2006年後半以来、朝鮮総聯に関する警察の捜査・弾圧が際立っている。安倍政権なるものは、私の考えでは、拉致問題に関わっての一面的な報道攻勢に押し上げられるようにしてはじめて成立し得たと思うが、まさにその発足後の時期に見合う形で、この警察の動きは開始されている。
就任後の首相と、総聯対策に関連して入念な打ち合わせを行なったであろうと推測される警察庁長官・漆原巌が、警察による関連捜査が強行されるたびごとに行なった発言をふりかえってみる。
都内在住の一在日女性の「薬事法違反容疑」に関わって、06年11月、警察が総聯東京本部などを捜索したとき、漆原は「北朝鮮への圧力を担うのが警察。潜在的な事件を摘発し、実態を世間に訴える。
北朝鮮関係者が起している事件は徹底的に捜査するよう全国警察に求めている。有害活動を抑える意味でも大事だ」と語った。
札幌にあるジンギスカン店の経営者で、総聯元幹部の「脱税事件」絡みの捜査に際しては、漆原は07年1月、「拉致被害者の帰国に向け、北朝鮮に日朝間の話し合いをさせるのが警察の仕事」であり「そのためには北朝鮮の資金源について『ここまでやられるのか』と相手が思うように事件化して、実態を明らかにするのが有効」と語った。
07年3月、蓮池夫妻拉致に関わったと警察が推定した北朝鮮工作機関「対外情報調査部」 (当時)所属の指導員2人の国際手配を行なった際に、漆原は「金正日総書記は、拉致に関して謝罪した際に、特殊機関の妄動主義の責任だと語ったが、実は『調査部』が深く関与していた。会談での謝罪の基盤を崩すものだ」と語った。
これらの一連の「摘発」に関しては、北朝鮮絡みの事件は誇大に扱うマスメディアによって、逐一大々的に報道される。
「薬事法違反容疑」は「核開発」と結びつけられ、「脱税」した資金は北朝鮮に流れて「ミサイル開発」に流用されているかのような報道が、裏づけもなく垂れ流される。
「コメンテーター」なる一群の愚者たちが、自ら調べることも勉強することもないままに、ただ思いついたことを大げさな身振りで口にする。
「薬事法違反」に問われたはずの人が「送検」もされていないことを継続報道するメディアは、例外なく、小さなメディアだけだ。
彼女が持っていた「点滴薬からアミノ酸を抽出して細菌培養に応用することは技術的に可能で、生物兵器開発に利用される恐れがある」などという産経新聞06年11月27日付記事を思い起こすと、「アミノ酸が、そんなに恐ろしいものとは知らなかった」とまぜっかえしたい思いに駆られるし、何よりも、庭先にあった農薬や陶芸用の釉薬からサリンを作れると大騒ぎして、被害者を加害者に描き出した松本サリン事件の警察捜査とメディア報道の悲劇的な教訓を、この連中が何も記憶していないことを確認して、茫然とする。
「税理士法違反」で逮捕された在日商工会職員の仕事に関しても、長年にわたって税務当局の了解の下で、自主申告方法に基づいて円滑に納税義務を果してきた在日朝鮮人をフォローしてきたことに触れる報道は稀だ。
警察庁長官が、警察の捜査が弁えるべき一線を超えて、しかも明らかに予断をもった捜査を行なった挙句に、時の政府が掲げている政治目標に沿った言葉を「捜査目的」として繰り返し公言して、問題とされていない状況に、問題の本質はあるというべきだろう。
もちろん、それを「教唆」したに違いない首相の「政策なき政治」にこそ、最大の批判の矢を向けなければならない。
ここで取り上げている在日朝鮮総聯に対する弾圧に限ったことではなく、政府・官僚・行政レベルで日々行なわれている「仕事」と、それを説明する責任者の「言葉」は、恐ろしいまでに、劣化している。
辺野古への海上自衛隊掃海母艦の派遣、自衛隊情報保全隊による民衆運動の監視活動、農水相・松岡を自殺に追い込んだ周辺事情、年金問題、「コムスン」的なるものを生み出したことと無縁ではない現行の介護保険制度――どこにも、ここにも、劣化の事実は転がっている。
こんな連中の手に、権力と資金と弾圧機関が集中していて、この国はいったいどこまで堕ちていくのかと、私にも「ナショナルな」懸念が芽生えてくるほどだ。
こんなときには、これと対極に立つ表現や行動を思い起こして、せめても力を得るしか、ない。
今回書いてきたテーマとの繋がりでいえば、最近では、次のふたつの表現が印象に残る。ひとつは、井筒和幸監督作品『パッチギ Love and Peace 』である。私が知る限り、テレビのコメンテーターなどというやくざな仕事もこなす「大衆性」をもち、かつ自らの専門の領域で確固として原則的な仕事をしているのは、作家の米原万理と井筒だと思う。(別な次元では、「爆笑問題」の太田光にも、注目しているが)。
井筒にも、死刑問題などでは、大勢に流される不用意な発言があったことについて、私は以前に批判したことがある。
だが、米原なき現在、井筒が、つまらぬキャスターやコメンテーターたちと席を並べるテレビ番組に出演を続けながら、この映画を撮ったことに、私は素直に感動する。
物語の展開上は「甘さ」ものぞかせた作品だとは思うが、2007年の時点で、娯楽的な要素も十分に兼ね備えて、1970年代前半東京下町に住む在日朝鮮人の生活を、この映画のように描いた映画を製作したことに、関係者たちの並々ならぬ「思い」を感じる。
ふたつめは、拉致事件の直接的な被害者である蓮池薫による10冊目の翻訳書、『私たちの幸せな時間』(新潮社)の刊行である。私は、帰国直後の同氏が、友人たちの言葉に反応して「俺の24年間が無駄だったというのか」と叫んだという挿話に、ふと胸を衝かれた。
そのとき私は「拉致という赦しがたい行為と、北朝鮮での生活における思想教育の一方的なあり方と向き合い、これを克服し、主体的な立場で物事に当たろうとしてきた蓮池薫の切実な思い」を感じた。彼(女)らこそが、日朝和解のための架け橋的な仕事ができる人たちだ、と考えてきた私は、その生き方を遠くから注視してきた。
今回の原作を書いたのは、1980〜90年代前半の韓国の姿を、フェミニズムの視点で力強く描いた『サイの角のようにひとりで行け』(新幹社)の作家、孔枝泳である。
『私たちの幸せな時間』は、死刑制度を軸に、「疎外された人間同士という共通点を持つ」「人間の苦悩と愛」(訳者の言葉)を描く作品だ。
内容に分け入った作品自体の評価は、別になされなければならないが、蓮池の意欲的な訳業の継続振りに、その深い「思い」を感受する。
後段で触れたような動きが、前段で触れた政府・官僚たちの愚行をそのままには放置しない力を育むことを信じたい。
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