えず、そこで私は歴史家としての和田さんの分析方法に疑問をもったのでした。
ふたつめは、私が分析の主軸に据えた佐藤勝巳氏の評価の問題です。
和田さんは、かつて佐藤氏と共に日本朝鮮研究所の仕事を担い、佐藤氏とは違っていまもなお地道な朝鮮研究を続ける人びとや、和田さんたち自身の研究と運動を軽視して、佐藤氏の存在のみを大きく描きだしているとして、私を批判しています。
「一つの事例として検証されるべきもの」を過大視しているという批判です。
私が『「拉致」異論』において取り組んだのは、北朝鮮による日本人拉致事件をめぐって二〇〇二〜〇三年の日本社会に生まれている思想情況に対する批判的な問題提起です。
日本社会の戦後過程における朝鮮問題への取り組みのすべての事象を遺漏なく概観することは、もとより、目的ではありません。特徴的な現われ方をしていて、かつ現在の時点から見て貴重な教訓を残していると判断した個人・運動を選択的に取り上げたのです。
佐藤氏は、北朝鮮への帰国事業に熱心に関わっていた四〇年有余前は内(日本共産党)外(朝鮮労働党)の「スターリニズム」の呪縛の中にあり、北朝鮮への先制攻撃や日本の核武装を扇動するいまは現代的「ファシズム」の手中にあります。
いずれの時代の佐藤氏にも、いまとなっては、深い関心はありません。私が関心をもつのは、『「拉致」異論』でも何度も引用したように、思想・立場を変えてゆく過渡期の佐藤氏の在り方に対して、です。
一貫した思想的・政治的な立場で生き抜いた人びとが後世の人間にもたらす教訓と、途中で立場を変え「転向」する人間がもたらす教訓は、質的に異なります。
それぞれ果たしている役割はありますが、この場合、佐藤氏の転向によって映し出されてくる佐藤氏自身の変貌の過程と、同時にそれが否応なく浮かび上がらせる左翼・進歩派の姿を捉えることに、私は「拉致問題」情況の本質を見たのです。
しかも佐藤氏は、拉致被害者を救う会の会長として「拉致報道」の真っ只中にいます。
このような典型的な人物を中心に取り上げたのは、私なりの戦略的な配慮です。佐藤氏の立場、発言に注目してきたという和田さんは、だからといって、その「議論が格別深く、覚醒的であると思ったことはありません」といいます。
戦争論をテーマとした小林よしのり氏の漫画作品にせよ、新しい歴史教科書問題で一頃「活躍」した藤岡信勝氏の諸論文にせよ、私は「議論が格別深く、覚醒的である」と思ったことはありませんが、深く注目し、何度も批判的に取り上げました。
それは、この水準の議論が、かなりの人びとの心を捉えているという現実が存在するからです。
粗雑で、低劣な非歴史的な表現が、歴史的事実を踏まえ、かつ理想主義的な議論よりもはるかに人びとの心を捉えてしまう時代の根拠を探らなければならないと考えたからです。その意味で、小林氏は巧みです。
左翼・進歩派の弱点をよく知り、そこを突きます。二〇世紀末から二一世紀初頭にかけての世界情況の中で、もともと左翼主義に何らの幻想も持たなかった人びとがそこに引き寄せられていくのです。
小林氏とは違って佐藤氏の現在の言動は、見るからに拙劣です。にもかかわらず、彼を含めた救う会、拉致議員連盟、家族会の発言はメディアを覆い尽くします。
転換期における佐藤氏の「功罪」を重視して論議を組み立てることは、情況的に不可避な作業であったと今も考えています。
だからといって私が、「強力な相手陣営の中心的指導者である」佐藤氏の「捨てた過去に対して特別な頌歌をうた」っているのではないことは、全体の論旨の中で捉えるなら、明らかだと確信しています。
佐藤氏を軸に据えることによって、今回は触れることをしなかった問題で、なお重要な課題として残るものについては、今後の作業の中で取り組むことになるでしょう。
最後に。和田さんが高崎宗司氏との共編で出した『北朝鮮本を読む』(明石書店)の所論に対して私が投げかけた疑問をめぐって、和田さんが『情況』誌で語っていることを読み、大きなすれ違いを感じました。
萩原遼氏に対して和田さんが行なっているような水準の批判をするのであれば、それに見合った水準の言葉しか返ってはこないことが、客観的には明らかではないかということを言いたかったのです。
「岩波書店の書き手」「東大教授の特権性」「文芸春秋社と岩波書店の、経営体としての等価性」などの表現は、それに関わるものです。
以上、「差し当たってこれだけは」と考えることを書き連ねながら、最後にいく思いは次のことです。
和田さんは「従軍慰安婦」に対する「アジア女性基金」に関わり、二〇〇二年九月一七日の日朝首脳会談について「日本の独自外交の幕をあけた小泉首相の決断は敬復に値する」と述べました。
私は、このいずれにも反対の立場に立つ者ですが、それは和田さんからすれば「個人の精神的アリバイをもとめる態度からくる」もののようです。
国家的な事業に対して、一個人がいかなる立場をとるか、という問題に関わって、私たちの間には大きな違いがあることをあらためて痛感しないではいられません。
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