映画『プライド 運命の瞬間』の監督を務めた伊藤俊也の作品をすべて観ているわけではないが、娯楽作品としてすぐれたものがあるという印象は持っていた。
当時の人気マンガ(篠原とおる原作)に想を得た最初の作品である『女囚701号・さそり』(一九七二年)に始まる女囚シリーズにしても、戦時下の横浜の高級娼婦館を舞台にした山崎洋子の原作に基づく『花園の迷宮』(一九七八年)にしても、よく出来た娯楽作品としての面白さをもっていた。
だが、伊藤の全体像を私は知らず、したがって、『プライド』で東条英機の妻・かつ子を「演じた」いしだあゆみに対してほどには「思い入れ」もない存在であった(いしだは、ふとした表情や物言いにもさり気ない「演技」をこめることの出来る、しかも感じの良い女優として、私の「思い入れ」が深い)。
それでも、『プライド』制作委員会を構成するのが加瀬英明らの右派人脈であること、スポンサーは、〈お笑い〉番組「新世紀歓談」(東京12チャンネルで毎日曜朝放映。あの渡部昇一が、江藤淳、谷沢永一、中嶋嶺雄、上坂冬子、中川八洋……などを招いては、誰にも想像のつく、勝手放題の政治・社会放談を繰り広げる)を提供している東日本ハウスであること――などをもって、伊藤が作るであろう作品の質をあらかじめ判定する気持ちには、なれなかった。
監督は、制作者からもスポンサーからも相対的に自立した場に依拠して作品を創造しうる場合もあるし、伊藤作品の「意図」や結果としての「役割」を、「客観情勢」によって予断をもって判断したくはないと思う程度には、私なりに知る範囲で彼の存在感を感じていたのだと思う。
その意味では、伊藤の年来の友人である映像作家・小野沢稔彦が言うように「伊藤は自分なら東条に内在し、内側から存在そのものを批判することが出来ると自負したのだ」(図書新聞九八年七月四日号)ろう、と考える地点に私もいたのだと言える。
伊藤は脚本も(共同で)担当し、一年八ヵ月を費やして東京裁判と東条に関係する厖大な資料を漁り、史実に基づく歴史批判を志したようだ。彼が定めた要点は、次のようなものであった。すなわち、米国は日本の敗戦によって戦争が終わったとは捉えず、戦後の世界戦略の中に日本を位置づけた。
具体的には、@東京裁判による日本国家の断罪、とくに東条を悪の権化とすること、A平和憲法なる美しきものの制定の代償として安保条約を結び、沖縄を犠牲とすること、のふたつを通して。そして戦後の日本人の多くは、厭戦気分と生活苦のゆえに、戦争責任問題を連合国に預け、見過ごしてきた。
ひとり東条は、日米開戦時の首相兼陸軍大臣であり、敗戦の責任者であったというだけで、連合国側はもとより日本国内でも四面楚歌の状況におかれた。そして米国によって「継続された戦争」としての東京裁判の場で、彼はプライドをかけて最もよくたたかった。女囚シリーズ以来、不条理なものとの闘いを強いられたり、その闘いの中へあえて飛び込む人々を好んで描いてきた伊藤からすれば、東条ほど彼の映画の主人公にふさわしい人物はいない、と。
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前段の、日米関係に極限して語っているところには、私たちにとっても必須の課題である「戦後的〈平和と民主主義〉批判」と「戦争責任の追及の不徹底さ」に関わる問題意識があるように思える。それを受けての後段が、東条に関わる一面的で貧しい認識に帰着し、想像上の人物で権力なき「女囚さそり」と、実在の人物で権力を有していた東条を並列して「思い入れ」を語っている以上、結果は明らかだった(梶芽衣子が泣くぞ)。
『プライド 運命の瞬間』は、伊藤の豪語とは裏腹に、史実を総合的にではなく断片的に継ぎ接ぎするご都合主義が目立つ作品として成立した。東条役の津川雅彦が主観的に熱演すればするほど、それは津川や伊藤の意図をおそらくは越えて戯画的なものとなった。そのことは、伊藤が意識的に行なったものらしい、敵役・米国のキーナン首席検事の戯画化と、反対方向から補完し合う形となって思いがけぬドラマとして展開する可能性が、本来ならあり得た。
そうなれば、所詮は帝国主義戦争でしかない日米戦争に関して、勝者が敗者を裁くことは笑劇としてしか成立しえないゆえんを明らかにする展開もありえたかもしれぬ。だが「敗者」東条はあくまで「プライド」を捨てず堂々と〈真面目に〉ふるまい、キーナンは「勝者」でありながらどこかおどおどと自信無げにふるまう姿が〈戯画化されて〉描かれるという対照性は、作る側の自己(=日本)中心主義のあざとさが際立ち、その歴史認識の底の浅さを明るみに出すだけに終わった。
インパール作戦、インド独立、スバス・チャンドラ・ボース、インド代表判事パール、任意の登場人物たる日本人青年(大鶴義丹)などの描き方が、言うも愚かなほど史実に悖り、日本にとって対米戦略上で利用出来る範囲でしか描かれなかったのは、必然的であった。米国以外の〈他者〉が本来あるべき形で存在しない『プライド』は、観念的な非歴史劇となって、終わった。
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ところで『プライド 運命の瞬間』に対しては、制作発表当時からその制作意図・シナリオ上の物語に対して、出来上がってからはその出来栄えをめぐって、さまざまな批判がすでに出ている。
散見される、私には妥当と思われぬ批判の一典型を挙げてみる。批判の一翼を担ったひとりが山田和夫だが、彼は数年前、ケン・ローチの『土地と自由』(『大地と自由』と日本語版では訳されていた)が公開された時に、イギリス労働者階級の哀感をよく描いてきたケン・ローチともあろうものが、スペイン内戦時の反ファシズム戦線におけるアナキストやトロツキストの役割を不当に評価して描いているという類いの「批判」を展開した人物である。
その歴史観は、私からすれば、はなはだ心許なく、スターリニスト官僚は、いつになったら歴史の見方を学ぶのかと慨嘆せざるを得ない代物である。事実、山田が『プライド』を批判する視点は、たとえば次のようなものだ。
妻や子や孫へのやさしで補強される、東条の人間くさい日常を見せる「人間味」こそ、ごまかせられやすい理屈はない。だが東条を描く時に大前提として正確に描くべきはファシズムの頭領として自由を禁圧し、他国民と自国民に犠牲を強いたキャリアそのもので、それ抜きの「人間味」など存在し得ない、と。
そうだろうか? 私は、イェルサレムのアイヒマン裁判を取材したハンナ・アーレントの述懐を共感をもって思い出す。彼女は、ごく普通の人間が、あれほど多くの人々を殺しておきながら悔悟の念も抱かぬ様子を見て、裁判傍聴記録に「悪の陳腐さについての報告」なる副題を付した。いかにもまがまがしい邪悪な人物ではなく、与えられた仕事をひたすらこなし、家族を愛する、どこにでもいるふつうの人間たち。
それらが犯す過誤だからこそ、それは恐ろしいものではないのか。〈悪〉が極限の悪としてのみ描かれているなら、その前提を共有する観客は自明の結末を目にしてカタルシスを得るかもしれない。
だがそれは、文字どおり鬱積した情緒の発散に過ぎない。観客が問題を内省的に捉えることが出来るためには、この場合で言えば東条の「人間味」も描かれて当然であり、だからといって「ごまかされやすい」とは、いったい「自分以外の」誰のことを心配しているのかと、この共産党文化官僚には聞きたいものだ。
映画・文学などの芸術表現における人物造型の成否は、このような観点から判断されるべきであって、そのとき山田が持つような先験的な思い込みは無効に帰するだろう。
最後に。いままで読んではいなかったが、『プライド』を観た後で、伊藤の著作『幻の「スタジオ通信」へ』(れんが書房新社、一九七八年)にも目を通してみた。
七〇年代初頭の大泉東映労組闘争の〈主体〉としての伊藤が、ファシズム下の時代、京都にあって「京都スタジオ通信」という文化新聞を出していた無名俳優・斎藤雷太郎の〈行為〉の根拠に迫ろうとする内容のもので、気迫の漲る、いい本だった。それだけに、ここから『プライド』へと至る伊藤の三〇年間の映像的・思想的彷徨の中身を知ったうえで、『プライド』批判(その二)を書きたいものだと私は思った。
(1998年7月30日記)
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