現代企画室編集長・太田昌国の発言のページです。世界と日本の、社会・政治・文化・思想・文学の状況についてのそのときどきの発言が逐一記録されます。「20〜21」とは、世紀の変わり目を表わしています。
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小倉英敬著『メキシコ時代のトロツキー 1937―1940』(新泉社、2007年3月10日)書評
『図書新聞』第2840号(2007年10月6日発行)掲載
太田昌国


 メキシコはロシア革命より早く、二〇世紀初頭の一九一〇年代に意義深い社会革命を経験している。

その底流にあった貧農革命の要素は重要な指導者の暗殺などによって抹殺され、やがて各地に割拠するカウディーヨ(地域ボス)の権力抗争に移行したために、メキシコ革命は「凍結された」とか「中絶させられた」とか形容されて、現在に至る。

その意味で、内国的に見れば分析すべき多くの重要な課題が残るのだが、革命を経た一九二〇年代以降のメキシコは、こと外国人との関係において捉えるなら、きわめて魅力的な顔つきを見せる。

他国政府によって政治的な弾圧・抑圧を受けている人びとを、それが左翼であるか右翼であるかを問わず、亡命者として受け入れ、歓待するのである。

フランコに敗北したスペイン共和国派の人びと(一九三〇年代末)、キューバ反攻をめざすカストロたち(一九五〇年代)、ピノチェトの軍事クーデタで追われたチリの人びと(一九七〇年代)――時代を異にするいくつかの例を挙げれば、それははっきりするだろう。

 スターリンに追われたロシア革命の一指導者、レオン・トロツキーは、そのようなメキシコへのごく初期の、しかも話題に事欠くことのない亡命者として、広く知られている。

評伝も多い。一九三七年から四〇年までの「メキシコ時代のトロツキー」を描くことは、したがって、よほどの新しい材料がない限り、なかなかに難儀なことである。

遠くの異国にまで刺客を放って、あくまでも「政敵」の暗殺を目論むスターリニズムの残虐な本質を明かし、他方「地球の上をヴィザもなく」彷徨った挙句に、メキシコ・コヨアカンの住まいを要塞化してもなお、暗殺されるに至るトロツキーを「悲劇の革命家」として描くことは、すでに多くの内外の著者が行なってきたことである。


その意味で、本書の著者は、「トロツキー追放」を描く第1章から、「トロツキー暗殺」を活写する第7章までに、どんな新しい視点を提示しているであろうか? 

それは、著者が自負するように、日本ではもちろんだが世界的にも従来はそれほど利用されてこなかった、メキシコで刊行されているスペイン語資料に基づきながら叙述を展開している部分であろう。

それが特に生かされているのは、第2章の「メキシコ 一九二〇〜三〇年代」と第4章の「トロツキーとメキシコ政治」である。

前者では、トロツキーを迎え入れる直前のメキシコにおける左翼運動の形成事情や、トロツキー亡命を認めたカルデナス大統領の、特異な政治路線が明かされてゆく。

後者では、メキシコのスターリニズム派からなされるトロツキー批判に対して、彼自身がメキシコへの内政干渉にならないように細心の注意を払いながら反駁していく様子が描かれてゆく。

さらに、外資系石油企業の国有化政策を採用したカルデナス政権をトロツキーがどのように評価したかをめぐっては、トロツキーの植民地・半植民地論(=周辺資本主義社会論)における「視覚の拡大」がメキシコ滞在中に得られた、と結論づけている。興味深い論点で、今後なお検討に値すると思える。


 さて、本書の九割近い分量を割いて、トロツキー暗殺にまで至る経過を客観的に描いてきた著者は、最後に「補論 クロンシュタット叛乱とトロツキー」「終章 スターリニズムとトロツキズム」という、分量的には少ないふたつの章を付け加えている。

この「意外な」構成にこそ、著者が本書で何を言いたかったのかの真髄が表われているようだ。

仮に「7章 トロツキー暗殺」で本書が終わるならば、それは従来描かれてきた類書の域を出ることはない。「悲劇の革命家=トロツキー」のイメージが再生産されるだけだろう。


 一九二一年三月、ペトログラード近郊の軍港クロンシュタットで、ボリシェヴィキ独裁に反対する一万数千人の水兵・兵士・労働者が叛乱を起した。

水兵たちは「現在のソヴェトは労働者と農民の意思を表現していない」がゆえに、煽動の自由、秘密投票による選挙の実施、支配政党以外の党派の言論と出版の自由、すべての政治犯の釈放、すべての勤労人民の配給量の平等化など、きわめて根源的な諸要求を提出した。

ボリシェヴィキはこの背後には、ロシア革命に敵対する者たちの策動があると捉え、この叛乱を武力をもって鎮圧した。

レーニンは生きており、トロツキーは軍事人民委員兼革命軍事評議会議長であった当時のことである。

すなわち、スターリン独裁体制確立以前の出来事である。トロツキーは他所にいて、弾圧の現場には不在だったが、「叛乱の鎮圧が必要だ」と考えていたことは断言している。

だから、著者は言うのである。トロツキーがメキシコで暗殺されたのは「ブーメラン効果」によるものだ、すなわち、彼自身がロシアに構築した政治システムがスターリンによって極端化され、悪用された結果、ブーメランのように自らを傷つける刃として戻ってきたのだ、と。 


身も蓋も無い言い方、ではない。「目的は手段を正当化するか」という永遠の課題を、著者は投げかけているのである。

その意味では、トロツキーもまた、革命的暴力なるものを信奉し、その是非に関する思索を深めずに自爆した世界じゅうの革命運動の敗北に関して責任を有するという事実に、著者は目を覆うことを拒否するのである。

現在の私にとって、トロツキーは大きな問題ではないにしても、著者の問題意識には深い共感をおぼえる。


同一人物についての「メーヤ」と「メージャ」の二重表記や「世辞的要求」などの誤植は、再版の機会があれば訂正を願う。

 
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