現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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◆チェ・ゲバラが遺したもの2007/11/29

◆チェ・ゲバラ没後40年2007/10/9

◆小倉英敬著『メキシコ時代のトロツキー 1937―1940』書評2007/10/6

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◆「低開発」 subdesarrollo という言葉がもつ意味2007/6/7

◆国家の「正当な暴力」の行使としての死刑と戦争2007/6/7

◆「拉致問題」専売政権の弱み2007/4/24

◆奴隷貿易禁止200周年と現代の奴隷制2007/4/24

◆変動の底流にあるもの[ボリビア訪問記]2007/4/24

◆キューバ、ボリビア、ベネズエラの「連帯」が意味すること2007/4/24

◆「希望は戦争」という言葉について2007/4/24

◆6カ国協議の場で孤立を深めた日本2007/2/28

◆サッダーム・フセインの処刑という迷宮2007/2/28

◆ボリビアの諸改革に脈打つ先住民性2007/2/28

◆世界は必ずしもいい所ではない2007/2/28

◆アチェの世界への長い道のり2007/2/28

◆フリードマンとピノチェトは二度死ぬ――新自由主義と決別するラテンアメリカ 』2007/1/7

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世界は必ずしもいい所ではない           
『現代思想』2007年2月号「特集――北朝鮮と向きあう」所収(青土社)
太田昌国


                    一


 二〇〇二年九月一七日、日朝首脳会談の内容を伝えるニュースを見聞きしながら、自分なりにひとつの原則を決めた。

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正日総書記が、同国機関による日本人拉致事件が実在したことを認め、これを謝罪し、二度と繰り返さぬことを誓ったのだが、この問題について、感情的・情緒的な反応をしないという原則を立てたのだ。

個人的な思いを言えば、私は、北朝鮮の最高指導者としての金正日総書記が好きではない。朝鮮民衆を恐るべき隷属状態においたまま、口先では「社会主義」を名乗るその偽善を憎む。

拉致問題に関して、明らかに存在する自らの責任に頬かむりして、部下の軽挙妄動に責任を転嫁する言い方にも、怒りをおぼえる。朝鮮社会に伝統的な儒教主義と、日本植民地支配下で掴んだ天皇制の秘密と、ソ連から直輸入したスターリン主義の三者を、奇怪な形で合体させたその支配体制は、醜悪きわまりないとも思う。

だが、私は拉致事件の直接的な被害者でもなければ、被害者の縁者でもないから、そのような感情を離れて、問題の解決に繋がるはずの、ある意味で冷静な立場を取ることは十分に可能だと思ったのだ。

同時に、日本社会には、感情的にして情緒的な反応が渦巻くだろうと予想できたから、そうではない立場からの発言が重要性をもつだろうと考えたのだ。


 言葉を換えると、こうも言える。人間が「社会」的な動物であるという意味における「社会」人として、私はこの問題に対峙しよう。

間違っても、「国家」人として、すなわち「国民」として発言する場に自らをおくことはしまい。それは、私が、地上に現存した(している)いかなる「国家」指導者といえども、その人物が他の「国家」との関係において行なう煽動や対立感情の鼓吹に、本質的な疑念を抱いているからである。

それは、戦争を悲劇的な頂点とする「国家」感情の露出の歴史を思い起こせば、すなわち、日本であれば、わずか六〇年前までの時代に、「国家」意思として行なった近隣諸国との敵対的な関係を思うだけで、十分に納得のゆく立場であると、私にはごく自然に思える。

北朝鮮の「国家」指導者の資質は疑うに値するが、日本の「国家」指導者のそれも、同じ程度に疑うに値しよう。

「国家」の政治的指導者の愚かさが、無念にも、世界政治の方向を指し示しているかぎりにおいて、権力なき民衆の目から見て、現存の世界はどこも必ずしも住みよい場所ではない。私には、「世界」がそのように見える。彼方には悪魔がいるが、此方には善なるものだけがいるとは、金輪際思わないのだ。


  秘密主義を原則とする北朝鮮において、拉致事件がどの程度まで知られているのかはわからない。おそらくごく狭い範囲でしか知られていないだろうが、事情を知る相手側にも、感情的な態度がありうるとすれば、日本による植民地支配時代のことを思い起こして、強制連行による被害を対置するかもしれない。

私自身はそのような問題の立て方に同意はしない。植民地支配という国家犯罪も、拉致という国家犯罪も、それぞれが個別に責任を問われるべき事柄であって、その後に初めて、謝罪と赦しと和解の過程が待っていると考えるからだ。相殺主義的な考え方は、なじまないのである。


  だが、仮に、双方が感情的な反応に終始するならば、事態は何ら進展しないだろうことは、この時点においても容易に予測しえたと言うべきである。

四年有余が過ぎた現在の目で見るなら、残念ながら、二つの国家を代表する両政府の態度は、考えられうる最低のものであった。

日本の場合は、マスメディアが誘導する世論なるもの動向が政府の方針を強く支えた。それに見合った貧弱な結果を、四年有余後のいま私たちは目撃していると言うべきだろう。


  その責任は、一義的には、日本国政府が負っている。国交正常化交渉という本筋を外して、拉致問題の解決を優先課題とする立場を頑なに維持しているからである。

しかも、植民地支配という国家犯罪の清算をめぐって、相手側を納得させるだけの理論的・実践的な解決方針を示すことなく、である。

これが、拉致被害者家族会の「感情」に引きずられたもので、およそ外交交渉の水準に達していない方針であることは、素人目にも自明のことだ。いかなる犯罪の被害者であれ、被害者であれば何を言っても許されるとする風潮は、いまこの社会が抱える深刻な問題のひとつである。


  これと対照的に、本質的な意味で示唆的なことは、直接の拉致被害者である当事者たちの言動やふるまいに見てとることができる。

蓮池薫氏は、北朝鮮に心ならずも幽閉されていた二四年間に身をつけた語学の力を駆使して、朝鮮語表現の翻訳を次々と刊行している。

地村保志氏はかつて、自らがこうむった拉致・幽閉の問題を、戦後も国交正常化に至っていない二国間の対立関係や、戦争などの不幸な出来事の延長上で捉える心境を語った(『朝日新聞』二〇〇三年一〇月一五日)。

女性たちの心境は必ずしも直接には伝わってこないので推し量るしかないが、その過酷な体験を通して、「国家」的利害に分断された世界が必ずしもいい所ではないことを知り尽くしている人物が、「社会」人として行なっている日々の言動やふるまいが、未来に向けて指し示している可能性を、私たちは大事にすべきだと思う。

彼らは、北朝鮮体験に関しては、いまだ明かしえぬものをたくさん抱え込んでいるであろうが、日本「国家」の枠内に安易に飛び込んで、世論や家族会に「迎合」するような発言をあえてしない現在のあり方から、饒舌な言語よりもはるかに多くのものを私たちは受け取っているように思える。


  もし、家族会と野次馬的な世論と政府が、いたずらに感情と情緒に溺れた対応を取ることなく、二〇〇二年九月一七日の首脳会談がせめても切り開いた地平を推し進める方針を堅持したならば、国交正常化に向けた全体的な交渉の過程で、拉致問題そのものの解決と和解もあり得たかもしれないとすら私は思う。

                     二


『グアンタナモ――僕達が見た真実』は、私たちが生きている世界の現実を知るために、見るに値する映画である(マイケル・ウィンターボトム+マット・ホワイトクロス監督、二〇〇六年、イギリス)。

二〇〇六年ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞作品である。イギリスはバーミンガムに近い小さな町に働き、暮らすパキスタン系の青年たちがいる。ひとりがパキスタンに戻って結婚式を挙げることになった。

四人の青年たちは、それに参加するために連れ立ってパキスタンに一時帰国する。時はあたかも、二〇〇一年九月。「テロへの報復」を呼号する米国がアフガニスタンへ侵攻した事実を知って、彼らは隣国が見舞われている悲惨な状況を知ろうとして国境を越える。

いつしか彼らは戦闘に巻き込まれ、米軍に拘束される。

そして、証拠もないままに国際テロリストと決め付けられた彼らは、米国が二〇世紀初頭以来の百年有余ものあいだ、理不尽にもキューバ国に保持して手放さないグアンタナモ米軍基地に収容され、宙吊り、閉じ込め、殴る、蹴るなどのあらゆる虐待と拷問を受けて、二年以上もそこで過ごすことになるのである

(グアンタナモ基地の歴史的不条理さについては、私は「もうひとつの『9・11』とキューバの米軍基地――ラテンアメリカから見る『対テロ戦争』の本質」、木戸衛一編『対テロ戦争と現代世界』所収、御茶ノ水書房、二〇〇六年、におい0000000て詳しく分析した。関心のある方は下記を参照されたい。http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2006/911cuba.html)。


  映画は、釈放された青年たちの証言を基に、現実に起こったことを再構成するドキュメンタリー風な作品である。収集した膨大な資料映像と綿密な取材とに支えられて、迫真力のある画面が展開する九六分である。


  先日、特別試写会が開かれたとき、体験者の青年がふたり来日して、自らが受けた仕打ちを語った。ひとりが言った。「世界は必ずしもいい所ではない」。

先に触れたように、私が拉致問題をめぐって維持してきている態度の基底におくこの考えは、現実の過酷な経験に基づくというよりは、すべての国家を相対的に捉える、いくぶんか理念的なものだ。

だから、いわばカフカ的な状況を耐え忍んだ二〇歳代のパキスタン系の青年の口から、私が基底におくのと似たような言葉を耳にしたときには、深い感慨をおぼえた。


  青年は、諦念に基づく言葉としてそれを語ったようには思えなかった。むしろ、この思いがけない試練に耐えて、自由をかち取った自分たちへの確信が、話全体から横溢しているように感じられた。

だから、それはむしろ、世界の実像を客観的に捉えることが可能になった確信から生まれた言葉だろうと思う。


  米国大統領がアフガニスタン攻撃と共に発した大統領命令によれば、アルカイーダの構成員、米国の外交軍事政策と経済政策に危害を加える活動に関与した者、その活動を援助・共謀した者、そのような人物を匿った者はすべて「敵性戦闘員」として、世界のどこにいようと無期限に身体拘束できることが定められている。

こうして拘束された五百人以上の人びとが、外国にあって人目につきにくい自国軍基地に収容された場合、どんな仕打ちを受けるかは、軍隊の本質に照らして明らかなのだが、それが余すところなく暴露されている作品である。


  世界的なレベルで突出した政治力、経済力、軍事力、社会・文化的な影響力を兼ね備えているがゆえに、米国は世界的な批判もあえて無視してまできわめて横暴なふるまい方をしているのだが、それがどこまで行き着いているかが、よくわかる映画である。

拉致・拷問・虐待・殺人・戦争など、個人には許されていない行為が、国家にだけには許されていることの秘密も、現存のいかなる国家もこのような行為を意志的に行なう水準から決して免れてはいない現実が、そこから浮かび上がる。地獄は常によそ(他国)にあって、天国が自国にあるわけではないのである。


                    三



その意味で、相対的な視点をもって北朝鮮を描いた刺激的な本を二冊読んだ。一方は小説、片方はノンフィクションである。


  帚木蓬生は、私が愛読する数少ないエンターテインメント作品の書き手のひとりだ。『三たびの海峡』『逃亡』などの作品群は、植民地支配と侵略戦争の遺制に翻弄される人物を描いて近代日本の暗部に迫る力作だし、南部アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)体制に抵抗する人びとを描いた『アフリカの蹄』も忘れがたい作品だった。その彼が、昨年『受命 Calling』と題する作品を書き下ろした(角川書店)。

物語の舞台は北朝鮮である。

ブラジル生まれの日系人医師で生殖医療の専門家、「北朝鮮」と聞くと「朝鮮民主主義人民共和国と呼んでください」と断わる、国際学会に出席している同国の医師、中国東北部で脱北者救援に携わる朝鮮人、在日朝鮮人実業家の誘いで万景峰号に乗って北朝鮮を訪れる若い日本人女性――登場人物はまだまだいるが、これらの群像がすべて、「彼が生きているかぎり、この国に未来はない」とばかりに、独裁国家=北朝鮮の頂点に立つ者たちの殺害をめざす作戦に関わって、その目的を遂げるというのが、物語の骨子である。



  帚木は、社会性のあるテーマを扱う作品においても、怒りや正義がむき出しのまま描くということをしない。

それは『受命』においても変わることはないが、しかし、どう見ても耐え難い存在としての北朝鮮の独裁者に対する、作者の沸々たる感情は感じ取ることができる。

めずらしいことである。私は、独裁者の末路をこのような形で描ききった作家のの感性に信頼を寄せることができる。

拉致事件の陰の責任者は、かくまでふてぶてしい人物なのだから、彼が頂点に立つ体制との外交交渉は、単純な善悪二元論では太刀打ちできるはずもないことを、「文学的に」も納得する。


  いまひとつの本は、船橋洋一の『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン――朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞社、二〇〇六年)である。

六カ国協議に参加している国々の無数の人物に対するインタビューを行なってはじめて為し得た、朝鮮半島危機をめぐる全体像がここでは明かされている。注目すべき発言はいくつもある。

拉致問題解決の停滞ぶりとの関係では、二〇〇二年一〇月二四日、「一時」帰国した拉致被害者五人を北朝鮮に帰すべきか否かをめぐる政府内でのやり取りが明かされている。

従来から推定された範囲を出るものではないが、現在は首相を務める安部晋三の強硬路線が果した役割が明示されている。その妥当性如何が十分な論議にさらされるべきだろう。


  一九九八年テポドン・ミサイル発射実験に何億ドルもの国費を使った時の金正日総書記の発言も興味を引く。

「わが国の人民がまともに食べられず、よい暮らしができていないことがわかっていながら、国と民族の尊厳を守り抜き、明日の富強大国のために資金をその部門に回すことを許可した」。

これは、いわば「弱み」の率直な表明だが、ここに明かされているいくつもの北朝鮮内部の声からは、外交交渉に際して使えるカードが浮かび上がる。制裁論議のみが声高に主張される中にあって、日本政府はそれを生かす術を進んで放棄している現状が想起されるべきだ。


  複眼的な視点をもつときにはじめて、人は事態の全体像を掴み、困難さを打開する道があることを知る。「世界は必ずしもいい所ではない」ことを、悲観的にはではなく納得できる者は、自らが為すべきことを客観的に知る者でもあろう。

日本の社会は、そのような人物がもっと大勢生まれ出ることを緊急に必要としている。
   

 
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