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書評
田中伸尚 『さよなら、「国民」「「記憶する「死者」の物語』 |
(一葉社、九八年一二月二五日刊、四六判・三三四頁、定価二四〇〇円) |
太田昌国 |
本書が刊行されたのは昨年末だった。主要には一九九〇年代半ばに書かれ/語られた、日本の侵略戦争によって生み出された死者をめぐっての文章と講演が収められている。
それから間もない今春、著者は今度は『天皇をめぐる物語』と題する新著を同じ出版社から刊行した。新著に収められた文章・講演は一九七九年から九九年にかけての二〇年間に発表されたもので、侵略戦争の支配的頂点にいた「昭和」天皇と、その死後にあって戦争の匂いを消して登場を計る現天皇夫婦のあり方に関する言及が多い。
そのときどきの政治・社会情勢に迫られての発言が多く、いきおい、文章・講演は時勢論的・状況論的に展開する。だが、ことは、近代日本をめぐる歴史認識に関わる。
著者の文章・著書がいつもそうであるように、それらは単なる時勢論に終わることはない。執拗に試みられるのは現在と過去の歴史的対話である。
九四年の段階で「日本遺族会の五十年」をふりかえった文章から本書は始まる。丹念な聞き取りと資料の読み込みによって明らかになる遺族会の歩みは興味深い。遺族会の前身に当たる遺族厚生連盟の一九五〇年前後の会報には、肉親を失った悲しみに耐えつつ、あの「無謀な侵略戦争がもたらした他国の死者」(大意要約)とその遺族に向かう心情が吐露されている投書が載っていた。
出征した父や夫や息子は「自分で好んで戦争に行った」のではなく「命令で止むを得ず戦場に赴き、而も戦没した」こと、つまり日本国家との関係でいえば被害者にほかならなかったという思いを抱いている人が、決して稀ではなかった。敗戦直後の遺族の心情は、意外にも、これほどまでに内省的であり、「英霊にこたえる」意識に限られることはなく、多様であった。
一九五三年、連盟が解散し日本遺族会が設立されてから変化が徐々に始まる。占領が終わり、軍人恩給が復活し、再軍備へと向かう時代背景が、そこにはある。
戦犯・賀屋興宣や戦犯の遺族が遺族会の主要な部署を占めるに至った六四年には、「戦争防止」「世界恒久平和」は会の標語から消え、ひたすら「英霊の顕彰」を第一義とする組織へと変質していた。変質を批判する平和遺族会や諸個人ばかりでなく、日本遺族会の中枢にいる人物とのインタビューにも裏打ちされている記述で、読み応えがある。
この遺族会の変遷の歴史は、特殊に遺族会であるがゆえに辿ったものではないように思える。
植民地支配・侵略戦争の歴史をめぐって、そして戦争責任の問題をめぐって、まっとうな論議が起こらず、責任の所在を曖昧なままに歩んできた日本社会総体のあり方が、この遺族会の変遷の歴史に、歪みを拡大して反映されていると捉えることが大事だと思われる。
著者は、大組織・日本遺族会に所属しているのは全遺族の半分であり、「遺児」も多く見ても一五%を組織しているだけであることを明らかにしている。
「遺族=日本遺族会」なる等式はもはやフィクションでしかないが、国家を最大の枠組みとした、このような単一の正統性を誇示するものの包摂を抜け出て、「個」として生きる者の価値観と現実の姿を描くことーー著者が本書に収められた他の文章でも貫く方法は、ここにある。一見したところ「少数派」に思えるこれらの人びとの姿を描く著者が、本書に『さよなら、「国民」』というタイトルを付した意味が、おのずとはっきりとしてくる。
自衛官合祀拒否や忠魂碑違憲の訴訟を起こした人の手元には、「日本から出ていけ」「お前は日本人じゃない」との脅迫・非難の手紙が文字通り殺到する。門徒を前に「国のための戦死はムダだった」と語る寺の僧侶には、出入り拒否の怒号が浴びせられる。
二〇世紀末の現在、国民国家の揺らぎが実感をもって語られる時代がきていてなお、人によっては、国家を後ろ盾にここまでの暴力的な言動にゆだねる者がいる。
反省めいた言辞で、これに加担する者が輩出する。すなわち、青年時代特有の反国家感情は結局は国家に支えられるところが大きい「国民」の生活史の現実に目を塞いでおり、未熟だった。何かにつけて国家を先験的に悪者に仕立てあげるのはやめたほうがいい、という具合に。
著者が本書で実際の例を挙げている、逃れることのできない宿命のような「国民」に距離を置いて生きる人びとは、若気の至りの典型のような青年では必ずしもない。年齢でいえば、人生半ば、あるいは老年の人が多い。意味あり気な世代論風の議論のまやかしを、このことは証しているように思う。
最後に一言。私は、自由主義史観派とのたたかいのためには、「ナショナリズム」に収斂することでは同じ穴のむじなでしかなかった戦後進歩派や戦後左翼の歴史観とのたたかいが不可避だと考えている。つまり、自由主義史観派とのたたかいにおいては返り血を浴びざるを得ないということだ。この問題を著者がどう考えているかを、ぜひ、知りたい。討論したい。
(1999年7月19日記)
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