現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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奴隷貿易禁止200周年と現代の奴隷制   
『派兵チェック』175号(2007年4月15日発行)掲載
太田昌国


去る3月25日、英議会で奴隷貿易禁止の法令が成立してから200年目を迎えたが、それをめぐる報道がいくつか目についた。

英市民らが奴隷の苦しみを追体験する「鎖の行進」を行なったとか、奴隷運搬船の主な拠点であったアフリカはガーナでの記念式典に英首相ブレアが謝罪のビデオ・メッセージを送ったとかいうものである。

ただし、この「謝罪」の内実に関しての報道は新聞によって異なっており、朝日新聞や東京新聞は留保無しの「謝罪」として報道したが、毎日新聞ロンドン特派員・小松浩は、ブレアは奴隷貿易に関して「深い悲しみ」や「遺憾の意」を表明したが、公式謝罪には踏み込まなかった、それは、公式謝罪は個人や集団への補償責任を認めることに繋がるからだとの分析を、いくつもの取材源に基づいて行なった(同紙3月26日付け朝刊)。


  毎日紙のこの記事は、「公式謝罪をしない英国政府の姿勢は卑しい」と批判するロンドン市長の言葉を紹介し、さらには、英国国教会大主教も謝罪が必要だと主張していること、黒人団体の一部は「奴隷貿易廃止法案成立後も奴隷貿易は続いた」として、200周年の節目を祝うことに反対している動きも伝えるなど、事態の本質を捉えるうえでの広い視野が感じられて、私は共感をおぼえた。


  同じころ、米国南部――ということは、奴隷制維持の拠点であった地域だが、バージニア州議会が、奴隷制度に「深い遺憾」を表するという決議を上下両院で採択した。連邦議会でも同じような決議案が出されたと聞く。


  政府レベルではここ数年、アフガニスタンとイラクに対して一方的な戦争を仕掛けてきた当事国である両国において、数世紀前の奴隷制に関して、内省的なふりかえりの機運が生まれていることは興味深い。

この理不尽極まりない戦争を推進してきた英国のブレアや米国の議会を、一定程度は巻き込んでいるから、である。

もちろん、ブレアが行なった腰の引けた「謝罪」メッセージは、物事の本質には行き届くことのないように、表面的な取り繕いに終始してはいよう。

なぜなら、事態の本質は以下にある。すなわち、英国が世界に先駆けて資本主義的な発展を遂げることができた秘密を奴隷制に求める歴史解釈は、英語圏ではすでに60年有余前に提起されており、資本主義が奴隷制を育て、奴隷制が資本主義を支えた相関関係こそが、現在にまで至る欧米地域と奴隷制の犠牲とされた地域のあり方を規定しているということ、これである。

この歴史分析は、英国の植民地であったカリブ海の島国、トリニダード・トバゴの独立後の首相を一時期務めた歴史家、エリック・ウィリアムズが、官許の歴史家たちの無視に耐えながら、『資本主義と奴隷制』(原著1944年、日本語訳:理論社、1968年。新訳:明石書店、2004年。前者は絶版だが、図書館・古書店を通じて、前者で読むことをお勧めする)で展開した。

この考え方がもつ歴史的射程に、ヒューマニズムを装った表面的な「謝罪」では対応できないことは明らかだからである。逆に言うなら、事の本質に触れた途端に、それは数世紀におよぶ時間を超えての補償責任問題を引き起こすことをブレアたちは知っているからである。


 奴隷制をいかにふりかえるかというこの問題は、実は、私たちの足元にもおよぶ広がりをもっている。私は見ていないが、英字新聞において、かつては「コンフォト・ウィメン(慰安婦)」と表現されてきた「従軍慰安婦」がいまは「セックス・スレーブ(性奴隷)」と表現されるようになっているという。

この問題に取り組んできた「戦争と女性への暴力」日本ネットワークが夙に使用してきた用語が、国際的に定着したのだと言えよう。

先だって英国で取り組まれた奴隷貿易禁止200周年記念行事では、大勢の外国人女性が英国の性産業に売り渡されている人身売買の現実が、5年後のロンドン・オリンピックを控えて加速することへの懸念が語られた。

英国内務省レベルにおいてすら、暴力団が介在する売春や他の低賃金労働を「現代の奴隷制」と位置づけ、厳しく取り締まるとの行動計画が明らかにされている。

つまり、欧米におけるこの間の奴隷制をめぐってのふりかえり方を、最良の地点で捉えるならば、それは「奴隷制は現代にも、形を変えて、継続している」という現実認識に支えられている点だと言える。


 米国議会・社会・メディアにおける、この間の「日本軍従軍慰安婦」問題への関心の高まりをこのような視点で押さえるならば、この問題に関して安倍晋三や官房副長官・下村博文が語っていることに対して、同国内で批判や、(立場によっては)懸念が沸き起こっている理由が明確になる。

安倍らは、軍や官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行く「狭義の強制性」はなかった、と懸命に主張することで、「日本軍や官憲が行なった強制的な拉致以外は、問題とするに足らない」と言外に語っていることになる。

すなわち、彼らは、「従軍慰安婦」問題の本質を、連行時あるいは「募集」時の「強制性」の如何にしかおいていないことがわかる。

もちろん、問題の本質をこの次元に切り縮めることはできない。ある集団が、自己決定の権利を全面的に剥奪されたまま一定の期間にわたって拘束され、日本軍将兵に性行為を強制されたが、その制度をつくり、管理・統制・維持できたのは日本軍以外にはあり得ない、という点にこそ、「従軍慰安婦」問題の本質はある。


 安倍はまたしても「私の発言が正しく報道されていないので、真意が伝わっていない」などと言い繕うとしている。「真意が伝わっている」からこそ、北朝鮮による拉致問題には熱心だが、日本軍「慰安婦問題」には蓋をしようとする安倍に対する包囲網が狭められているのだと言える。

 
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