現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1999年の発言

◆インタビュー「東ティモール多国籍軍評価をめぐって」(仮題)

◆書評:目取真俊著『魂込め』

◆チモール・ロロサエは国軍を持つというグスマンの言明について

◆ペルー大使公邸事件から三年

◆グスマンの「方針転換」について

◆私達にとっての東チモール問題

◆文学好きの少女M子、十七歳の秋

◆東チモール状況再論:若干の重複を厭わず

◆「おまえの敵はおまえだ」

◆東ティモール情勢を、PKF解除に
利用しようとする日本政府と右派言論

◆書評:伊高浩昭著「キューバ変貌」

◆「ふるさとへ」

◆アンケート特集/若い人たちにおくる三冊

◆書評  田中伸尚 『さよなら、「国民」「「記憶する「死者」の物語』

◆傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。他の選択を許さぬ二者択一論と欺瞞的な二元論の狭間

◆「ほんとうは恐いガイドラインの話」

◆裁判長期化批判キャンペーン批判

◆時代につれて変わる出会い方、そのいくつかの形ーーラテンアメリカと私

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東ティモール情勢を、PKF解除に利用しようとする日本政府と右派言論   
「派兵チェック」第84号(1999年9月15日発行)掲載のものに若干加筆
太田昌国 


 東ティモールの将来の地位を問う住民投票の結果が明らかになった数日後、いわゆる残留派私兵が独立派の住民に対する暴行を続ける情勢を観察しながら、読売新聞政治部の笹森春樹は書いている。

「日本政府は住民投票後の混乱に備え、邦人救出のため海上保安庁の巡視船をディリ沖に待機させるなど、邦人保護については素早い対応を見せた。

だが、独立派住民の生命が大量に奪われようとしている現実を直視し、国連平和維持軍(PKF)派遣を含む治安回復をめざした国際社会の動きに積極的に関与しようという姿勢は、今のところ見られない。

というのも、国連平和維持活動(PKO)[註*]協力法でPKFの本体業務の参加が凍結されており、治安回復のための国際的な議論に加わりづらいという事情があるためだ。(……)焦眉の急の治安回復が実現できなければ、独立プロセスそのものが崩れかねない。

政府と各党は、今回を機にPKF凍結解除の法改正に早急に動く必要がある」(同紙9月8日付朝刊)。

[註*:民衆の軍事アレルギーがまだしも強かった戦後五〇年間を、軍事用語の使用を忌避しながら軍事の実態を作り出すという姑息な手段で乗り切ってきた支配層の意図を思えば、「活動」ではなく「作戦=operation」と読もう、と相変わらず私は主張する]


 マスメディアの一部が東ティモール情勢を利用してPKF解除を扇動しはじめた九月上旬に、自民党と公明党間の政策協議においては、「PKF凍結解除については五原則の堅持を条件に合意する」旨の確認がなされた。

だが、@停戦合意A受け入れ同意B中立性C上の原則が崩れた場合の中断・撤退D武器使用は生命防護に限定ーーから成るPKO参加五原則なるものすらも、カンボジア、モザンビーク、ゴラン高原と続けられてきている自衛隊派兵の過程で踏み躙られてきた。自民・公明両党の合意は、なし崩し的に事実上解除してきた「凍結」を、前国会の余勢をかって法律的に定めるという意志を固めたものと解釈することができる。

 ところで、ハビビ・インドネシア政権も12日になって渋々受け入れを表明した国連平和維持部隊の派遣は、他ならぬ現地・東ティモール独立運動派の指導者たちによっても歓迎されていることが、この間の報道から見てとれる。

去る7日、七年ぶりに釈放された独立運動指導者で、ゲリラ組織ファリンテルの総司令官シャナナ・グスマンは、釈放直後、大要つぎのように語った。「小さな、自衛の手段さえない同胞が直面している深刻な事態から彼らを救うには国連平和維持軍しかない」。

さらに、ハビビが同軍の受け入れを表明した12日には「ハビビ大統領がこの勇気ある決定をしたことをたたえるとともに、国連と国際社会がただちに行動するよう訴える。時を失うことはできない」とも語っている。

 このように、東ティモール情勢を利用してPKF解除へ突き進もうとする日本政府とこれを積極的に後押しする右派言論がめざす方向性は、現地・東ティモール独立派の願いに合致しているかに見える。だが、両者は似ても似つかぬ正反対の回路を伝って、1999年9 月段階での「きわめて現象的な」一致点に辿り着いているにすぎないことを、ここでは見ておきたい。


 インドネシア政府に拘束され獄中にあった時期のシャナナ・グスマンの最後のメッセージを伝えているのは、青山森人著『東チモール:抵抗するは勝利なり』(社会評論社、99年8月刊)である。

この本の資料編に収められている チピナン刑務所で書かれた「1999年・新年のメッセージ」は一読に値する。彼は今年前半にも、将来独立する東ティモールが、国軍を持たない非武装社会になる展望を語っていたと伝えられたことがあるが、以前から洩れ聞こえてくる片言隻語にも確固たる政治哲学が感じられた。

獄中からのメッセージは、その思いを裏づける。グスマンはハビビの怯懦を当然にも見抜いている。国際社会、とりわけ「民主主義と人権のチャンピオン」を気取る国々への幻滅も深い。

 1975年12月インドネシア軍の東ティモール侵略の前日に米国大統領フォードと国務長官キッシンジャーがスハルトに会い、援助と武器供給の継続を約束したのだから、これは翌日行なわれる侵略のゴーサインであったことは可能な推測の範疇にある。半年前の75年4月、ベトナムで 喫した手酷い敗北を、米国は必死に取り繕うとし、スハルトはそのためのかけがえのない盟友であったのだ。


 インドネシア軍による東ティモール侵略の出発点にあるこの「エピソード」をはじめとして、この25年間の米国・日本・オーストラリアなどの大国のふるまいはどういうものであったか。「国際社会の利益渦巻く政策は東ティモールにも影響を与えている。

この国際社会は、スハルトあるいはハビビ政権下にある二億人の運命に責任を感じていない。七〇万人の東ティモール人については言わずもがなだ。七〇万とは、法と正義を考慮する価値のない小さな数字なのだ」。

 こうした内外の敵対者に対する厳しい批判と同時に、独立派への自戒の言葉も多い。正しさを過信したり、野心に溺れることを戒め、解放闘争の「英雄」が独立の「英雄」になる第三世界の運動の過ちにも触れる。

山のゲリラであったことへの誇りから、軍事的力に依存する「乱暴者になるのはやめよう」という言葉が、おそらく国軍廃止への思い・展望に繋がる道筋を示しているのだろう。

 これだけの深い考えを持ちつつ、グスマンらは、25年に及ぶ直接的な支配者・インドネシアからの独立を達成するという戦略的展望の下で、残留派とその背後にいるインドネシア国軍の暴力行為を食い止めるという目的に限って国連平和維持軍に期待するという戦術を駆使している。


 その戦略的展望のなかには、東ティモール侵略後も一貫してスハルト体制を支持し続け、インドネシアに対するODA(政府開発援助)の最大の供与国であった日本のイメージもくっきりと描かれているはずである。

グスマンらの「国連平和維持軍歓迎」の立場は、スハルト政権の一貫した支援者であり続けながらいまさらハビビ政権への兵器売却中止をちらつかせた米国や、つい先頃まで東ティモール併合を容認しておきながら事態が変化したいまになって平和維持軍への大量派遣を目論むオーストラリアのように「民主主義と人権のチャンピオン」風にふるまおうとする国々の立場とは明確に異なる。


 もちろん、それは、東ティモール情勢を奇貨として軍事的な露出をいっそう企てようとする日本政府・右派言論の立場との間にも、天と地ほどの開きがある。

マスメディアの情報操作に抗して議論の出発点をそこにおくために、真意を語るグスマンらの発言にもっと耳を傾けたい。


 カンボジアでもモザンビークでもソマリアでも、ゴラン高原でも旧ユーゴスラビア各地でも東ティモールでも、事態の推移の過程では自らの利害をかけて資本の放埒な動きに委ねたり無関心を決め込んだりする態度を綯い交ぜにして振る舞いながら、いざそのツケもあって事態が混乱の極みに達すると、究極の切り札のように「国連平和維持軍」を登場させるーーこれこそ、この間の大国主導の国際社会が作り上げてきた秩序であった。


 そこでは、歴史過程における大国と国際社会の無責任さが免罪されたまま、国連軍ないしは多国籍軍があたかも救世主のように立ち現われる。この偽善を批判し、対等・平等な、まったく新しい世界秩序のあり方を模索すること、そこにこそ、結局は国際軍事力の発動にしか行き着かない現行秩序に反対する私たちの根拠はあった。

日本が、国際紛争を解決する手段としてせめても軍事力を発動することなく過ごしてきた戦後五〇年有余の歴史に終止符を打ち、PKO参加という形で自衛隊の海外派兵の道を切り開き、「周辺事態」に際して米軍との共同軍事作戦の展開を可能にすることは、上に触れた「既定のコース」に乗るものでしかないからこそ、PKO派兵や日米新ガイドラインに反対する私たちの根拠はあった。

そのような私たちの考えと運動は、いまの段階では国連平和維持軍の駐留を歓迎せざるを得ない立場に追い込まれている東ティモール民衆と出会うべき、別な場所を作りださなければならない。


(99年9月15日記)

 
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