現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1998年の発言

◆北朝鮮「核疑惑騒動」の陰で蠢く者たち

◆目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて

◆第三世界は死んだ、第三世界主義万歳!

◆時評「この国は危ない」と歌う中島みゆきを聞きながら

◆自称現実主義者たちの現実追随

◆伊藤俊也の作品としての『プライド 運命の瞬間』批判

◆98年度上半期読書アンケート

◆書評:市村弘正著『敗北の二十世紀』

◆「自由主義史観」を批判する〈場所〉

◆民族・植民地問題への覚醒

◆国策に奉仕する「〈知〉の技法」

◆「後方支援」は「武力の行使」にほかならない

◆ペルー日本大使公邸占拠事件とは日本にとって何であったか

◆個別と総体――いまの時代の特徴について

◆植民地支配責任を不問に付す「アイヌ文化振興法」の詐術

◆政治・軍事と社会的雰囲気の双方のレベルで、準備される戦争

◆朴慶植さんの事故死と、時代の拘束を解き放った60年代の遺産

◆書評:ガルシア=マルケス著『誘拐』(角川春樹事務所刊)

◆保守派総合雑誌の楽しみ方

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「自由主義史観」を批判する〈場所〉
「影書房通信」19号(1998年6月20日)
太田昌国 


 今年二月、美術史家の若桑みどりが「日本の戦争責任資料センター」主催の講演会で、〈『ゴーマニズム宣言』を若者はどう読むか〉を主題に、おもしろい話をされた(その講演は同センターが発行する「季刊:戦争責任研究」第一九号に採録されている)。私は、小林よしのりの出発点となったいくつかのマンガこそ今もって知らないが、いわゆる『ゴーマニズム宣言』以降の作品についてはけっこう読んできている。

だが私は、当初から、絵それ自体にも、吹き出しの台詞にも、発想にも、物語の展開の仕方にも胡散臭さと嫌悪感を感じていて、多くの場合いわば目をそむけるようにして眺めてきているというのが、ほんとうのところだ。そのすべての側面に感じとらざるを得ない男性至上主義的かつ父権主義的な姿勢(「男権」と「父権」が合体しているのだから、これ以上タチの悪いものはない、と男であり父である私は思う)が、私の感性にはまったく合わなかったのだと言える。

それだけに、小林の絵を見ると「血圧が上がる」ものを感じると語る若桑が、だからといってそこから目をそむけることなく主要な論点として展開した小林マンガの図像学的な分析は、彼女ならではのもので、特におもしろさを感じたのだった。

 それにしても、好きでもないもの、むしろ嫌悪感をもつものに、熱心に目を通すひとのこころ(この場合は自分のことだが)とはどういうものだろうか? 私が日常的に読むものを集積してある机の周りにますますはびこっていくのは、小林のマンガ本に加うるに、『諸君!』『正論』『SAPIO』『THIS IS 読売』『発言者』『文芸春秋』などの〈粗雑〉誌や、藤岡、谷沢、西尾、渡部、稲垣らの本(のような物)だというのが現状だ。数少ない本でいい、もっと自分の世界が拓かれてゆくものや楽しいものを読みたいというこころを抑えてまで、私はなぜこんなものを読み続けているのだろうか。

 その点については私自身いままで何度か触れてきた。また最近では吉見俊哉が「雑誌メディアとナショナリズムの消費」という文章(小森陽一/高橋哲哉編『ナショナル・ヒストリーを超えて』所収、東京大学出版会、一九九八年)において基本的に共感できる文脈で分析しているが、それには、一九八〇年代後半から顕著になってきた右派メディアの急激な変貌(台頭ないし乱立とさえ言ってもよい)と、それを追うようにして九〇年前後から始まった民衆意識の変化が関連している。

かつてなら、上に挙げた類の〈粗雑〉誌にいかにナショナリズムを煽る文章が載っても、ウルトラ右派がまた何か言っている、と私は無視していた。

そのような言動を無化するだけの抵抗線を多様に引く社会的・政治的・文化的な力が、この社会にはあると信じることができたからである。ところが、八〇年代後半を境に、保守言論とそれを取り巻く環境は、従来とはまったく異なるものに転化した。

それらの言論が依拠する媒体は急速にその数を増し、媒体の種類自体が〈粗雑〉誌以外にも広がって多様化した。世論の中にあっても、それを受け入れる雰囲気が広がっていることを、ひしひしと感じざるを得なかった。私は、そこにただならぬものを感じ、無視するわけにはいかないと考えて、それらを読み/聞き/見はじめるようになり、以来その泥沼から抜け出ることができないままで今日に至っているのである。 

 私は、これらの日本ナショナリズムに依拠した、「他者なき」言動を批判することが決定的に重要であることを自明の前提としたうえで、しかし同時に、その批判を有効に遂行するためには批判者みずからが以下の問題を自覚することが必要だろうと考え、及ばずながらそのための作業を継続してきた。

 一、日本近代の歴史過程および現状を肯定する言論がここまで台頭し、一定の社会的支持を享受している背景には、誰の目にも明らかになった変革の理論としての社会主義の理論上・実践上の失敗が控えている。昨年フランスで出版された『共産主義黒書:犯罪、テロ、弾圧』なる大部の本は、二〇世紀共産主義運動の実践の過程で世界じゅうでおよそ一億人の死者が生じているという調査報告をまとめたが、その「信憑性」を疑うことは難しい。過去を語る書物の世界に限られた話ではない。

世界に現存する、自ら「社会主義」を標榜する社会のあり方や日本に残存する左翼政治党派のあり方の無惨さそれ自体が、理念としての「社会主義の死」を象徴するものとして、日々人びとに印象づけられている。

 二、社会主義の理念が瀕死の床にあった(ある)時ほど、その推進者であった戦後日本の左翼および進歩的知識人の無力さが露呈された時はなかった(ない)。自らが熱意をこめて語ってきた「理想」が崩壊しつつある時に、多くの者は口を噤んで逃亡した。

もちろん、それらの者たちが前述の「一」に関わる総括をなすはずもなかった。「冷戦」という名の東西共存構造の中で、辛うじてバランスを保っていたに過ぎなかった進歩派やリベラルな人びとも、ソ連崩壊でバランスを失い、簡単に転んだ。その「逃亡」も「転び」も、社会総体の保守化傾向に紛れて、何事でもないかのように社会のなかに溶解した。

 三、たとえば、小林よしのりのマンガ作品は、作者が上の情況を見据えたが故に、ひとつの転機を迎えたということができる[上杉聡の『脱ゴーマニズム宣言』(東方出版、一九八七年)は、その点の分析の一例だと言える]。

「従軍慰安婦問題」を軸として「新しい教科書問題」に取り組み始めて以降の小林の作品のみを取り上げても、彼のマンガが、とりわけ若者の支持を受けている現実を分析するには、不十分なものとなる。

私は、冒頭で触れたように、小林のマンガに対する批判と違和感を一貫してもち続けてはいる。それでも「差別論」を主題にしてマンガを描くなかで部落解放同盟と討論を重ね、薬害エイズ問題に関わるマンガを描きかつ行動していた時の小林の全体像が、多くの若者を惹きつけた根拠を客観的に了解することはできる。「無謬の」思想に生きてきたはずの、口先だけの左翼や進歩派は、敗北の総括もないまま舞台を下り(下ろされ)た。

そこに、思想で生きているわけでもなく、過ちも犯す「たかがマンガ家」ふぜいが、なりふりかまわず、身体を張って登場した。しかも彼が取り上げた最初の主題は、左翼や進歩派が「同伴」しているようでいて、本質的には腫物に触れるかのように敬して遠ざけてきた部落問題であった。小林は解放同盟を前に言いたいことをきっぱりと言った。

『ゴーマニズム宣言:差別論スペシャル』(解放出版社、一九九五年)は、「差別用語」の使用をめぐって小林と出版社/解同の間にあった対立も包み隠さず明らかにして、読者が自ら考える余地を残す特異なものとして成立した。小林はここで、差別問題および差別者が行なう「謝罪」のあり方に関して考えをすすめる端緒を掴んでおり、戦争責任および謝罪問題に関する彼のその後の言動は、この出発点と切り離して捉えることはできない。

つまり、差別問題に関する左翼・進歩派の取り組みに現われた歪みが、戦争責任問題を描く小林において逆方向に肥大化して現われた……という具合に。いずれにせよ、この地点で、「マルクス/丸山眞男」と「小林マンガ」を等価値なものとして読む態度を自然に身につけていた(前者を実際に読むかどうかは別として)若者たちにとって、勝負は明らかについたのだった。前者は負け、後者が勝利した。小林にしてみれば、左翼・進歩派の「虚飾」を知り、その「化けの皮」を剥ぐことに全力を挙げる転機となった。

 四、川本隆史が、前掲の小森/高橋編著に収められた文章「民族・歴史・愛国心」において、昨秋開かれたあるセミナーで私が行なった報告について触れている。私はそこで、小林のマンガがもつ意味に批判的に触れながら、「自由主義史観」はついに彼岸のものとしては終わらずに、わが身に舞い戻ってくる問題の根をもっていると自覚していることを語った。

理由のひとつは、上に述べた。かの「史観」の傲慢なまでの台頭は、左翼進歩思想の敗北情況と表裏一体の関係にある以上、私はその情況から逃げないことをわが身に課すほかはないからである。

 「自由主義史観」がわが身に舞い戻ってもくると言う理由は、ほかにもある。何かと言えば「世界に誇れる日本」とか「愛国の立場」と口にする日本共産党を引き合いに出すのはありきたりに過ぎよう。

金静美がすでに指摘しているように(『水平運動史研究』、現代企画室、一九九四年)、いまだに流通している井上清の『日本の歴史:上中下』(岩波新書、一九六三〜六六年)を例に挙げてもよいし、私の考えからすれば、竹内好、石母田正、上原専禄、江口朴郎などの関連する著作や発言でもよい。

一九五〇〜六〇年代に活躍した戦後左翼・進歩派の代表的な人格というべき彼らの思想の根源には、根深いナショナリズムがあり、その表現はときに、現今の自由主義史観の表現かと見紛うばかりのものさえある。

たとえば竹内の「侵略には、連帯感のゆがめられた表現という側面もある」などという一九六四年の発言は、小林マンガの吹き出しに載っていても、違和感はない。こうして、竹内や上原らの著作にいっときでも慣れ親しみつつ根本的な批判をなしえなかった者としては、「自由主義史観」派を徹底的に批判するということは、自らをも刺すことだという思いが消えないのだ。

 
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