20世紀末から21世紀初頭にかけての十数年間を同時代史の時間帯として生きてきて、何度も思った。
自分は後世の時代に生きていることはできないが、もし地球が、終わることのない愚かな戦争や深刻極まりない環境問題などの試練に耐えてなお生き長らえることができるとしたら、その後代の人間にとって、この十数年間は歴史上にも稀なくらいに世界的激動の時代と見えることだろう、と。資本主義体制への批判運動として19世紀後半に始まった社会主義運動の試行錯誤は、その理想が最初に実現したはずのソ連邦において無惨に破産し、ソ連は解体した。
同時期に起こったイラク軍のクウェート侵攻を契機に、その後より顕わになる米国の単独行動主義の萌芽としてのペルシャ湾岸戦争が始まった。
崩壊した東西冷戦体制に代わって、世界には南北間の熱戦構造があることが明らかになった。
冷戦体制の崩壊によって世界は平和になるという楽観的な観測がマスメディア上には溢れたが、東西冷戦という大矛盾によって覆い隠されていたにすぎない南北対立が激化することを予見する意見がなかったわけではない。
その熱戦構造の極限の表現というべき(2001年)「9・11」事件以後、「世界秩序」がさらにどんな変貌を遂げつつあるかは、誰もが日々、重いこころで実感していよう。
自由市場経済原理に基づく資本主義システムが世界を隈なく支配するこの歴史の趨勢は、「グローバリゼーション」(全地球化)と呼ばれている。
ここ十数年間でとみに用いられるようになった用語である。その意味では新しい用語だが、グローバリゼーションの起源をどこに求めるかという問題を追求していくと、現象としては新しいものではない、と私は考えている。
いまや読まれることも少ないだろうマルクス+エンゲルスの『共産主義者宣言』(『党宣言』よりこの訳語のほうがいいと私は思う)は言う。「アメリカの発見、アフリカの回航は、勃興しつつあったブルジョア階級に新しい領域を作り出した。
東インドと中国の市場、アメリカへの植民、諸植民地との貿易、交換手段や商品の一般的増大は、商業、航海、工業にかつて知られなかったような飛躍をもたらした」「大工業は、すでにアメリカの発見によって準備されていた世界市場を作り上げた」。
他にもさまざまな立場の人の文言も挙げることができるが、アメリカの「発見」が、その後の資本主義的近代の発展に果たした役割は、早くから重要視されていたと言える。
問題は、歴史は常に勝利した者の手によって記述されてきたために、大航海もアメリカ「発見」も疑いようもなく「偉業」であるとするヨーロッパ中心史観が世界を支配してきたことにあり、「発見」後のアメリカにどんな状況が生まれたのか、創出された「世界市場」は世界をいかに分割したかなどという問題意識を欠いていたことにある(それは、19世紀資本主義のトップランナーであった大英帝国に暮らして世界を見ていたドイツ人、マルクス+エンゲルスの植民地論にすら共通の性格であったことは、すでに知られて久しい)。
1992年は、冒頭で触れた「激動の十数年間の時代」の端緒に位置する年だった。
コロンブスの大航海(1492年)から500年目を迎えたこの年に、私の考えでは、グローバリゼーションの起源をめぐる議論が、世界的に高まった。
研究者・学者レベルで行われてきた議論が、一気に裾野を広げたと言ってもよい。
ソ連社会主義の敗北後急速に勢いを増すグローバリゼーションの力を否応なく実感せざるを得なかった人びとが一様にもった問いとは、グローバリゼーションとは何か、それは世界に何をもたらすのか、その起源はどこにあったのかムムなどの根源的なものだったのである。
私たちも、その年の10月、東京で2日間にわたって「500年後のコロンブス裁判」を開き、1492年に始まる異民族同士の出会い・征服・ヨーロッパ近代の曙・植民地支配の起源とその結果ムムなどの問題をめぐって、激しい討論を交わした。
他者の土地に侵入し、そこを支配する異民族が出てくることによって歴史上に生み出された「先住民族」という存在が、歴史と現在が孕むいかなる難問を照射しているのかという問題意識が社会にじわじわと浸透していくのも、このような機会を通してである。
1994年1月1日。メキシコ南東部でサパティスタ民族解放軍(EZLN)を名乗る先住民族組織が反政府武装蜂起を起こしたのは、そのような世界情勢の時代であった。
電気も通わぬ山中深く、10年有余も籠って、現存する国内秩序と国際秩序の双方に「もう、たくさんだ!」との叫びを挙げる準備をしていた人びとも、すでにソ連が崩壊したことは知っていた。
ソ連社会のあり方を厳しく批判していた人びとにとっても、その瓦解が次第にボディブロウとして効いてきたというのは、日本社会に暮らしていての実感でもある。革命の初心を思えば、それはやはり「夢」や「理想主義」の、あまりに惨めな敗北を意味したからである。
資本主義社会は勝ち誇り、夢破れた者は敗北の総括もないままに逃走する、あるいは沈黙する。そんな現象が世界中に溢れた。
そのような時代状況を知っていてなお武装蜂起したサパティスタは、情勢分析を誤っていたのだろうか? 10年前のサパティスタ蜂起の報道にはじめて接したときに私たちに最も印象づけられたのは、それが「先住民族」による「グローバリゼーション」への抵抗を意味するという基本性格である。
冒頭で触れたように、私たちは20世紀末の時点で歴史と現在を振り返り、それを批判的に分析するためのキーワードを掴みつつあったと言えるが、その中に「先住民族」と「グローバリゼーション」は、確かに含まれていた。
その問題意識に導かれて、私たちは日本近代の成立過程への関心を深め、エゾ地の先住民族=アイヌを「征服」したことが、その後の日本資本主義のアジア規模での「グローバル化」にいかなる役割を果たしたかという問題をも「500年後のコロンブス裁判」で討議したのである。
サパティスタが掲げている要求の中には、チアパス州レベルやメキシコ国家レベルで解決されるべきものも、当然にも、ある。
同時に、グローバリゼーションが北アメリカ規模で表現された「北米自由貿易協定」に対して、サパティスタが明快な抵抗の意志を示したことが、その後の世界に及ぼした影響は計り知れない。
グローバリゼーションの徹底化を目指すWTO(世界貿易機関)では、各種協定をまとめるための閣僚会議が何度も開かれては、挫折を繰り返している。
その背後には、サパティスタが発した「反グローバリズム」の強烈なメッセージに示唆を得た世界各地の民衆運動が、創意に満ちた抵抗運動を展開している事実があると思えるからである。
サパティスタ運動が示唆的なのは、外部の強大な勢力が世界中に強制するグローバリゼーションの問題に関してだけではない。
美しい夢の実現をめざし、理想主義を語ってきた運動が、なぜ、世界各地で潰えていったのか。
それは、外部の責任に帰して済ませるわけにはいかない問題である。
抵抗主体のあり方に即して考えるなら、どんな問題があるのか。
この問題について重要な提起をしているのは、もちろん、サパティスタだけではなく、各地で民衆運動に関わる個人・集団がそれぞれ試行錯誤を続け、固有の教訓を積み重ねていることを忘れることはできない。
そのなかにあって、サパティスタのいくつかの提起(民族間の関係性、指導部と民衆の関係、武装が内包する問題点など)が世界的な普遍性をもつことを強調することも、間違いではないだろう。
15世紀末の「コロンブスの時代」以降のグローバリゼーションの、長い歴史的射程の中に、こうして、5世紀後の20世紀末に起こっているサパティスタ運動を位置づけてみる。
強者が、自らの思うがままに作り上げてきたかに見える歴史のなかにあって、それが不正で不平等な現実を生み出している限りは、抵抗が止むことは、ない。
1992年に言われたように、「勝利の500年」を祝う者に対して「抵抗の500年」を対置すること。
私たちが歴史における固有の役割を果たしうるのは、現実の重さに負けない、そのような歴史観によってである。
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