現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1998年の発言

◆北朝鮮「核疑惑騒動」の陰で蠢く者たち

◆目と心が腐るような右派言論から、一瞬遠く離れて

◆第三世界は死んだ、第三世界主義万歳!

◆時評「この国は危ない」と歌う中島みゆきを聞きながら

◆自称現実主義者たちの現実追随

◆伊藤俊也の作品としての『プライド 運命の瞬間』批判

◆98年度上半期読書アンケート

◆書評:市村弘正著『敗北の二十世紀』

◆「自由主義史観」を批判する〈場所〉

◆民族・植民地問題への覚醒

◆国策に奉仕する「〈知〉の技法」

◆「後方支援」は「武力の行使」にほかならない

◆ペルー日本大使公邸占拠事件とは日本にとって何であったか

◆個別と総体――いまの時代の特徴について

◆植民地支配責任を不問に付す「アイヌ文化振興法」の詐術

◆政治・軍事と社会的雰囲気の双方のレベルで、準備される戦争

◆朴慶植さんの事故死と、時代の拘束を解き放った60年代の遺産

◆書評:ガルシア=マルケス著『誘拐』(角川春樹事務所刊)

◆保守派総合雑誌の楽しみ方

最新の発言
2004年の発言
2003年の発言
2002年の発言
2001年の発言
2000年の発言
1999年の発言

1997年の発言


保守派総合雑誌の楽しみ方
「インパクション」106号(98年1月30日発行、インパクト出版会)
太田昌国 


 保守派総合雑誌・新聞はおいしい。また言う、楽しい。(自分を棚上げして言うつもりは金輪際ないが)もう懲りた元左翼や懲りない現役左翼の人びとが、共産主義の理論と実践の(現段階での、あるいは一時的な)敗北という、暗い現実の中で当然にも元気をなくし、棄教しうなだれてとぼとぼと道行く姿を見るにつけても、保守派雑誌・新聞が全体として醸し出している、またそこに登場する人びとが個々に表現している元気の良さはめざましい。

「それ見たことか、だから言わぬこっちゃない」。勝利したという優越感と、戦後教育や戦後思想の中で保守思想は冷や飯を食わされてきたという、真偽のほどは疑わしい根拠に基づいた怨念に彩られた彼(女)らの言動は、復讐心も手伝ってこのうえなく活気に満ちているのだ。

私は、思うところあってここ一〇年ちかく読み続けている保守派雑誌・新聞・単行本などに、「知性」は言わぬが華としても「元気なエネルギー」だけは与えられてきたような気がする(本気か? との野次と冷笑)。恩返しをするべき時がきたと思う。


 そんなふうに考え始めた頃合いを見計らったのか、その種の雑誌・新聞の楽しみ方を書けというのが、本誌編集部の依頼である。引き受けはしたが、はじめに言っておくべきだろうが、実は私はこころが極端にせまい。

偏狭な心、独占欲、嫉妬心――それが私のすべてだ、と言ってもいいほどだ。ほんとうに楽しいところ、ほんとうにおいしいところ、今の世の中では希少な価値を持つそれらを、見ず知らずの読者に開陳してしまうほどの寛容なこころを私は持ち合わせてはいない。だから、ここに述べるのは、ほんのさわりである。もっと! と声がかかるところでやめてしまうのである。


 以下、三つのカテゴリーに分けて保守系総合雑誌・新聞の道案内をする際の小タイトルは、垣芝折多著、松山巌編と称されている奇書『偽書百撰』(文芸春秋、一九九四年)で紹介されている〈既存の書〉のタイトルから採ったことを、あらかじめお断りしておく。偽書という表現に、予断的にマイナス価値を付しているわけでは、必ずしもないことも、付言しておきたい。       


『當世動物園案内記』

 人を動物に擬して風刺するのは、ひと古来の技ではある。時には、ああこんな人間をあてがわれてと、擬せられた動物にこそ同情の念がわく場合もある。垣芝折多=松山巌(と推定して構わないだろう)が紹介している、腐乱津無頼が一九一三年に著わした『當世動物園案内記』も、板垣、天心、漱石、露伴、西郷などいわゆる「明治」期の著名人を片っ端から動物になぞらえて容赦なく斬り捨てているらしい。

片鱗は紹介されているが、たとえば「鴛鴦(おしどり)を装ふが、実は鷹のつがひ。雌は自分の鳴き声が美しく人を酔はせると思つてゐる。しかしながら、人が酔ふのは声の美しさよりも、彼女自身が酔つてみせるためである。

雌の泥酔は見物客にやんやの喝采となる。……雄の方は、雌に比べて影が薄くなつたが、物真似上手で受けてゐる。時に予言者や愛国者の口真似が出来るのは見事。……」というのは、腐乱津が与謝野鉄幹・晶子を評した言葉だが、それがそのまま現代の曽野綾子・三浦朱門の「つがひ」に当てはまると思われるところが、可笑しくもおもしろい。

以下に、巧者・腐乱津に倣いつつ(部分的引用、御免)、また巷の噂も斟酌しながら、今回対象としている雑誌・新聞で活躍する今様保守系言論人を、畏れ多くも、動物に擬して、彼らが集う園の繁栄ぶりを報告してみたい。

 藤岡信勝/北海道は丹頂鶴の生息地に近い寒冷地で生まれたありふれた犬だが、ただ頭のてっぺんの毛が赤いという特徴を持っていることが珍重されて動物園に入れられた。

そのむかし、思想が赤い教師のいる集団・日教組を丹頂鶴と呼んだ文相の故事にならい、また生地の関係もあって、丹頂犬というニックネームを得たが、鶴の美しさには欠ける(当たり前か)。鳴き声も、クーン、クーンと変哲この上ないものであった。ところがソ連崩壊以降というもの、頭のてっぺんの赤色は急速に脱色して白くなり、吠え方も変わった。

ジギャクーン、ジギャクーンと、時に唸り、時に遠吠えするようになった。一ときその吠え声の珍しさで全国区的な人気を得たかに見えた。後出する穴熊こと西尾幹二と隣り合わせの檻に入れられ、穴熊と抱き合わせで闘犬の横綱に奉りあげられたが、悲しいかな知力不足。吠えれば吠えるほどに、動物が本能と学習で蓄積するはずの<知>が欠けていることがはっきりしてきた。つまり、犬なのに馬脚をあらわしてしまったのである。  


 西尾幹二/……なるほど、確かに穴熊である。四肢はあくまで太く短い。タヌキのように穴居していたが、前肢の爪が長いという特徴を生かして、ドイツ蟻やナチス蛇を器用に捕捉して食することができることを自慢していた。

またその味を日本産のそれと比較して蘊蓄(うんちく)を傾けることでも有名だった。その種のはったりと攻撃性に取り柄を認めた動物園仲間が、穴から彼を引きずり出した。日の目を見て生来の自己過信症はますます嵩じて、まるで自分は大きな翼を持つ猛禽類のコンドルにでもなった気分で翼を広げたつもりで空にはばたこうとしたが、実際にはせいぜい背中の逆毛を立てたに過ぎず、中途まで登っていた樹木の幹から転落して負傷したという。


 岸田秀/ものぐさを自称しているところから、異節(貧歯)目ナマケモノ科に分類されている。確かに日なが樹枝に懸垂したまま動かずにおり、きわめて不活発であるが、実は、このままでよいとする内向きの自己と、急激に変貌する外部世界に呼応して変わるべきだとする外向きの自己の分裂に苦しんでいるとも伝えられている。

その葛藤が頂点にまで行くと、クロフーネ、クロフーネとうわごとのように呻くのが、他のナマケモノには見られない特徴。何処へ行くのやら。

 上坂冬子/端的に言う、毒蛾(序でに言うが、前出の曽野綾子も前世では毒蛾だった)。厚化粧をして、灯かりのあるほうへとやたらにバタバタ騒々しく飛ぶので、毒々しい化粧粉が周囲に飛び散り、はた迷惑な蛾として有名。自分では、一翔び(図々しくも気取って、みずからは〈飛〉ではなく〈翔〉の字を使うという)五〇万円と、何事も金銭に換算する言動を弄して憚らない。朝鮮種、中国種など近隣の同類種への嫉妬心、あるいは軽侮と憎悪の気持ちを隠さない差別主義者として知られるが、自分の傘下(支配下)に入ってきさえすれば、猫なで声でこれを迎える。女王蛾気取りなのであろう。

 渡部昇一/大声の英語で鳴く割りには和食を好む変わり種の鷲。特に、東京・丸ノ内産の菊紋章弁当には目がない。目立つこと、大言することを好み、やたらと珍重する向きもあり、けっこう世間には名が知れ渡っている。だが低レベル廃棄物の異名を取る、大量の低レベル言動は、もはや捨てる場所にも困る、と顰蹙(ひんしゅく)をかっているという。 

 ヒト類なので番外だが、谷沢永一/自称、人間=動物園長。動物通を自称し、やたら動物の処世訓とか生き方とか、最近では動物一般の冠婚葬祭のあり方にまで口を出し、いたずらに大声で、命令形の物言いも多く、ヒトであると動物であるとを問わず周囲に嫌われている。

ところが、サン鳥(トリー)科の開高健やモンゴル馬科の司馬遼太郎など有名人との知友を誇り、彼らの良き面の遺産までをも自分のいいように悪用することで、周囲に睨みを利かせている。これが、かつて藤本進治の哲学理論なども援用しながら、近代日本文学史の野心的な構想を発表した人物の、三〇数年後のなれの果てかと惜しむ声も、ないではない。だがそんな声が聞こえてきても、本人は、豆鉄砲ならぬ紙つぶてを食らった鳩ほどにも動じない。         


 【中仕切り】本稿を書いているのは、一九九八年正月である。百人一首の歌留多に興じ、花札やトランプ遊びをしつつも、新年ならではの高邁な夢や理想を胸中に暖めようかという時節である。その合間あいまに目にした保守系総合紙誌には、いまさらではあるが(!)、その傲慢な居直りと志の低さが横溢していて、いささかならず辟易させられた。夢も理想もあったものではない。

こともあろうにそんなものを「楽しむ」などという行為は、とても素面ではできず、以上のような遊び方をしてしまった。この人間=動物園に登場すべき面々には、当然にも限りはない。佐々、よしのり、隆寛、哲弥、淳、秀昭、隆則、健一、昌之、元彦……次から次へと出てくる。どんな動物に擬するか、こころときめくところ、なきにしもあらず。

だが今回だけでそのすべてを俎上にあげるわけにもいかない。博覧強記の垣芝折多が挙げる、別な奇書にも倣って、異なる視点から、いましばらくこれらの雑誌・新聞に(気取るわけではないが、まるで掃き溜めに舞おりる鶴のごとき心地ぞする、この雑誌と新聞の溜まり場に……)付き合わなくてはならないからである。


『紀元末はホニホニ機嫌』

 ソ連共産主義体制が崩壊して以降の産経新聞グループのはしゃぎ様を見るたびに、一九三五年に伊井香弦が著わしたという『紀元末はホニホニ機嫌』なる題名の奇書を思い出す。この書は、垣芝=松山の言によれば、次のように言うそうだ。

日本において「世紀末」といえば、どこか不安や絶望、内面の憂鬱をことさらに強調し、深刻気なポーズをとることが流行になったのは、一九世紀末ヨーロッパ思想の二〇年遅れの受け売りだ。その典型が一九二〇年代の有島や芥川だ。だが日本を思え。一九四〇年が皇紀二六〇〇年であるという歴史観からすれば、本書が刊行される一九三五年は皇紀二五九五年に当たり、まさに紀元末なのだ。実生活に苦悩とか不安が溢れているのは当たり前のこと、だからそれらを取り立てて書く必要はなく、ホニホニのホは明朗(ほがらか)のホ、二は莞爾(にっこり)の二と上機嫌に考えることこそ肝要。ホニホニ機嫌とはいつも笑って暮らす意、である、と。

 ホニホニということばには、いまにも頬の辺りがゆるんでくるような語感があって、言い得て妙、という感じがする。類者の中でも群を抜く今様産経グループのホニホニぶりは、これに似ている。

 ホニホニに純化する以前の産経新聞には、つい数年前まではユニークな朝刊文化欄があった。毎日のように新刊書の書評が載り、書の選択も悪くはなかった。「斜断機」という名の、斜(はす)に構えた常設コラム欄もあって、ここには往時の東京新聞コラム「大波小波」を思わせるような、思想・文学・政治状況に関わる気の利いた匿名寸評が、載っていた。いわばこの欄は(社外原稿とはいえ)、政治・社会面では正統的なサンケイ主義を実践しておきながら、自己批評の目もしっかりと持っているぞ、と言いたげな冷めた(覚めた)雰囲気を醸し出していて、私は、「産経抄」「社説」「正論」などと共に、これを愛読していた。だが二年前ほどだったか、「斜断機」執筆メンバーは一新された(と断定できる)。全紙面これサンケイ主義が露出しはじめた。       

 たとえば年末一二月二九日付けの同欄には、鵜飼哲の『償いのアルケオロジー』(河出書房新社、一九九七年)に触れて「破産した左翼思想の海外侵略」なるコラムが載っている。

曰くーー何から何まで国家権力の責任(犯罪)だという、鵜飼の単純な日本犯罪国家論は、ただアジア人民という「弱者」をダシに、ひたすら日本政府(日本人)に謝罪と補償を要求するだけ。国内の「弱者」に見捨てられて行き場を失った左翼が新しい「弱者」を求めてアジアに進出しただけのことで、左翼の擁護・特権化のためなら死刑囚から慰安婦まで、何でも利用しようとする。実は、彼らこそかつてのキリスト教宣教師と同じ、思想的な侵略者、精神の植民地主義者なのだ、と。


 ふつうなら、あんたが言うな、の一言で終わらせることができる程度の発言だと思える。鵜飼が展開している論理構造とまともに向かい合おうともせずに、近代日本の歴史と現在を肯定しているか否定しているかという、単純きわまりない枠組みに当て嵌めて、マルかバツをつけてゆく。

侵略といい植民地主義といっても、それが現実にあった姿形を仔細に検討する場にみずからをおくわけではない。レトリックとして使うのみである。そこでは当然にも、異なるふたつの論理が構造の問題としてぶつかり合う場は保証されない。これは、わずか千字にも満たない字数で書かれているコラムだから、言い足りない点が生じているという問題ではない。百万言を費やした長大な論文であろうとも、サンケイ主義の論調がほぼ例外なく有している、属性とも言えるほどの本質に関わる問題である。

 だが、私たちはここで、いましばらく立ち止まらなくてはならない。産経新聞本紙や『正論』にあふれる居丈高なこのサンケイ主義の主張は、かつてのようには、一握りの右翼イデオローグのものとして孤立してはいない。

一見もっと穏やかに見える次の発言を引用してみる。

「人がいま彼の生きる世の中に反社会感情をもつことには現実的な根拠がなくなったと見たほうがよい。どういうことか。かつては世の中に確固とした不合理があった。だからそこに生きていれば誰もが、いわば世の中のあり方に対する反対感情をもつことに現実的な根拠があった。

しかしそのような不合理、誰もが感じる生き難さの現実感が薄れるように世の中は推移した。すると、この反社会感情は追いつめられ、表現の方途を失って、一方で、世の中に反社会感情を抱かない若者の『軽佻浮薄』を断罪するようになり、他方で、まだ残っている不合理を見つけだし、社会の底辺や第三世界、あるいは新たに生まれてきた反原発・エコロジー運動、性差別を含むさまざまな差別の問題に表現の出口を求めるようになった」。

 これは加藤典洋との往復書簡における竹田青嗣の表現である(加藤/竹田『世紀末のランニングパス1991ー92』(講談社、一九九二年)。竹田は、小林よしのりや橋爪大三郎と行なった討論『ゴーマニスム思想講座:正義・戦争・国家論』(径書房、一九九七年)の中でさらにこの立場を推し進めた内容の発言を繰り返している。

前者について私はすでに批判を行なったことがあるが、社会状況の推移の中で必然的に生まれてきた新しい社会運動の方向性を、竹田は相変わらず、倫理主義、絶対弱者主義、絶対他者主義、絶対正義主義、罪悪感強迫型といった言葉で、切り捨てていく。

それらの立場を批判するうえで思想上は少しずつ自覚されてきたこの種の考え方(=絶対的な「よい」を人間の外側の超越的な場所にくくりだす時に起こる、自分のことを考えずにただ他者のために自分を捧げるという転倒)の歪みは、現実の社会運動では自覚されていない、と断定する。

実際の社会運動の渦中にいる人の中には、竹田が行なっているような批判をみずからに課しながら自分たちの運動を模索していることを〈控えめに〉語りうる人は多いと私は思う。最近の竹田が、なぜか具体的な例も挙げずに一般論として、確信をもって主張しているこの見解についてはあらためて検討し批判する機会を得たいと思う。ここで確認しておきたいことは、先に引用した典型的なサンケイ主義の主張が、現在の日本社会にあっては、竹田が展開しているような議論が広範にある中でなされているということである。

この種の『本を読まずに済ます方法』


 垣芝=松山もいうように、「世の中読まなくても良い本が溢れている」。多くの保守系雑誌や単行本を買い求め、貴重な時間を割いて読む自分にふと気づく時、人生にはもっと有意義な過ごし方があるではないか、という内心の声を押し潰すことはできない。価値のないもの、愚劣なものを多く読むよりは、真に価値のあるもの、心ひろがるものを少なく読みたい、と。だが、残念なことに、社会・思想状況が変化し、これらのメディアの上で表現されているのは、この社会に一定浸透している考え方であることを自覚する時、現実批判のために必要最小限の「読み」は避けられないと私は考えてきた。

 なぜこのような状況が生まれたのだろうか? それには、先に挙げたソ連社会主義の無惨な自壊が生み出した、政治・社会・思想・文化状況の多構造的な変化の中で捉えることが、もちろん不可欠であろう。

ここでは、論じているテーマの関連から、最後にメディアの問題として見ておきたい。保守系総合雑誌・新聞を読む私が、もっとも有益な情報を得たと思うのは、いわゆる社会主義圏に関する暴露記事からである。たとえば現在では、北朝鮮社会についてはきわものを含めて数多くの本が出版されているが、この社会に関する情報をもっとも「先駆的に」公開してきたのは、保守系メディアであった。

そのそばに、先頃死亡した安江良介が編集長を務めていた時代の『世界』をおいてみる。『世界』が熱心に行なった軍事政権下の韓国社会に関する批判的な報道は、もちろん、いまから見ても有益なものだった。同時に『世界』は、安江が金日成の個人的な信用をかちえることによって、北朝鮮社会に関しては無批判な報道姿勢を一貫させた。人権・民主主義という地点で問題をたてるなら、南も北も同じ問題を抱えていることが、客観的には明らかであった時点で。

日本国家(政府)が共和国に対する植民地支配責任をとっていない以上、国内体制についての批判はできないという思いが、安江にはあったのだろう。しかし、安江の金日成会見記が登場した頃には、将来ありうる金体制崩壊の後に「社会主義」の名におけるどれほどまでの圧政の事実が明らかになることかということが、私(たち)には想像できた時代であった。

にもかかわらず、人権と民主主義の問題については何も触れずに行なわれている会見を読んで、安江の現実認識の希薄さに驚いた記憶が私にはある。

 『正論』や『諸君!』や『SAPIO』が、進歩派・左派メディアの北朝鮮報道の歪みを揶揄する時、そこには「現実的な」根拠があると私には思える。彼らの立論の基盤には少しも賛同しない私でも、彼らの言論は、実は不都合な現実には目をつむる(つまり、半世界としか向き合わない)『世界』のようなメディアの内部に映し出されているだという思いがする。

 ヴェトナムに生まれた優れた戦争文学、バオ・ニンの『戦争の悲しみ』(めるくまーる社、一九九七年)の出版をめぐるヴェトナム国内の状況や日本語訳がはらむ問題性(その真偽のほどは読者ひとりひとりの分析と判断に委ねられるにしても)について提起したのも、『正論』九七年一二月号であった。

 伝えるべき現実の選択および報道のあり方に関して、『正論』や『諸君!』が目の仇にする進歩派・左派ジャーナリズムがここに垣間見たような現状にある以上は、私はなお保守派メディアの「熱心な」読者であり続けなければならないだろう。

その歴史観と世界観において、その心性において、低劣で愚劣なこの掃き溜めから飛び立つために、つまり、この種の「本を読まずに済ます」時が来ることを楽しみにしながら。

(98年1月15日記)

 
  現代企画室   東京都渋谷区桜丘町15-8 高木ビル204 Tel 03-3461-5082 Fax 03-3461-5083