先だって、ケン・ローチ監督作品『カルラの歌』(1996年制作)が公開された。イギリスはスコットランド南西部グラスゴーの町でバス運転手として働くジョージは、自分が運転するバスに乗っていたラテン系の若い女性が車掌に無賃乗車だと咎められたのを知って、車掌を妨害し彼女を逃がしてやる。
以後街中で彼女(=カルラ)を見かけると、停留所を通り越し、乗客も降ろして、カルラのためだけにバスを運転したりする。このあたり、リンボウなる軽薄なエッセイストが乱発する「イギリスはおいしい」式の文章や、マークス寿子がイギリスでの生活体験を元手に日英社会を比較して書く「ふわふわ」文章には見ようにも見られない、階級社会イギリスにあって「下積み」にいる労働者の、痛快なまでの「いいかげんさ」が描かれていて、笑わせる。ジョージを演じるロバート・カーライルも飄々としていて、いい。
ところで、ふたりが恋に落ち、カルラが実は内戦下の中米ニカラグアから、サンディニスタ革命への支援を訴えてヨーロッパを巡業中の舞踊団の一員であることがわかるあたりから、物語は急速に別な展開を遂げる。カルラの表情から消えることのない翳りは、米国の支援を受けた反革命ゲリラ(コントラ)とのたたかいのさなかに行方不明になった昔の恋人・アントニオへの思いからきている。
カルラはその思い断ちがたく、ニカラグアへ帰る決意を固める。勤務態度不良でバス会社を解雇されたばかりのジョージがはるばるグラスゴーから、ニカラグアに戻るカルラに付いていくという「恋ゆえの切実感を伴ったいいかげんさ」も、わるくない。以後、コントラがニカラグア革命を潰すために、米国の全面的な支援の下にいかに非道な軍事作戦を繰り広げているかが、かつてコントラを指揮していた元CIAの人物を配しながら、描かれていく。
このあたりの展開がいささか図式化していく印象は否めないが、ケン・ローチに言わせると、『カルラの歌』は「共に一緒になろうと決めた人たちが、その後どんな道筋を辿るのかという可能性についての映画」だという。
ケン・ローチが前年1995年に撮ったのが、スペイン内戦をテーマとした『土地と自由』であることを思い起すと、このふたつの連続した作品を貫く主題は、懐かしい言葉を使えば「国際連帯」の可能性あるいは不可能性であって、彼が、ある<思い>をもってこの生き難い<時代>を生きようとしていることが伝わる。
さて、ここでの問題は、『カルラの歌』という映画それ自体ではない。映画の描き方では「図式化した」という印象を先に記したが、1980年代を通して現実に行なわれていた、ニカラグア反政府武装勢力=コントラに対する米国の「軍事支援」問題をふりかえることにある。
1979年サンディニスタ革命が勝利し、40年あまりも続いてきたソモサ独裁体制が崩壊すると同時に、ソモサ一族やその取り巻き、ソモサ軍将校や兵士は他国に亡命した。軍人の多くは、北の隣国ホンジュラスに逃れた。彼らはまもなく、コントラの中核をなす「ニカラグア民主軍」を結成する。
81年12月、当時の米国大統領レーガンはCIAに対し、ニカラグア反革命ゲリラの統一部隊を形成するために努力するよう命令する。82年にはコントラの軍事活動が本格化する。彼らはサンディニスタ軍に直接的な戦闘を挑むことはなかった。士気も兵力も、その差が歴然としていたからだ。ホンジュラス国境から深夜や明け方に越境し、農場を焼き討ちにする。
経済的苦況を強いるために、食糧は必ず燃やし尽くす。農民を連れ去って強制的にコントラに引き入れる。道に地雷を仕掛ける。これらはすべて、「米軍による直接的な軍事介入はしなかった」米国が、武器・資金を潤沢に援助してこそ可能になった軍事作戦であった。
86年にはコントラに武器を空輸していた飛行機がニカラグア領内で撃墜されたが、乗っていたのは米国人で、彼はホンジュラスやエルサルバドルの米軍基地から行なわれているコントラ援助網の実態を自供した。
ニカラグア政府は、コントラに対するこのような米国の軍事支援は国際法に照らして違法であることを国際司法裁判所に提訴したが、1986年同裁判所は、大要次のような判決を下した。
すなわち「武力の行使には、武力攻撃のようなもっとも重大な形態のものと、兵器の供与や兵站その他の支援のように、より重大でない形態のものがあるが」、後者といえども「武力による威嚇または武力の行使と見做しうるし、他の諸国家の国内または対外問題に対する干渉に相当する」と。コントラ支援は集団的自衛権の行使だとする米国の主張は斥けられたのである。
国際関係の在り方について私自身がもつ基準は、国際司法裁判所のそのときどきの裁定と必ずしも一致するものではない。だがそこでの裁定は、ある行為が世界からどう見られているかという意味で、ある時代的限定の中での<世界基準>を示すものだと見做すことはできる。4月末に国会に提出された「周辺事態法案」は、日本が「後方支援」として「アメリカ合衆国の軍隊に対する物品及び役務の提供、便宜の供与その他の支援措置」を官民あげて実施することを定めている。
「アメリカ合衆国基準」に無批判的に倣って、日本が米国主導の軍事・戦争行為に参加しようとする、このような内容の法案が堂々と国会に提出されたいま、「後方支援」なるものは「武力の行使」にほかならないことを示した86年ハーグ法廷の「世界基準」を思い起すことには、必然的な意味がある。この思いは、世界の為政者レベルではともかく、民衆レベルでは国境を越えて確実に共有されるべき根拠をもっている。
(1998年5月10日記)
■追記:私は、ニカラグア革命の意味についていくつかの文章を書いてきた。それらは、私の本
『鏡としての異境』(影書房刊、1987年)
『鏡のなかの帝国:世紀末日本イデオロギー評註』(現代企画室刊、1991年)
に収録されている。時代状況はあまりに激しい変貌をその後遂げて今日に至っているが、同時代的なニカラグア革命のひとつの捉え方を知りたい読者には、読んでいただき批判を受けることができるなら、ありがたい。
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