現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20~21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
1999年の発言

◆インタビュー「東ティモール多国籍軍評価をめぐって」(仮題)

◆書評:目取真俊著『魂込め』

◆チモール・ロロサエは国軍を持つというグスマンの言明について

◆ペルー大使公邸事件から三年

◆グスマンの「方針転換」について

◆私達にとっての東チモール問題

◆文学好きの少女M子、十七歳の秋

◆東チモール状況再論:若干の重複を厭わず

◆「おまえの敵はおまえだ」

◆東ティモール情勢を、PKF解除に
利用しようとする日本政府と右派言論


◆書評:伊高浩昭著「キューバ変貌」

◆「ふるさとへ」

◆アンケート特集/若い人たちにおくる三冊

◆書評  田中伸尚 『さよなら、「国民」「「記憶する「死者」の物語』

◆傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。他の選択を許さぬ二者択一論と欺瞞的な二元論の狭間

◆「ほんとうは恐いガイドラインの話」

◆裁判長期化批判キャンペーン批判

◆時代につれて変わる出会い方、そのいくつかの形ーーラテンアメリカと私

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東チモール状況再論:若干の重複を厭わず  
「人民新聞」1999年10月15日号(第1024号)掲載
太田昌国 


 ソ連邦崩壊によって東西冷戦体制が消滅して以降、私たちは、社会がこんなにも劇的に「壊れていくものか」という現実を日々見聞きしているように思える。

 東西冷戦体制の時代がよかった、というのではない。米ソ両超大国が、みずからの利害を賭けて身勝手な世界分割支配に明け暮れることによって、世界各地にどんな悲劇が生み出されてきたかを、私たちは知っている。

だが、それは強制力のある「惰性の体制」であった。その枠組みの中にいる(引きずりこまれる)と奇妙な安定感があった、と「現在との比較で」(その限りで)ふりかえることができる。

 いまから一〇年足らず前、その固定的な枠組みは壊れた。第二次世界大戦後の四五年間の世界を「東西対立」という一点に凝縮してきた秩序が壊れて、いわばパンドラの箱が開けられた。

 従来の思考の範囲にも、現実に起こり得ると想像できる物事の範囲にも収まりきらない考え方や出来事がつぎつぎと生まれている。

それが、旧態依然とした惰性的な思考を打ち破るとともに、あるべき新しい世界のあり方を具現しているのであれば、まだしも問題はない。だが、ペルシャ湾岸戦争、カンボジアへのPKO(国連平和維持作戦)部隊の介入、NATO軍のユーゴ爆撃……どれをとっても、そのような質を孕むどころか、新たな時代の新たな悲劇を生み出すものでしかなかった。

 そして今度は東チモールの事態である。しかも、東チモールの現実は、上に触れたどの前例とも異なる、真に新しいものとして私たちの目の前にある。独立派は国連や平和維持軍の介入を求めた。

現地で独立派に共感をもって活動していた世界各地のNGOグループの多くも、投票日前後から激しさをましたいわゆる残留派の暴力の行使を見て、もはや平和維持軍の介入以外の選択肢はないと判断した。そして現実に九月二〇日以降。オーストラリア軍を主力とする多国籍軍七五〇〇人は東チモールに進駐し、今日に至っている。

 私は、独立派の人びとやその運動を一貫して支持して活動してきたNGOの人びとが、虐殺の現場でギリギリの判断を迫られて行なった平和維持軍派遣要求を批判しうる場に自分はいないと思う。

だが、彼女/彼らの声が、日本社会におけるメディア報道の現状にあっては、PKF参加凍結解除の声とも一体化するかのごとく現象し(故意にそのように捩じ曲げられ)、選択肢はこれしかないのだという世論が形成されることには明確に反対すべきだと考えている。私たちは「虐殺の現場」にはいない(いなかった)。

 そのことの「自由さ」を活用して、論議を原点に引き戻すのは、私たちの責任だと思う。

つまり、

 一、問題が、あたかも住民投票前後のわずか一〜二ヵ月間に生起したかのように描きだすごまかしを批判すること。

 二、長期的な歴史射程としては、チモール地域がヨーロッパ主導の「近代世界システム」に組み込まれる植民地化以降の構造として捉えること。

 三、主体的には、一九四二年以降敗戦時までの日本軍によるチモール占領時代の「責任」(=補償)を果たし得ていないこととの関連で問題を提起すること。

 四、一九七五年の東チモール独立革命戦線による独立宣言以降の時代に関しては、ベトナムにおける米国の敗北を契機とした戦後世界体制の再編との関係で事態を捉え、今日に至るまでの米国・日本・オーストラリアなどの大国のインドネシアとの関わり/東チモールにおいて三分の一もの人びとが虐殺されてきた現実に目を蔽ってきたことの無責任さを明確にすること。 

 五、全体的に見て、東西冷戦崩壊以降、大国主導の下に作られている国際秩序なるものは、或る地域の社会的・経済的・政治的安定に日頃から配慮するのではなく、大国の軍事的覇権の強化のためにその地域を利用し、経済的権益の確保と拡大のために市場原理に基づいて資本の恣(ほしいまま)の草刈り場としているが、それにもよってその地が社会的に不安定となり騒乱が起こると、国連を隠れ蓑としてみずから「平和の使者」のごとく平和維持軍の派遣に行き着くという構造が出来上がっており、このごまかしに満ちた構造自体を批判的に明らかにすること。

 六、「平和維持軍の介入」を国際世論とともにひとしく要求しているかに見える独立派の解放思想は、本来もっと深い地点で発想されていること。つまり、インドネシアによる占領に対する抵抗のための止むに止まれぬ武力の行使とはいえ、自らも軍事力によって人を殺めたことへの内省が、来るべき独立チモールが国軍を持たない、非武装社会を展望する根拠となっていることを明らかにすること。ほかにもその主張には、世界じゅうの社会運動が参照すべき重要な論点があることを、彼女/彼らの具体的な言葉と行動を通して知ること。
、、などが差し当たって必要だと考えてきた(「派兵チェック」第八四号など参照)。

 ところで、ここで「思考停止」してよいのだろうか、と私に疑問を提起した友人が数人いる。

私の言動に直接言及しているわけではないが、「かけはし」10月18日号の投書欄に載ったH・K生「東チモールへのPKF介入支持と日本のPKF参加反対は矛盾しない」の問題意識も、これと同じ線上にある。原則的な問題にこだわった先には、確かにこの問題がひかえていることを私は自覚している。

       (10月21日記)

 
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