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映画『出草之歌』を観て |
映画『出草之歌』パンフレット掲載 |
太田昌国 |
2006年、日本社会に生きていて、映画『出草之歌――台湾原住民の吶喊 背山一戦』を観た私は、この作品の「大事さ」と「面白さ」を、まず時事的に語ることができる。ビデオ・カメラで記録されたこのドキュメンタリー作品を貫くテーマは次のことであろう。
日本が台湾を植民地支配していた時代にアジア太平洋地域に侵略を拡大した日本は、台湾原住民・高砂民族の人びとを「高砂義勇隊」の名の下に組織し、最前線での戦いに駆り出した。
19世紀末に台湾を「討伐」する過程で、彼らの「勇敢さ」を知り尽くしていたからである。
この挿話は、インド支配の過程でネパールのグルカ人を「勇猛なグルカ兵」として組織して現在にまで至るイギリス帝国主義や、ハノイにある中央政府の集権的統治の外で生きる気概をもった「勇猛果敢な山岳少数民族」をインドシナ侵略戦争の過程で己の利益のために「活用」した北アメリカ帝国主義の手口を思わせるところがある。
植民地支配を当然の歴史過程として正当化する帝国主義者の振る舞い方は、時代と空間を超えて、人種差別主義をむき出しにしており、狡知に長けているというべきであろう。
さて「高砂義勇隊」の多くの人びとは日本軍の一員として戦死した。
戦後、その戦死者たちは靖国神社に祀られているが、高砂民族の考え方からすれば、死んだ人間は必ず自分の家の中に埋葬されなければならない、外に埋葬するのは残酷なことだから、強制的に靖国神社に祀られている魂を台湾に持って帰ってやらなければならない――こう主張する高砂の人びとが、2002年以来何度にもわたって台湾から来日し、靖国神社に押しかけ、「高砂義勇隊」戦死者を「殺人者」と共に合祀することを止めるよう要求している。
なにしろ、靖国神社の前身である東京招魂社に祀られた初の対外戦争での日本人死者は、1874年の台湾出兵の際の死者たちだったのだ。
それ以降のアジア太平洋侵略戦争に従軍した日本軍戦没兵士たちも含めて、主要には、240万人を超える加害者側の兵士たちがが祀られている神社なのだ。
だが、神社側は合祀取りやめを認めようとはしない。靖国神社参拝を繰り返す日本国首相との面会も求めるが、官邸によって拒絶される。
こうして、映画は、2000年代初頭における、日本国を相手にした高砂民族復権のたたかいを記録している。時事的な「大事さ」を言うのは、この同じ時代に、日本では次のような時間が流れており、それは高砂民族の要求と出会う接点を消し去ろうとする、非歴史的かつ非論理的なものだからである。
すなわち、歴史的展望をもつことや、論理的な分析を行なうことに価値をおかず、それを超越した地点で物事を語ったり考えたりする――小泉政権期の五年間に、首相をはじめとする為政者たちが選択した道はこれだった。
市民社会のなかでの批判力が健在であれば、内閣のふたつやみっつが倒れただろうと思えるほどに、首相たちは、歴史哲学も政治哲学も論理も倫理も、微塵も感じられない無惨な言動を繰り返したのだが、それでいて、そこに強烈な排外主義的なナショナリズムを感じ取る大衆の、圧倒的な人気を誇るという、摩訶不思議な五年間を過ごした。
挙げる例に不足はない。ここでは、首相の度重なる靖国神社参拝問題を取り上げよう。
自民党総裁選挙に出るに当たって、首相として靖国神社に参拝することを公約に掲げた小泉首相は、当選後は毎年一回必ず参拝してきた。
戦争責任問題に無自覚であることを指して、国内からも、もちろん、批判の声はあがっているが、中国と韓国の政府関係者がこれを批判する度ごとに、首相は「心の問題で外国の指図は受けない」とか「(中国や韓国が)後悔する時があると思う」とか語ってきた。
私は、日本にいて首相の参拝を批判する者は、中国や台湾や韓国からの批判を援用しないほうが利巧だと考える者だ。
自己独自の論理で批判を展開しなければ、国内世論から無用の反発を招くという意味において。だが、それは、中国、台湾、韓国の世論と政治家による小泉批判に、一定の合理性があることを認めないことを意味しない。
政治家のレベルばかりではない。マスメディアが権力批判的な機能をほぼ失っていることから、上のような問題状況がありながら、その本質を抉る報道は極端に少ない。
日本の民衆もまた、社会・経済的に先行きが明確には見えないことの不安と不満を、偏狭なナショナリズムの悪煽動に身を委ねることで、解消している。
こうして社会には、自民族中心主義を純化させ、歴史的なふりかえりを欠いた言動が満ち溢れている。このような時に、対極の立場から発言する人びとの言動を記録し、ひろく公開することには、「時事的に」決定的な重要性があると言える。
同時に「面白さ」と冒頭に書いたのは、主要な登場人物のあり方に関わっている。ひとりは、元女優で歌手、台湾原住民タイヤル民族の立法院委員、高金素梅(チワス アリ)である。
いまひとつは集団で、「原住民音楽グループ飛魚雲豹音楽工団」のメンバーである。
来日して靖国神社や首相官邸・国会へと抗議に赴くのも、これらふたつの主要な登場人物たちである。
ここでは詳述する余裕はないが、私は、現代世界の行き詰まりを打開する道は、一方では世界各地の先住民族とヨーロッパ近代(アジアにおいては、日本近代)との「出会い」の時期とその意味、その後の歴史過程を相対化することにあり、他方では人類史総体の問題としては男性原理によって司られてきた人類史をフェミニズムによって相対化することにあると考えているので、この映画の登場人物たちが、このふたつの接点で成立していることに、深い共感をいだいたのである。
ところで、「時事性」は状況的には大事なことだが、或る作品が時事性にのみこだわって表現されると、おのずと限界が生まれる。時間による風化に耐えられない場合が多いからである。
私が感じるこの問題性は、製作者たちが台湾に渡り、高砂民族の人びとのありようを日常的に克明に記録することで、巧みに解決されている。
「音楽工団」ほか原住民音楽を歌い演奏する人びとの音楽が、全編に豊富に挿入されている。文字を持たない高砂民族にあって、音楽表現がもつ重要性が強調されるが、その意味がよく伝わってくる。
タイトルに採用されている「出草」とは「首刈り」を意味するというが、「蛮刀を研ぎ澄まし、侵してくる敵に対して戦いを挑む」この歌や、漢族の「三民主義」の恣意性を揶揄する歌などは、聞き手をして高砂民族が辿った歴史的奥行きに思いを馳せさせるに十分である。
すべての歌詞に字幕がついているわけではないので、私などには意味を正確に知ることはできない。でも、曲として、歌詞(ことば)の響きとして、十分に楽しむことのできる音楽である。
「生命の歌」がもつメッセージ性にも打たれた。アイヌ音楽に少しは親しんだ者としては、楽器の共通性(アイヌがムックリと呼ぶ口琴)や、発声法の似ているところにもこころ動かされるものがあった。
また、高金素梅そのほかの人びとの発言を通して、原住民・高砂民族の人生観や価値観が見えてくる点も興味深いものがあった。
それは、たとえば、以下のような点である。原住民の権利回復運動が大きな高まりを見せたのは、1999年9月の地震を契機にしていた、という。
原住民部落の被害は甚大だったのに、社会的な関心は低く、政府もまた冷淡だった。自力で復興を図るしかないと考えた原住民の自主的な動きが、狭い意味での地震からの復興のみならず、多様な権利回復運動に展開に繋がったという説明である。
これは、1972年ニカラグア・マナグア大地震の後や、1985年メキシコ地震の直後にも見られたと同じ社会現象である。
人間の歴史には、自然現象として、あるいは人為的に、否応なく不幸な出来事も随伴するが、それをも契機として人びとの歩みはあるのだということを、この挿話は教えてくれる。
競争・分断・支配を基本原理とする資本主義社会と異なり、原住民の社会原理は分配、すなわち助け合いであるという説明もある。
政治機構はもたないが、それに代わって社会を司る実質的な機能があるとも言う。
狩猟採集民の知恵として、雌や子どもは狩猟を避け、獲物は独占せずに分け合うという形などを通して。だからといって、すべてが理想的にいくという幻想からは遠く離れた時代に私たちは生きているだろうが、基本的な価値観の相違はよく理解できる。
高金素梅は繰り返し強調する。台湾原住民には「和解」という考え方がある。過去の間違いを赦さないわけではないが、そのためには、加害者が過去と向き合い、その過ちをしっかりと認めることが必要である、と。
このように、音楽を通して、また言葉を通して、原住民の世界が広がりと多様性をもって見えてくることによって、映画は「時事的要素」に留まることのない深みを獲得し得たと言えるだろう。
先住民世界を一貫して描いてきたボリビア・ウカマウ集団との協働作業(自主上映と共同製作)を、私は4半世紀続けてきている。
先住民の描き方、先住民と非先住民の関係の捉え方、女性の描き方などをめぐって、この仕事も新たな段階に入りつつあると自覚している私には、示唆するところの多い作品であった。
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