2007/10/ 1 | 岡崎哲(さとし)くん(中3・14)暴行死事件・国家賠償裁判の不条理 | |||||||||||
2007年9月26日(水) 茨城県の水戸地裁302号法廷で午前10時から、1998年10月8日、牛久市立第一中学校で放課後、学校近くの林道で、同級生の少年に殴打されて亡くなった岡崎哲(さとし)くん(中3・14)の両親が、茨城県警の身内かばいの捜査と対応で精神的な苦痛を受けたとして、茨城県と国を相手に損害賠償を求めた国家賠償裁判(平成12年(ワ)第112)の判決があった。 国家賠償の判決だけあって、岡崎さんの他の判決以上に報道陣がたくさん来ていた。 哲くんのお母さんの和江さんは、ベージュのジャケットの下は黒のブラウス。胸に哲くんの写真の缶バッチをつけ、木枠の哲くんの遺影を抱いていた。 裁判官は、志田博文裁判長、中川正充裁判官、佐藤廉憲裁判官。 2分間のテレビ用静止画像録画のあとも裁判官が判決を読み上げた。 「原告の請求をいずれも棄却する。以上」 たったそれだけだった。 わかっていたつもりでも、法廷の外に出たら、悔しくて涙が出た。唇を噛みすぎて血が出た。 岡崎夫妻は冷静だった。最初から勝てっこないと言われ続けた警察相手の裁判。他の裁判も、学校を訴えた裁判では完全敗訴。加害者を訴えた裁判では、死因が病死から暴行死に覆ったものの、集団リンチは争点にさえならず、一対一のけんかで、哲くんのほうから仕掛けたとして、大きく過失相殺された。 加害者を訴えた裁判でも、学校を訴えた裁判でも、どれだけ原告側が強く主張しても、加害者本人の証人尋問は行われなかった。 警察を訴えている裁判で、加害者を呼ぶかどうかだけで3年半もの年月を費やし、ようやく元少年を呼ぶことができたが、質問の範囲はかなり限定された。 事件から9年、警察相手のこの事件をマスコミも大きくはとりあげようとしない。時間をかけたテレビ取材の放映が没になったこともあった。判決時にやってきて「ところで、どんな事件だったんですか」と質問する新聞記者。次々と変わる担当者に、一から資料を用意し、時間をかけて説明したにもかかわらず、裁判結果に現れた被告側の言い分のみを大きく報道された。 一部勝訴の判決時には、いやがらせや脅しの電話が自宅にかかってきた。支援していたひとが、いろいろ怖い目にあったといって去っていった。もう、散々、辛苦をなめてきた。「今更」なのだろう。 報道関係者が用意した裁判所近くの記者会見場に、他の支援者とともに、ぞろぞろとついて行った。 会見場にも入れてもらった。岡崎さんの裁判の傍聴でも何度かお会いして、一度だけ裁判(me061206参照)を傍聴させていただいた栃木県のリンチ殺人の遺族・須藤光男さんもいらしていた。 原告弁護士の大石剛一郎弁護士は次の予定が入っており、とんぼ返りで東京に戻られたので、登坂真人弁護士が届いたばかりの判決文に目を通しながら、「まだ、読み込んでいないので不十分な説明になるが」と断ったうえで、解説してくれた。 裁判所は、原告側があげたたくさんの争点を整理し、最終的に12の争点に絞った。その一つひとつに対して評価は述べられているものの、12の争点は1つも認められていないという。 記者から原告の后生(きみお)さんに、何を一番、認めてほしかったかと質問があった。 后生さんは言う。加害少年を訴えた民事裁判で、死因が覆った。少年審判の家庭裁判所では、「被害者はかねてより、いつ死んでもおかしくない重篤な心臓病を患っており、病名はストレス心筋症」という再鑑定を全面的に採用し、加害者の少年は保護観察処分になった。事件の2ヶ月後には加害者は学校に出てきていた。それが民事裁判で、「腹膜にリンゴ大の鬱血があることから、被告少年のけっして軽度とはいえない打撃に相当の因果関係がある」として、哲くんの遺体を解剖した三澤医師や法廷で証言した上野医師が診断を下した「神経性ショック死」と認められた。 民事裁判で、少年審判での死因が覆るなどということが起きた。捜査方法に問題はなかったのか。 民事で死因が覆っても、少年審判がやり直しになることはない。しかし、同じ過ちを繰り返さないためにも、警察は自ら検証する義務があるはずだと話した。 ただ、加害者の証人尋問のなかで、「哲くんと仲は悪くなかった」という証言を得られたことは救いになったと后生さんは話した。 事件直後から、「加害者と被害者とは1年以上も前から仲が悪かった」「加害者は被害者から日ごろ、けんかができないんだろうと挑発されていた」と警察発表を元にした報道等に書かれていた。しかし、それは加害者の証言で否定された。「仲は悪くなかった」「けんかを挑発などされていなかった」。そして、同級生たちは「けんかをするなら、加害者と別の少年だと思っていた」と証言している。 裁判所が原告の訴えを棄却した大きな根拠として、平成2年2月20日の最高裁の判決(最高裁平成2年2月20日第三小法廷判決同年(オ)第825号・集民第159号161頁参照)がある。 この裁判の判決文でも、「捜査は公益上の見地から行われるものであり、犯罪の被害者の被侵害利益の回復ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者ないし告訴人が捜査によって受ける利益は、公益上の見地から行われる捜査によって反射的にもたらされる事実上の利益に過ぎず、法律上保護された利益ではないから、捜査機関による捜査が適正を欠くことを理由として国家賠償請求することはできない」としている。 「捜査は公共の利益のためにやっているのであって、被害者のためではない」というこの判例がひとり歩きして、桶川ストーカー事件(me010420 me010515 me030303 me031222 me040525 me040702 me040723 me041018 me050126 参照)や栃木リンチ死事件など多くの国家賠償裁判の棄却根拠とされてきた。 岡崎さんの裁判では、裁判官がこの判例の元になっている事件の内容を問うと、検察を含めて、誰ひとりわからなかったという。原告代理人の大石弁護士が調べた結果、昭和55年10月に端を発した遺産相続をめぐる親族間の争いの裁判であったことが判明。死亡事件とはまるで事実関係が違いすぎること、当時は犯罪被害者の人権などまるで省みられることのなかった古い時代の判例であるなど、かなり丁寧に主張を展開したというが、裁判所には受け入れられなかった。 一方で、判決では、「もっとも、上記平成2年最高裁判決を前提としても、仮に警察官による捜査遂行につき著しく不合理な点ないし故意に基づく違法・不当行為が存在した場合には、それが犯罪被害者ないしその遺族との関係においても国家賠償法上の違法行為と評価される余地もあり得るところではあるが、以下のとおり、本件記録によって認められる本件事件に関する捜査の経緯を検討しても、竜ヶ崎署の警察官による捜査について、不合理な点や違法・不当行為が存在したものと認めることはできない」とした。 しかし、和江さんは、哲くんの遺体の写真を取り出して、記者たちに見せながら訴えた。「私たちが闘ってきたのはこの顔のためなんです」。 はじめてお会いした当初、岡崎さんは哲くんの遺体の写真をみんなに見せて回っていた。息子の名誉を挽回するために。顔をそむけるひとたちもいた。「あのひと、頭がおかしい」と非難する人もいた。「あんな写真を見せられて哲くんがかわいそう」と涙するひともいた。しかし、遺族にはそれしか訴える方法がなかった。 事件当日から、警察官や教師らに、一対一の素手でのけんかだと強行に教え込まれてきた。 しかし、素人目から見ても、深く抉られたこの傷が、素手によるもの、あるいは現場の砂利道に倒れた際にできたものとは到底思えなかった。実際に、格闘家や医師からも、素手ではできない、凶器を使ったときにできる傷との証言もいくつも受けている。そして、哲くんの手足には、反撃したあとどころか、普通の暴行であれば必ずできる防御創さえなかったという。一方で、当日、撮影された加害少年の写真には、手にも、顔にもほとんど傷はなかった。 解剖医は、素手で殴り殺せるとしたら、大人と幼児くらいの体格差、力の差がないとおかしいと言ったという。しかも、哲くんはほぼ即死状態だった。 しかし、哲くんのほうが身長170センチで、しかも小さい頃からサッカーで鍛え抜いている。そして加害者はかなり小柄。現在はプロボクサーになっているとはいえ、当時は小学校1、2年でサッカー、そのあと多少、野球をやっていた程度のはずだ。 現場に加害者の仲間がいたことを警察も、教師も知りながら、遺族に何日間も隠していた。 何人かで羽交い絞めにして、腹部を凶器で殴ったとしたら、防御創もできないだろう。複数犯の可能性を指摘した医師もいた。複数の少年が誰かを追いかけているような声を聞いたという証言もあった。 そして、加害者はずっと背中や頭は殴ったが、腹部は殴ってはいないと証言し、民事裁判でも、強く主張して、腹部への暴行による死亡と自分の行為との因果関係を否定してきた。 何度も変わった死因のなかで、少年審判の際、警察が採用したのは、心臓病による死亡。 病死扱いしながら、中学校でのなんら異常のない心電図を学校が提出しなかったから見なかったという。それはなんら非合理的ではなく、隠蔽の意図はないという。しかし、暴行があったことは明白で、死因をけんかのときのショックが引き金となった心臓病死とするなら、心臓病の根拠となる証拠を警察が集めるのは当然のことではないだろうか。まして、それまで哲くんはサッカー部のキャプテンをしていて、強豪チームを持つ高校からお誘いまで受けていたスポーツ少年だったのだから、健康優良児が病気で突然死することの根拠づけをするのは当然ではないだろうか。 加害者を訴えた民事裁判の地裁、高裁で認められた「加害者が右下腹部を足蹴りしたために神経性ショックにより死亡したと考えられる」と証言した上野正彦医師の鑑定結果さえ、ブリーフに付着した血痕を治療の際についたものとして、「上野医師の意見は推論の前提を欠いているといわざるを得ない」として、暴行による死亡をこの期に及んで否定さえしている。 水戸地裁の判決はことごとく、被告の警察・検察の意見を採用して、「竜ヶ崎署警察官は、状況に応じて合理的に捜査を遂行していたものであり、(中略)竜ヶ崎署が加害者をかばい立てしようとしていたとは認められないから、原告らが主張するような予断・偏見に基づいた捜査が行われていたものと認めることはできない」とした。 しかし、こんなにも矛盾だらけで、加害者の言い分しか聞いていないものを、きちんとした捜査と言えるだろうか。 少年事件に限らず他の犯罪捜査で、もし、同じようなやり方がされたとしたら、日本は犯罪天国になるだろう。加害者が「やっていない」と言ったことは、どんなに物的証拠が残っていても、簡単にやっていないことになる。 周囲にいた子どもたちに話を聞いて、「リンチに加担していない」と言えば、たとえ「少年たちが追い回している声を聞いた」という証言があっても、当日、周囲にいた少年たちは事情聴取されることもなく、すぐに自宅に返されていても、少年らが口裏あわせをしたとは思えないからと、一対一のけんかとなる。 加害者が逮捕時に凶器を持っていなかったから、現場にも落ちていなかったからという理由で、「素手」とされる。(生徒からの第一報で駆けつけた教師が車のトランクにバットを隠すのを見たという証言も後に寄せられている。仲間の少年らが持ち帰ることも可能だったのではないかと思う) 加害者が「けんか」と言えば、一方的な暴行も双方に非がある「けんか」になり、「被害者側が挑発した」と言えば、そのことを聞いた人間がだれもいなくとも、被害者により過失割合が課せられる。 遺体や衣服、周囲の状況や証言よりも、加害者の言葉が信用されるなら、捜査はいらない。 加害者は嘘をつかない。学校・教師は嘘をつかない。警察は嘘をつかない。そのような前提の裁判だったと感じる。それがもし覆るとしたら、加害者と仲間、学校、警察とともに、裁判所も嘘をついたことになるだろう。 裁判所は判決文のなかで、「捜査に違法性はなかった」と言い、報道はそれをそのまま記事にしている。 しかし、せめて、民事裁判での警察官の尋問、学校教師の尋問を読んでほしい。随所で、警察捜査の「おかしさ」が感じられるはずだ。責任回避と身内かばい、嘘を隠すための嘘の積み重ねで、「死人に口なしで、みんなで嘘をついた」そう感じたのは私だけだろうか。
注意 第一次訴訟と第三次訴訟の控訴審は東京で開催されましたので、わりと傍聴できましたが、土浦地裁や水戸での裁判は傍聴できなかったものもかなりありますので、これが裁判内容のすべてではありません。 |
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