現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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サムライ=「フジモリ」待望論の陥穽 
『派兵チェック』第178号(2007年7月15日発行)掲載
太田昌国


 与党や政権の中枢に居慣れた政治家の顔つきを見ていると、おもしろいことに気づくことがある。

何かの事情があって、権力中枢の位置から離れる者がときに現れるが、その人物から、やがて、かつての脂ぎった、ギラギラとした「生気」とも言うべきものが失せていくのである。とりわけ、権力抗争に敗れて、中枢から離れた人物の場合には。


  顔つきに好き嫌いはあるにしても、それは一様に穏やかなものになり、権力臭がぷんぷんと匂うことはなくなる。

彼らを見かけるのは、当然にもテレビ画面を通してだけだが、それでもわかるのである。

一昔前なら小沢一郎から、最近では亀井静香から、そんな印象を受ける。彼らにとって、与党であり続けること、政権中枢にいること――それが、いかに重要なことであるかを、その表情の変化が、問わず語りに明かしているように思える。

なるほど、十数年前に、戦後はじめて野に下った自民党が、政権奪還にいかに懸命になったことか。

権力の「おいしさ」に彼らは一貫して群がってきたのだが、そこからどんな距離の場所に自分がいるかによって、それぞれの顔つきがつくられる「習性」が出来上がっているのであろう。


 その亀井静香だが、自民党を離れた後でも石原慎太郎などに親しい立場にあることにはどうしようもないものだと思う私も、彼が熱心な死刑廃止論者であることだけには、親しい感じを抱いてきた。

亀井は警察官僚の出身だけに、誤捜査、誤審による冤罪事件の存在を知っており、それが死刑事件の場合には取り返しのつかない結果を招くことを自覚して、死刑廃止の立場に立つようになったものらしい。

かつては、多数の自民党議員も含めて、死刑廃止議員連盟の活動が活発になされた時期もあったが、その後の政治・社会情勢の推移のなかで、現在は停滞している。

それでも、亀井、保坂展人など、死刑制度廃止に熱心な議員たちには、もうひと踏ん張りしてほしいものだと私は願ってきた。


 その亀井静香が代表代行の任にある国民新党は、来るべき参議院議員選挙において、重大な選択をするようだ。

しかも、亀井自身の主導的な選択に基づいて、である。元ペルー大統領で、現在チリの首都サンティアゴで自宅軟禁下にあるアルベルト・フジモリを比例区の候補者として担ぎ出すというのである。

この選択からは、国民新党がいかに国際感覚と人権意識を欠いているかがはっきりとうかがわれる。その問題点について、以下に簡潔に触れておきたい。


 亀井はフジモリの立候補を要請するに当たり、「私を含めてだらしない国会議員が増えている中で、ラストサムライとして活を入れてくれることを期待している」と語ったという。前段の自己批評の部分は当たっているが、後段にはうなづくわけにはいかない。

亀井のこの言葉は、10年前の在ペルー日本大使公邸占拠・人質事件を「武力解決」したフジモリに対して、「われわれの祖先である、侍というものの立ち居振る舞いとは、こういうものだったのではないか」と語った福田和也や、「その判断能力において、〈将に将たる器〉にはちがいない」と断定した山内昌之などの言葉を思い起こさせる。

フジモリが発動し、17人の死を伴ったこの「救出作戦」という暴力を、無批判的に歓迎する考え方が、政府、与党、国会決議、マスメディアなどを通して噴出して以降、日本社会は、何らかの、困難な政治・社会課題を「解決」するためには「国家テロ(暴力)」を行使するという選択肢を、あらためて採る道に踏み込んだのである。

この時点では、それが選択された場所はペルーであったが、日系人大統領がその道を選んだということで、「血」の論理に基づいたサムライ礼賛論があふれ出たのだ。

その後の10年間に、アフガニスタンとイラクに対する米軍の一方的な攻撃に対する自衛隊の加担をはじめとして、日本が軍事大国化する条件はさまざまに整備されてきた。民心のレベルでそれが受け入れられる素地は、このペルー事件の時点でつくられた、と私は考えている。


 亀井の論理の矛盾を突くことは、実は、虚しい。だが、亀井が死刑制度廃止を願う真摯な気持ちをもつ人物であることは知っているだけに、意味づけが不明な「サムライ」の論理――そこには、常に、「死」のにおいが漂う――をペルーから逆輸入することとの整合性如何については説明してもらわなくてはならない。


 フジモリにまつわる問題は、もちろん、これだけでは済まない。フジモリは、2000年に国際会議へ赴く途中で日本へ寄り、そのまま2005年11月まで「亡命」していた。明らかにそれは、ペルー現地でなされるであろう訴追を逃れる保身術であった。

事実、彼は大統領在職中の行為によって、暴行、文書偽造、誘拐、殺人、組織犯罪などの容疑でペルー最高裁から逮捕状が出ている身の上なのである。

日本を出た後はチリに滞在してきたが、ペルー政府はチリ政府に対して身柄引き渡し請求を出しており、チリの裁判所はまもなくその請求に応じるか否かの判断を下す予定になっている。

フジモリが国民新党の立候補要請を渡りに船とばかりに引き受けたのは、チリとペルーで狭められてゆく法的手続きに基づいた包囲網を、日本の国会議員になれば「不処罰特権」によって逃れられるという計算がはたらいているだろう。

ことは、国民新党の愚かな候補者選びの水準で終わるものではない。権力の座にあった元大統領の訴追問題が絡んでいることで、フジモリ問題とは、そのまま、人権侵害容疑も含んだ国際的な問題なのである。何かといえば「サムライ」に逃げ込むような鎖国論理が、世界から注視されていると捉えるべきであろう。

 
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