2002/1/25 | 岡崎哲くんの同級生からのうれしいメール | |
「初めまして、ボクは岡崎君と同じ牛久一中の卒業生です。
僕は余り運動が得意な方ではなかったので、岡崎君とは余り付き合いがありませんでした。だから、岡崎君が亡くなったと知った日も皆が泣いている中で僕は泣けませんでした。ただ、死因が一対一の喧嘩だという事に少々
疑問がありました。中学生が人を殺せるようなパンチを打てるのかな?と思って学年主任に話してみましたが、怒鳴られてお終いでした。
あの事件の後に、学校中がピリピリしているのはわかっていましたが、どうしてもそこだけが不思議でした。
だから、このHPを見て、思った事は誰もこんな事言ってなかったということです。卒業式でも、岡崎君が死んだという事に関しては単なる感情論になってしまい、そして誰も本当の事は教えてくれませんでした。
「この事について、マスコミとかに色々聞かれるだろうが、決して話してはいけない」と確かに学年主任、校長は言った事を明記しておきます。
裁判頑張ってくださいと岡崎君のご両親にお伝えください。」 ときどき、哲くんのお母さんが「裁判などしても無駄ではないかと思えてくる」と弱音吐かれることがあります。先が見えない不安、思いが伝わらないイライラ、何もかもが無駄に思える日、体調も崩されたりして・・・。そんな中で、このメールはきっと何よりの励ましになることでしょう。 ほかにも、元同級生が裁判の傍聴に来てくれることがあります。 亡くなった哲くんや、お父さん、お母さんが、殺された哲くんの気持ちや遺族の気持ちを、誰よりもわかってほしいのは、きっと加害少年でしょう。そして、一番に本当のことを知ってもらいたいのは、元同級生たち、先輩や後輩たちではないでしょうか。哲くんが生きてきたわずかな時間を共有した人たちに、誤解されたままでは、哲くんがあまりに可哀想だから。哲くんが亡くなった直後の報道がひどいものだっただけに、生きているときの哲くんの印象と、報道されたり噂された哲くんの姿とのギャップ、大そして人たちに問うことさえ許されなかった子どもたちの思いはきっと混乱したままでしょう。 生きているひとは、自らの手で名誉を挽回することもできるけれど、死んだ人間にはできないのですから、遺族が行うしかない。それもしかし、耳を傾けてくれるひとがいてこそです。 裁判の証人席への呼び出しがかかっても、「もう、すんだこと」「忘れたい」とばかり強く願う人の心にはなかなか届かないでしょうから。 哲くんのご両親も、「残された子どもたち」の心の傷をとても心配していらっしゃいます。 加害少年をも含めて、大人たちが本当のことを子どもたちに言わせないことは、本人たちにとって苦しくはないのか、その苦しさは一生、心に傷として残るのではないのかと。そして、直接は事件に関わらなくても、身近に起きた、同級生が死ぬ、殺されるという事件のことを何も具体的に知らされないでいた子どもたちの将来をも心配しています。 本当のことを何も語ろうとしない、真実を追及しようとさえしない、見て見ぬふりを続ける大人たちの姿は、子どもたちにどう映るでしょう。そんな大人たちを、子どもたちは信頼することができるでしょうか。 「大人は汚い!」「大人はみんなうそつきだ!」いくつかの裁判で、保身に走る先生方の姿を見て、そう叫ぶ子どもたちの姿を、私は何人も目撃しました。 たとえどんなに辛いことでも真実を知ることの大切さを、ご両親は身をもって訴えています。それは被害者にとっても、加害者にとってもきっと必要なことだと思います。 そして、あなたが死ぬこと、ひとを殺すことの後ろに、人生の全てが狂わされてしまうほどの遺族の深い悲しみがあることを若いひとたちにも知ってもらいたいと思います。 人ひとりを殺すことは、そのひとを愛した全ての人の心をズタズタに引き裂くことです。同時に、あなたのことを心底愛してくれる人々の心をも引き裂くことでもあります。 せめて、愛してくれる人たちの悲しみに対する想像力がもう少しあれば、いくつかの犯罪は止められたかもしれないと思います。
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