「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(略称、家族会)が結成されてから、来月でちょうど10年を迎える。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(略称、救う会)の結成からは9年目である。
そのせいもあるだろうし、6カ国協議の進行状況とも関連しているのだろう、最近の新聞・雑誌では、拉致問題の現状をかえりみる記事や北朝鮮特集が目立つ。
10年が過ぎたと言えば、2002年9月の小泉訪朝による日朝首脳会談は、その中間点に位置していることを知る。
否応なく、時は過ぎてゆく。2月1日付け朝日新聞が「広がる理解 進まぬ帰還――横田めぐみさん拉致表面化から10年」という記事を載せているゆえんである。
しかし、事態が停滞していることには、当然にも、理由がある。
2月11日付け東京新聞サンデー版には「北朝鮮拉致の現状」と題する図解記事が掲載された。時に、とても役立つ図解シリーズなので、毎日曜日に愛読しているのだが、今回の記事は不出来だった。
拉致問題解決の方向性がまったく見えない事情を、間接的に説明してもいる。解説文を書いているのは、「特定失踪者問題調査会代表・拓殖大学教授」荒木和博である。
拉致は「北朝鮮が建国されてからそれほどの時を置かずに始まったと推定され、現在も続いている可能性はある。
北朝鮮にとって拉致は特別なことではなく、『通常』なのだから、止める方が大変なのだ。今後も必要があると思えばやるだろう」と荒木は書く。
証明もなしに、根拠も示さずに、「可能性はある」と書く。「可能性」への言及なのだから、仮に「現在は続いていないとしても」許されると思っているのだろう。
「(拉致被害者を)助け出すにはあの体制を変えてしまう以外に方法はない」とも言う。「体制を変えてしまう」? 日本という外部から、どうやって? それは、国家レベルでの軍事行動を意味しているとしか、考えられない。
短い文章の書き方として、ずいぶんと隙があり、乱暴である。
困難な問題を解決するための方途を探るというよりは、憂さ晴らしのような文体で、最後には、「拉致は北朝鮮という異常な国家のみならず、それを知っていながら放置してきた日本という異常な国家の『コラボレーション』である」と結論づけている。
主観的には拉致問題解決のために全力を挙げていると自ら思い込んでいるであろう人びとが、何の展望もない、このような無責任な言動を行なうことを防ぐ手立ては、ない。
だが、この種の発言だけを、あたかも唯一の選択肢であるかのように、野放しにして取り上げ続けているマスメディアには、応分の責任が生じる。短く見積もっても、こんな水準の一方的な報道が、日朝首脳会談以降の5年間も続いているのだ。
そんなときに、たとえば、大西広「偏見なく北朝鮮経済を見ることの重要性」(『情況』2007年1・2月号、特集「北朝鮮・核武装」)は、執筆者自身が昨年行なった北朝鮮訪問の際の見聞と内外の研究者の分析に基づきながら、冷静な対象認識を呼びかけていて、深い印象を与えられた。
とりわけ、日本周辺地域の夜の衛星写真を使った新聞広告から、最近のピョンヤン地区が「真っ暗」ではなく、それなりに光っている事実を読み取り、北朝鮮の電力事情に触れている箇所はおもしろかった。
大西の主要な論点は、北朝鮮における市場経済化はかなり進行しており、それが経済を回復させている事実を認めること、日本が強硬に課している制裁措置は国際関係の緊張化によって最大の利益を引き出している北朝鮮軍部を喜ばせているだけだということを知ること、である。
前者に関しては、わたし独自の判断基準は持たないが、大西の分析は説得的だった。後者については、わたし自身の一貫した考えと同じなので、異論はない。
わたしはかつて、軍事政権下の韓国に関わっての自分たちの現状分析が、軍政の「暗黒」のみを言い立てることに急で、軍政下にあっても進行する社会の大きな変化を見損なっていたことを省みたことがあった。
対北朝鮮強硬策を主張する「家族会」や「救う会」の人びとの言動にも、同じ傾向を見る。金正日総書記は、わたしから見ても、許しがたい独裁者だが、愚かで、暗黒の存在として一面的に塗りこめるだけでは、結局は外部の「悪しき存在」に「依存」して、あえて言えば「自己満足」した言動に終始しているように思える。
荒木たちはそれでもいいかもしれないが、「家族会」の人びとがその「迷路」に踏み込んでいるのを見るのは辛いことだ。
このような事態を招いた最大の責任は、もちろん、日本政府にある。2月13日に合意をみた北朝鮮の核放棄に向けた6カ国協議の経緯を見ても、それは歴然としている。
日朝首脳会談以降の5年間、日本政府は「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」との原則を、当時の官房副長官、安倍晋三のヘゲモニーの下で作り上げた。
一世紀以上にもおよぶ日本・朝鮮の2国間関係を総括する中で「真実究明・謝罪・赦し・和解」へと進むしかない問題の間口を狭め、しかもそれを常に国際会議の場においても取り上げるよう主張するという、空想的な外交路線を選択したのである。
政府首脳や「救う会」の佐藤勝巳やテレビに登場する愚鈍な評論家たちが、「北朝鮮を追い詰める」とおしゃべりしていた5年間が過ぎてみたら、6カ国協議の場で他ならぬ己自身が孤立している現実に日本は直面しているのだ、と言えよう。
米国が、対北朝鮮柔軟路線に転換したかに見える点に関しては、自らが選択して抜き差しならぬ状況にはまり込んでいるアフガニスタン・イラク情勢(加えて、対イラン攻勢)との関係が明らかにある以上、世界情勢総体としては、楽観的にはなれない。
ここでもまた、外部にただひとつの「悪」を作り出して、自らをかえりみることのない社会のあり方が問われているのである。
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