|
傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。
他の選択を許さぬ二者択一論と欺瞞的な二元論の狭間 |
「派兵チェック」第80号(1999年6月15日発行)掲載 |
太田昌国 |
ユーゴスラビア・コソボ紛争解決のための欧州連合(EU)特使=フィンランド大統領が、ユーゴ政府は米国・EU・ロシアの三国同意による和平案を受諾したと語り、明日にも空爆停止かとか政治解決の可能性が生じたとの報道がなされたのは 6月3日から5日にかけてのことだった。
それから数日後、ユーゴとNATOの協議は、ユーゴ連邦軍のコソボ撤退とNATO主体の平和維持部隊派遣をめぐって不調に終わり、7日には協議中断、8日には空爆強化の大見出しが新聞には載った。
その8日の朝刊二紙に、きわめて対照的な記事があった。
毎日新聞の北米総局長・中井良則は「米国民には人ごとの空爆」と題する報告を寄せた。一部すでに報道された事実もあるが、この重要な時期のまとめ的な記事としてはすぐれたものだった。
レーダー探知回避装置搭載のスチルス戦闘機(私の記憶では、これは1989年12月の米軍のパナマ侵略の時に初めて実戦投入されたはずだが、中井は今回が史上初めてだという。
事実を確かめたい)に乗った米空軍兵士は、ミズーリ州の基地から往復30時間でユーゴとの間を行き来した。最初の任務の日が誕生日に当たったパイロットは弁当にバースデーケーキを詰めてもらい、爆弾を落として翌日帰宅すると、子どものサッカー試合の応援に出かけたことすらあった。
空爆で「救われるはずの」アルバニア人難民の窮状と比しても、米国人にとってこの戦争の「現実感のなさ」は、これほどまでに奇妙だ。
5000対ゼロという数字の対比も冷酷だ。前者はユーゴ連邦軍・治安部隊の推定死者数。「誤爆」による民間人の死傷者の数は別のものだ。ゼロとは、NATO側の戦死者。
驚くべき恥知らずな議論なので、中井の記事とは関係ないが何度でも引用することになるが、湾岸戦争の後で「世界ではいま、兵士の戦争生存率の極大化と、戦死のない作戦の指揮能力が問われている。それは冷戦後の、新しい平和主義の萌芽である」と述べた猪口邦子の議論(毎日新聞94年5月21日付け)を、地でいったような結果である。
猪口はいみじくも「世界ではいま……問われている」と書いて、彼女が言う「世界」には「攻撃をうける側」は存在していないことを告白した。ベトナム戦争における米兵の死者 4万7355人、湾岸戦争時148人、ソマリア派兵時29人……という数字と比べて、猪口のように表現すると、たしかに「世界」は、戦死者ゼロによって、「問われたこと」を果たした。<死者は、所詮、よその土地でしか生まれないのだ>。
めざましい形で「反戦運動が起こらなかった」根拠はここにあったのだろう。中井は結論づける。新戦略は「残酷な殺人と破壊という戦争の現実から目をそらせ、想像力の欠如を招いたのかもしれない」。中井は、今回の奇妙な戦争をふりかえるうえで、忘れてはならない基本的な論点を冷静に提出している。
他方、毎日新聞よりはるかに読者数の多い朝日新聞の、しかも社会面には、「『かわいそう』祈る2歳」と題するひたすらに情緒的な記事が、写真入りで載っている。
テレビでユーゴ空爆や彷徨うコソボ難民の姿を見て、その風景をクレヨン画に描いていた都内の2歳の少女が、泣く難民の子どもとお年寄りを見て自分も泣きだした。
そして「かわいそう」とつぶやいて手を合わせて祈った。両親が「純粋な子どもの気持ち」を米国大統領に手紙で書き送ったところ、クリントンから「もし、みんなが一緒になれば世界を変えることができます。
国と国との間の理解を深めることができます」との手紙と大統領の写真が届いた。2歳の子は写真とテレビを見ては「クリントンがんばって」と言う日々だ、と伝える無署名の記事である。
テーマは何であれ、時に社会面に載るお涙頂戴的な記事には、取材対象の人物と記者の奇妙な人間関係が想像されるだけで、記事としての「社会的な」必然性が稀薄な場合が多い。
この記事もその典型で、幼い少女の気持ちをひたすら情緒的な側面で「利用」した三者三様の大人たち……両親、クリントン、記者……のふるまい方が、あまりにあざとい。
とりわけ、和平なるか否かの重大な局面で、こんな水準の記事を書いた記者と、掲載に値すると判断したデスクの現実感覚の欠如には、いまさらとはいえ、現在のジャーナリズムのありようはかくまでかと思わせて、哀しい。
日頃この欄で取り上げる右派言論に感じるのとは別な種類の気持ちの悪さを、この手の記事には感じる。事態を内省的に捉え返す冷静な方法をもつことを妨げ、心情的な反応を引き出そうとする意味で、読者(私たち)を舐めきっているな、と思わせるところがある。こんな馬鹿馬鹿しい記事を書く記者の名前は明示してほしいものだ。
今回の事態の深刻さのひとつが以下の点にあることは、自明のことのように思える。すなわち、空爆の先頭に立つのが、いわゆる「六八年世代」、つまり関わり方に個人差はあれベトナム反戦運動の経験をもち、現在は社会民主主義派を代表する人物だという点である。
NATO事務局長で、最近EU共通外交上級代表に内定したハビエル・ソラナはスペイン社会労働党員だが、「理想的な価値を厳しい現実に適用することの難しさ」を語って、自らが指揮した空爆を正当化する言動を繰り返している。
首相時に「理想的な価値」を放棄し自衛隊合憲論と日米安保容認論という「現実論」を展開して、今回の周辺事態法成立の道を掃き清めた村山富市が聞いたら、「友あり、遠方より来る」と随喜の涙を流すだろう。
ソラナらが落ち込んだのは、「ファシズムを傍観するのか」それとも「人権を守るために空爆するのか」という二者択一論だった。他の道はないのか……NATOのなかでそれは真っ当な論議の対象とはならず、空爆の批判者には「ミロシェビッチを容認するのか」とのヒステリックで情緒的な反応が浴びせられた。
傍観か空爆か。少女の涙と大統領の周到な配慮。他の選択を許さぬ二者択一論や、欺瞞的な二元論の狭間に、私たちは自らを追い込んではならぬ。
|
|